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創作大賞の応募作品を、プロの編集者が添削するとこうなる


もしかして、受賞しちゃうかも。



創作大賞に応募した瞬間、こう思った人は多いと思う。



私もね。第一回創作大賞で、エッセイを書いて応募しました。でもね、応募ボタンを押した瞬間「受賞できるかな~」とは思わなかったんです。

応募が完了した瞬間、思ったことはコレです。



さて受賞パーティー、何着てこうかな。




ここで自己紹介を。

私は、日本最大級のコンテストである「note創作大賞」で優秀賞を受賞しました。

受賞作品はこちら。



結果発表ではこんな選評をもらいました。

選評:ダイヤモンド社

「汚部屋からモデルルームのような暮らしに」というビフォーアフターが写真で魅力的に伝わり、つい最後まで一気に読ませる力があった。

「片づけ」という、多くあるテーマの中で「仕事のように管理すればスムーズに断捨離が進むんじゃないか」というWBSとKPIシートで管理する切り口がユニークで面白かったため、優秀作品賞として推した。

この部分をもっと掘り下げ、誰でもマネできるような方法論として知りたいな、と思わせてくれた。



note本社での授賞式にでは、こんなトロフィーをいただきました。

めちゃくちゃきれい。角度によって色が変わるんですよね。見てほら。

すっごくきれい




優秀賞を授与された私のnoteは、書籍化され全国書店に並びました。

自分がよく行く本屋で、自分の書籍が平積みされているのを見た時は感動しました。

こういう棚に並んでた



出版された本はたくさんの方にお手にとっていただき、サインを求められることが激増。

自分のサインがなかったので、プロにつくってもらいました。

サインを練習している様子




さて、創作大賞の初代受賞者である私は、普段いったい何の仕事をしているのか?

編集者です。


上場企業が運営する数億PVの大手Web媒体で、編集長を務めました。

10年勤めた後独立。今は自分の会社をやってます。自分の会社ではいろ~んな事業をやってますが、事業の一つとしてこんなお仕事をやっています。

「新人編集者への研修」




毎年4月になると編集部には新人が入ってくるんですね。その新人の教育を担当してるんです。新人にはいろんな教育をします。

取材の仕方とか、ライターの見つけ方とか、連載の進め方とか。そんなことを教えるんですが、一番力を入れて教えていることがこれ。

「新人が書いた原稿に、フィードバックをする」

ことです。




つまり、私は創作大賞の初代受賞者であると同時に、人が書いた原稿にフィードバックをするプロというわけです。

そんな人間が、創作大賞に応募されてきた作品を「本気で」添削するとどうなるか?



興味ありませんか。



私はね。他人が書いた文章にフィードバックをする能力では、誰にも負けませんよ。

日本にいるどの一流の編集者にも、絶対に負けません。だから今から実演してみせるフィードバックは、

「日本一の編集者によるフィードバック」

だと断言します。

別に「実際に」自分が日本一だって言ってるわけじゃないですよ。そうじゃなくて、「日本一の編集者であり続けるためにやってる努力」は、絶対に、どの編集者にだって、死んでも負けない。そういう意味で言ってるんです。



だから、今から私が実演するフィードバック。「編集者としての自分に自信を失ってる」編集者は絶対に見ないでください。そういう編集者に対して一切配慮はしてません。

私のフィードバック見たら、明日から会社行けなくなりますよ。

「日本一の編集者が行うフィードバック」なんて、弱ってるときに見るもんじゃないんです。

弱ってるときは、ちゃんと眠って、好きな入浴剤入れて湯船につかって、ガッツリお肉食べて、朝ゆっくり散歩して、ずっと読みたかった小説を読んで過ごす。こういうのが一番です。

弱ってる編集者は、絶対見ちゃダメ。約束ね。

編集者だけじゃないよ。最近ほら、文章添削が流行ってるじゃない。「あなたのnoteを添削します!」とか「あなたのブログにフィードバックします!」みたいなやつね。
ああいう「人が書いた文章にフィードバックする副業をしてる人」も、見ちゃダメ。自信を失ってる時期は誰にだってある。そういう人は、ここで離脱。ゆっくり休んでね。



ということで、「本気で」添削しますよ。

今回の創作大賞で応募されてきた作品を。今回添削する作品はこちらっ!!!



この作品は、「チームのタスク管理に悩んでいるリーダー」に向けて書かれたものです。

この作品を書いたnoterさんは、片付けの資格を持ったプロ。だから作品の中では、

タスク管理をこなすには、「片付け術」を応用するとうまくいくよ

という内容が描かれています。



さて。さっそく実演してみせましょう。プロの本気を。

日本一の編集者は、ライターの原稿にこうやってフィードバックをします。




まずは、タイトルから!!

▼タイトルはこれね





……結論から、言います。





いいタイトル~~~~!!!!!!(拍手喝采スタンディングオベーション~!!!)


わたし銅鑼もってたら50回くらいたたいてるわコレ。ボワ~ンボワ~ンって。

だってさぁ、みんな見てよこのタイトル!!!こう書いてある!!!

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタスク管理術とは?



タイトルってさ、

「あなたに向けて書いたんだよ!」

ってことを何よりも最優先でアピールしないといけないんですよ。「どこかの誰か」じゃないですよ。「あなた」ですよ「あなた」。

「えっ、私?」

って読者が思ってくれなかったら、もうその時点で負けなんです。



みんなさ、ふだん駅行くでしょ?

渋谷駅でも新宿駅でもどこでもいいけどさ。駅前ってよく

「募金をお願いしま~す!」

って叫んでる人いるじゃない。


募金を呼びかけるという目的なら、あの「不特定多数に呼びかける」っていう方法で、良いと思う。実際あのやり方でいろんな人が募金してるしね。




だけどあのやり方を、「原稿のタイトル」でやっちゃダメなのよ。

渋谷のハチ公前でさ、

「こういう文章書きました~!読んでくださ~い!」

なんて言ったら誰も振り向いてくれないでしょ。

そうじゃなくて「渋谷のハチ公前、スマホいじりながら誰かを待っている、白Tとデニム着た黒髪のショートカットの30歳くらいの女の人」の手首をガシっとつかんで彼女の目を見ながら

「あなたのためだけに書いた文章があるんです!!!!読んでください!!!」

ってことを、タイトルではやらないといけないんです。



だから、このタイトル

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタスク管理術とは?

これさ、「あなたに向けて書いたんだよ」って伝わるでしょ?

もうさ、完璧よ。これだよこれ、タイトルってこう書くんだよね。もうタイトルの書き方のお手本みたいなもん。国語の教科書に載せてくれ文科省。





でね、後半のタイトルもすごくいい。ここ見て、ここ。

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタスク管理術とは?

何が良いかって、「読んだ結果どうなるのかがわかる」ってトコがいいのよね~!!!!!




だってみんなさ、別に「文章を読みたい」わけではないじゃない?

読むことって目的じゃなくて手段じゃん。

読んだ結果、

「うわ最高だったわ」って感動したり
「すっごく役にたつなこれ」って明日からの仕事が変化したり
「あーもう癒されたぁ」って疲れがふっとんだり。

そういう「自分の変化」がほしくて読むじゃない。

だから、読んだ結果「自分がどう変化するのか」。その未来をチラ見せできているタイトルはもう完璧なんですよ。だって未来をチラ見せすることに成功すれば、それすなわち「クリックしてもらえる」ってことなんですから。



これ本当にすごいよね。

「クリックするに値するタイトル」を書けずに消えていくライターは山のようにいる。

最初っからこういうタイトルをつけられる人っているのよね。書くことを仕事にしていない人でもいるのよ。うらやましい。

いや、もうこればっかりはしょうがない。できる人は最初っからできるのよ。はい皆もう落ち込まないの(笑)!!次いくよ次ぃ!!!



で、一番絶賛したいポイントはここ。

「タイトルが、おもしろい」

って点なんです。




あのね、すごく残酷な現実なんだけど。

中身がつまんないと、タイトルもつまんなくなるんです。



おもしろいタイトルってのは、中身がおもしろくて初めてつけることができるのよ。たとえば

「さっき冷蔵庫の角に足の小指ぶつけた」

なんてつまんないことが「本文」に書いてあったら、もうこれおもしろいタイトルなんてつけられないのよ。



だから、一番絶賛したいのはここ。

「タイトルが、ちゃんとおもしろい」。

これはね、中身がちゃんと面白いことの証なんです。




タイトルは、見切れたら負け

で、こっからは一緒に、さらに良くしていこっか!このタイトルね、あと7文字だけ削るといいのよ~♡


▼元のタイトルこれね

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタスク管理術とは?

なんでかっていうと、一覧に出た時に見切れてちゃってるからです(笑)



▼ほらこれ!もったいない!



日本語は語尾で意味がひっくり返る

これはねぇ、日本語だからこそ「語尾が見えない」のは致命的なんです。だって日本語って、最後の最後で意味がひっくり返ったりするじゃないですか。



たとえばこのタイトル。

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタスク管理術とは?

ってなってるじゃない?でもこれ長いから、一覧の画面では

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタス

で切れちゃってるわけです。




するとね、もしかしたらこのタイトル、

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタスク管理術なんて存在しない。

である可能性もあるわけですよ!(笑)

だから、タイトルは絶対に見切れてはダメなのよ。これは日本語ならではだよねぇ~。




実演するから見ててくれ。タイトルの圧縮はこうやる。

じゃあ、今のタイトルをどう短くするか?

「短くするだけ」だったら、こうやればいいのよ!見てて!


▼Before

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタスク管理術とは?

▼After

明日からできる! リーダーの悩みが解決するチームタスク管理術

これなら、「見切れない」という理由でタイトルの長さとしては合格♡



今さ、とある言葉を丸ごと削除したんだけど気づいた?そう。「悩める」って言葉が消えたんです。これ、なんでだと思う?



これね、言葉が重複してるんですよ(笑)。だってリーダーって全員悩んでますもん。

ってか悩んでないリーダーはリーダー失格でしょ。

だから、「悩めるリーダー」は重複表現。「頭痛が痛い」「馬から落馬する」って言葉と一緒。リーダーというそのだけで、悩んでいることが伝わるんですよ。伝わるなら、「悩める」という言葉はとっちゃっていいんです。



しかもさ、元のタイトルの後半見て。

【悩めるリーダーのあなたへ】明日からできる超シンプルなチームタスク管理術とは?

「チームのタスク管理術」って言葉が出てきますよね。ってことは、このタイトルは「チームのタスク管理術で悩んでるリーダーに向けて書かれたんだな」ってことがわかりますよね。ということは、この「タスク管理術」って言葉そのものが

「悩んでいるあなたに向けて書いたんだよ」

っていうメッセージになってるんですね。


つまり、ここでも言葉が重複してるのよ。

「タスク管理術」という言葉そのものが、「悩んでいる」って意味になってるでしょ?

だから、「悩めるリーダーのあなたへ」の「悩める」は削っちゃっていいのよ。



「タイトルを見切れさせてはいけない」。

これね、みんなの応募作品でも同じことが言えるよ。

みんなさ、いろんなテーマで応募したと思う。育児、仕事、料理、家族、転職、闘病、独立、お金、などなど。

自分の応募作品のタイトル見てみて。長すぎて見切れてないか?

だから、短くするといいのよ。




でもねぇ、きっとこう思うかもしれない。

「どの単語を削ればいいか、わかんないよ!」

これはね、いい方法があるのよ。

Amazonで本を検索するの。



たとえば今、私は「悩めるリーダー」の「悩める」を削除したほうがいいよって言ったよね?

そして仮に、「悩めるって単語を削除すべきかどうか自分じゃ判断がつかない」って状態にあなたが陥っているとする。その時は、「悩めるリーダー」でAmazonで本を検索すればいいのよ。



すると何がわかるか。

「悩める」っていう言葉が使われた書籍って、一冊もないのよ。

どれもこれも、リーダーの悩みを解決する本なのに、「悩めるリーダー」と言う言葉は一度もでてこない。

▼見てほら。全部ただの「リーダー」でしょ。



リーダーという言葉に、「悩める」はつけない。

これはね、プロが下した判断なんです。本をつくるプロが下した、最終的な決断なんですよ。



創作大賞ってさ、受賞すると書籍化の可能性がありますよね。だからもう応募の段階で、あなたは

「まるで一冊の本のようなタイトル」

をつけなければいけないんです。




創作大賞に応募するんだから、書籍化前提で書くんだよ

タイトルだけじゃないですよ。本文もそう。
本文も、「書籍化前提」で書かないといけないんです。



だから、ここもこう直す。本文抜粋するね。見てて。

▼直す前の本文

経験を活かし「片付け思考」をチームのタスク管理に応用してみました。

▼この文章を、こう直す

経験を活かし「片づけ思考」をチームのタスク管理に応用してみました。



「いや、片けが片けになっただけじゃん……それのどこが問題なの?」って思ったでしょ(笑)。

これがもし、「普通のnote」なら「片づけ」だろうが「片付け」だろうがどっちでもいいんです。



でもね、今回は創作大賞に応募しているnoteでしょ。つまり、「書籍化されることが前提」のnoteなんです。

だからね、書籍になってる本のタイトルを死ぬほどリサーチしないといけないんですよ。実際にAmazonで検索して、検索結果に出てくる本を見てみましょう。


うわっ、なんかキャプチャとったら小さくなったわゴメン。拡大すると見えるから、白い所見てみて。

検索結果のトップに出てくる5冊のうち、なんと4冊が「片け」になってるでしょ。

「片け」になってるのはたったの1冊。




創作大賞に応募する以上、その応募作品を読むのは「書籍編集者」なんですよ。

だから、書籍編集者に違和感を与えないよう細心の注意を払わないといけないんです。だから、当然この場合なら「片づけ」と書くべきなんです。


ふふっ、細かいでしょ。細かいけど、ここまでやるんですよ、受賞したいなら。



いや、偉そうに言ってるけどさぁ……。

自分が受賞した「100万円貯めて、汚部屋から脱出してみた」ってnote、出てくるのは全部「片付け」って表記やんけ……。

って思った人いるでしょ。うん。だってあの時の私は今の私に比べたら雑魚だからね。だから当時の私はできなかった。だから「片付け」って言葉を使っちゃったのよ。



過去の自分なんてさ、雑魚ですよ雑魚。昨日の自分だろうが10年前の自分だろうが。過去の自分なんて常に雑魚です。

だから私、自分の受賞作品を「今」見ると瞬時にこう思います。

全文書き直せ。


当時の自分に「添削オネシャス」なんて言われたらもう赤いペンキ1缶ぶちまけたみたいに赤ペンで修正入れますよ。

でも、それでいいんです。

それは、ちゃんと自分が成長してる証なんだから。




タイトルの存在意義は一つしかない。「クリックさせること」。

さて、さらにタイトルを良くしていきましょ!
さっき私が直したタイトル、こうなったよね。

明日からできる! リーダーの悩みが解決するチームタスク管理術

これ、一つ問題があるんです。

どんな問題か?

これね、クリックする「決め手」がないんです。





もちろん「クリックしたいな」ぐらいに思ってもらえるワードはあるよ?

「明日からできる」「悩みが解決する」

ほら、あるでしょ!こんなに魅力的なワードが。

でも、決め手には欠ける。




私いま、

明日からできる! リーダーの悩みが解決するチームタスク管理術」

ってタイトルをつけたけどさ。たいていのタスク管理術って、「明日からできる」ものばかりじゃない?(笑)

「このタスク管理術、導入するのに3か月かかる」

ってパターンはあんまりない(あったらごめん)。だからこの言葉はクリックする決め手にはなりにくいのよ。



それに、タイトルに入っているこの言葉。

「明日からできる! リーダーの悩みが解決するチームタスク管理術」

「リーダーの悩みが解決する」というこの言葉もそうよ。決め手に欠ける。なぜならリーダーの悩みは千差万別だからだ。たとえば、

「やる気がない部下がいて困ってる」とか

「ほうれんそうができない部下がいて困ってる」とか

「残業代ほしさにずっと会社に居続けて退勤が深夜になり、翌日寝不足で出社しミスを連発している」とか。

ほら、こんなにいろんな悩みがあるでしょ?




だから、「リーダーの悩みが解決する」というワードだけだと

「おっ、これは自分のことだな」

と思ってもらえないのよ。




クリックするかどうかを決めるのは自分じゃなく読者

ここまで読むとさ、

「えぇ……じゃあタイトルって、どうつければいいの?」

ってなるよね。



これね、簡単ですよ。

「読む理由」をタイトルにすればいいんです。



クリックするかどうかを決めるのは、自分じゃない。
読んでくれる読者なんです。だから、読んでくれる読者がクリックしてくれるよう「読む理由」をタイトルにつければいいんですよ。




「本文の要約」をタイトルにするのだけは、絶対にやめとけ

だから、「読む理由がない」タイトルは絶対ダメ。0点。これみんな、絶対やっちゃダメだよ。

読む理由がないタイトルって、一体どんなタイトルか?

それはね、「本文の要約」がつけられたタイトルです。



たとえば、今回の作品。要約をタイトルにつけるとこうなります。

「片付けの思考をチームタスク管理に使ってみたら、リーダーとして抱えてた悩みが解決した」

どう?クリックしたくなくなるでしょ(笑)。

だってもうタイトルだけで中身がわかっちゃうんだもん!わかっちゃうなら、クリックする理由がもうその時点でなくなる。だから、こういう「要約タイトル」はつけちゃダメなのよ。



これはね、と~~~っても大切な原則なんですよ。

だからnoteだけじゃなくて、本の世界でも使われてる。たとえば、

『パン屋ではおにぎりを売れ』

って有名な本があるじゃない。みんなこの本もう読んだかな。

あれって、内容自体は「仕事、人間関係、お金など、人生の悩みを考える方法」を解説した本なんですよね。でも、そのまんま

『仕事、人間関係、お金など、人生の悩みを考える方法』

ってタイトルつけたら絶対に売れないじゃない(笑)

『パン屋ではおにぎりを売れ』っていうタイトルだからこそ、あそこまでヒットしたと思うのよ。



じゃあ結局、今回の応募作品。このタイトルはどう変えればいいのか?

「明日からできる!リーダーの悩みが全て解決するチームタスク管理術



ふふっ、簡単ですよ♡

この2つを満たしたタイトルにすればいいんです。

①読者が、「あっ、これ自分のための文章だ」とわかるタイトル

②クリックする理由がちゃんとあるタイトル

この2つね!



うっし、今からみんなの目の前で実演してみせるね。

この2つの条件を満たすと、タイトルはどうなるのか?まずビフォーがこれね。





このタイトルを、こうする。









タイトルってね、こうやって書くんですよ。

「あっ、これ自分のための文章だ」と読者にわかってもらえるようにすること。

そして、わかってもらった上で「クリックする理由」がちゃんとあるタイトルにすればいいんです。




「リーダー向いてなさすぎて、もう辞めたい」。

このタイトルなら、読者は瞬時に「自分のための文章だ」ってわかりますよね。

しかも、このタイトルなら「クリックする動機」を存分に引き出すことができるんです。

だって、リーダーとして悩みを抱えている人がこのタイトルを見ると、こう考えるんです。

「えっ、今まさに自分が考えてたことだ」
「この人も辞めたいって思ってるのか」

「結局この人は辞めたの?続けてるの?」
「続けてるとしたら、どうやって今続けているの?」

って思うんですね。


こう思わせたら、「勝ち」なんです。
だってここまで知りたいことがブワっと浮かんだら、クリックするでしょ。

タイトルってのは、こうやって書くんです。




悩みの深さによって、タイトルはこう変わる

でね、今直したタイトルってこうなったでしょ?

このタイトルに反応してくれるのはね、割と「ライトな悩み」を抱えたリーダーなんです。だってこのタイトル、なんか軽いでしょ、ノリが。



自分で書いといてなんだけど、コレは、ダメ。



「もう会社に行けないレベル」の深い深い深い悩みを抱えたリーダーに向けて書いた文章なら、私はタイトルをこうします。



もっかいいくよ。

ビフォーアフター見せるから、ゆっくり、一文字ずつ、じっくり読んでみて。いくよ。


リーダー向いてなさすぎて、もう辞めたい。

リーダー向いてなさすぎて、もう、辞めたい。



「もう、辞めたい」だと情景が浮かぶでしょ。

もうつらくて、逃げたくて、会社に行きたくなくて、立ってられなくて、うずくまった状態で。「もう、辞めたい」って。小さな震えた声で助けを求めてるその人の姿が目に浮かぶでしょ。




今これを読んでいるあなたはきっと、創作大賞に応募したよね。

応募したその作品。小説とかミステリーとか、「人を楽しませるために」書かれた作品もあるけどさ。

「誰かを助けたい」と思って書いた作品も絶対あるよね。

その「自分の助けたい誰か」が、目の前にいたとしたら、その人は一体どんな言葉を吐くと思います?



育児、仕事、独立、婚活、介護、闘病、なんでもいいけど。

助けたいってとあなたが思ってるその人は、どんな言葉を吐くと思いますか。



リーダー向いてない。本当に向いてない。自分じゃこの役目は果たせない。つらくてつらくてつらくて。もう、会社に行けない、って思ってる人が、

リーダー向いてなさすぎて、もう辞めたい。

なんて。こんな風にサラっと言うと思います?



「もう辞めたい」なんて言うわけない。

「もう辞めたい」。

そう言うんじゃないんですか。



自分でつけといてなんだけど、この「もう辞めたい」なんてタイトル。こんなの見たら、

その人を助けたいって、本気でそう思って書いたのか?

瞬時にそう思いますね。




たった一文字。

「もう辞めたい」

この「、」がないだけで、バレるんだよ相手には。



読んでる側がどれだけ必死に読もうとしているのか、考えるんですよ。

この人なら、助けてくれるかもしれないって。noteのタイトルを見て、ワラにもすがる思いでその人はクリックしたかもしれないんだよ。

クリックさせた責任は、重い。自分が思っている以上に重いぞ。クリックして「もらった」以上、「読んでよかった」と思ってもらえるようすべての力をそこに注げ。それが、物書きとして果たすべき責任だ。



私は昔、片付けに関するnoteを書いていた。

そのnoteの一行目で、こう書いたことがある。

「部屋を片付けたいなら〇〇しましょう!」
「厳しいことを言います、〇〇できないからあなたはダメなんです」
「だから今すぐ、まずは〇〇からやってみましょう」



こんなこと、よく言えるな。




読もうとしてくれた人が、一体どんな思いでクリックしたか。一秒でいいから考えろ。

確かに、クリックした人のその悩みは軽いものかもしれない。

「最近部屋ちょっと散らかってんだよな。片づけたいな」
「おっ、片付けの方法が書かれたnoteがある」
「よし、これクリックして片付けてみよ」

こういう人もいるかもしれない。でも、当たり前だけどそうじゃない人だっているんだよ。



会社で壮絶なパワハラをうけ続けた、通勤電車でもう立っていられなくなった、不正出血が止まらない、股が血まみれになるからおむつを履いて会社にいく、でも限界が来た、足を引きずって心療内科に行こうと思った、でも電話をかけてもかけても、「数か月先まで予約がいっぱいです」、もうどこも受け入れてくれない、何日も電話かけまくってやっと一か所見つけた、予約がとれた、カビくさい雑居ビルの4階、一目見て「心を病んでいる」とわかる人が大勢待合室にいる、下を向いて泣いている女性がいる、うずくまって動かない男の人もいる、自分の名前を呼ばれた、診察室に入った、椅子に座った、自分のことを話した、医者からはこう言われた、あなたは適応障害です、適応障害ってなんだ、その病名を考えたやつは頭おかしいんじゃないか、適応障害なんて言われたら診断を下された人は自分が悪いんだって思うに決まってるだろ、障害があるのは本当にその診断を下された人なのか?適応できずに股が血まみれでおむつ履かざるを得ないような人間を出すその環境にこそ障害があるんじゃないのか、治療すべきは自分じゃない、クソな会社のゴミ上司じゃないのか、そんなことをぐちゃぐちゃ考えてると医者はこう言った、「休んでください」、薬を出された、家に帰った、部屋はもうスゴイことになってる、休めだって?休まる場所なんてどこにもない、でももう何からやっていいかわからない、何か食べなきゃ、そういやご飯なんてもう何カ月もつくってない、お風呂もカビだらけだ、なんだこのカビ、ピンク色してる、こんな汚い風呂に入りたくない、頭がボーっとする、最後にまともに寝たのはいつだっけ、視界の端で何かが動いた、虫がいる、虫なんて出ないよう気を付けてたのに、こんなの初めてだ、片付けせずにここまでぐちゃぐちゃにしたせいだ、もういやだ、でも休まなきゃ、せめて横にだけはなろうとあおむけで目をとじる、でも目をとじると会社であの時言われたあの言葉が、何度も何度も何度も何度もよみがえる。



自分のnoteをクリックしてくれた人が、こんな人だったら、どうすんだ。


もう生きていたくないと心底思っているその状態で、それでも、なんとかこの状況から抜け出そうとワラにもすがる思いで自分のnoteをその人がクリックしたんだとしたら。


どうすんだって聞いてんだよ。



読者ファーストという言葉がある。

「読者のことを思って文章を書け」という、そういう意味の言葉だ。だがこの言葉は恐ろしいほど誤解されている。

「今回はお片付けのお悩み解決のnoteを書きました~!」

「片付けで悩んでいる誰かの役に立てばいいと思って書きました!」

「みんな、読んでね!」

チャンジャで頭洗うぞ。



読んでくれる人が今どこにいるのか、どんな表情をしているのか、どんな気持ちでいるのか。そこまで考えて考えて考えまくって書くんだよ。それが読者ファーストって言葉の意味だ。

画面の向こうには生身の人間がいる。その人が自分の目の前にいたとしたら、

「部屋を片付けたいなら〇〇しましょう!」
「厳しいことを言います、〇〇できないからあなたはダメなんです」
「だから今すぐ、まずは〇〇からやってみましょう」

なんてそのふざけたセリフ、言えるのか?



「お悩み解決のnoteを書いても、誰にも読まれない」のは見透かされてるからだよ。

「読んでくれる人のことなんざ、一秒だって考えてないんだな」

って相手にバレてんだよ。だからいつまでたってもPVが30なんだよ。

ただの一行たりとも、手を抜くな。

相手ではなく自分のために書いた瞬間、即座に気づかれるぞ。




だからねぇ、自分で書いといてなんだけど、

リーダー向いてなさすぎて、もう辞めたい。

ってこのタイトル。



もうね、2秒でわかる。読んでくれる人のこと、考えてないんだなって。

たった一文字。

「、」がないだけですぐわかっちゃうんだ。



でもまぁ今回は、

「リーダー向いてなさすぎて、もう辞めたい」

にしまーーーーーす♡♡♡


なんでだと思う?


これね、「、」はいらないのよ。「もう、辞めたい」じゃなくて「もう辞めたい」で全然オッケー。

だって今回の作品、リーダーの悩みを思いっきり描く作品じゃないんだもん。そうじゃなくて、今回の作品は「リーダーのその悩みは片付け術を使えば解決しますよ」ってところが主題なんだよね。



だから、むしろタイトルはライトな感じを出したほうがいい。

「リーダー向いてなさすぎて、もう辞めたい」

って軽い感じでね。「もう、辞めたい」って重たいタイトルにしちゃうと

「きっと悩みに焦点を当てた、濃厚な文章が書いてあるんだろう」

と、読者に誤解を与えちゃうじゃない。だから、ライトにする。「もう辞めたい」って。これが、今回は正解なんだ。




創作大賞に応募するなら、noteのタイトルをそのまま文字でサムネに入れちゃう

ほんじゃ、次サムネイル行きましょう~!今のサムネイルはこれですね。

これね~~~!!もうばっちりよ!!!



背景の画像も内容にマッチしてるし、女性の姿だから女性リーダーだろうなってわかるし、文字の可読性も高いし、右下のイラストも「読むとチームタスク管理がやりやすくなるよ」っていうことがわかるし、これはもうね、ほんとにばっちりですよ。

このサムネはばっちり。

もしこれが、普通のnoteだったら、です。



でもね、今回は普通のnoteじゃない。創作大賞だ。

創作大賞ではね、普段のサムネをつけると失敗する可能性めっちゃ高くなるのよ!

じゃあどんなサムネにすべきなのか?2秒待ってね、すぐつくるから。



うっし、できた。2秒じゃなくて30秒くらいかかっちゃった。canva起動するの遅いんだもん。

さて、できあがったから見て。これが、

創作大賞で「つけるべきサムネ」

です。いくよ。








さ~て、これを見たそこのアナタ!!

今こう思ったでしょ。

「えぇ……noteのタイトル、そのまんまサムネイルに入れてんじゃん」
「これ、なんか意味あんの?」

って。




うん、わかる。そう思うよね。

だってタイトルをそのままサムネに入れたら、こんな風になっちゃうもん。

サムネと、タイトルが重複してるよね。



でもね、これでいいんです。



ここだけ、クイズ形式にしよっか♡

問題です!

サムネとタイトルの文字はなぜ、「重複しても良い」のでしょうか?



⏰⏰⏰



はい、シンキングタイム終了!答え出たかな?正解はね、

バズった時にクリックしてもらうため

です。




どういうことか、説明しましょう。

私が創作大賞で受賞したときのサムネイルって、これなのよ。サムネに「100万円貯めて、汚部屋を脱出してみた」って書いてあるでしょ?

受賞作品のタイトルも、「100万円貯めて、汚部屋を脱出してみた」。つまり、まさにサムネイルの文字とタイトルが重複しているわけだ。


これはね、意図的に重複させたんですよ。



この受賞作品ってね、「読み終わった後の読者感情」をこう設計してるんです。

「うっわナニコレ超おもしろかった」

っていう読者感情を引き出せるよう、そこから逆算して書いたんですね。



ということはですよ?

このnoteを読み終わった後に、読者ってこう思うんです。

いやこれ、マジでおもしろかった!

と。すると何が起こるか?

ツイートしてくれるんですよ。自分のアカウントで。「おもしろかったよ!みんな読んでみて!」って拡散してくれるんです。



その拡散ツイートは、いったいどんな風に表示されるのか?

こう表示されます。


じゃ~ん!今の見た!?



これがもし、サムネイルにタイトルが「入ってなかったら」どうなると思います?

▼もしも、サムネにタイトルがなかったとしたら!!


クリック率死ぬほど下がるんですよ(笑)




もちろんね、左下に小さくタイトルがちゃんと表示されますよ?書いてあるけど小さすぎるのよ、これ(笑)。

可読性が低いにもほどがある



みんな普段、ツイッターでタイムライン見るでしょ?

ツイッターでタイムラインを見る時ってさ、本当に一瞬なんですよ。サッ、サッって感じで下から上にスワイプするでしょ。

あのスワイプの速度じゃ、こ~んな小さい左下のタイトルを読んでなんてもらえないんです。



だからもう、タイトルをサムネイルに書いちゃうんです。

これマジで効果抜群ですよ~!!私のnote、死ぬほどバズったんですけどおかげでPVがすごいことに。

「えっ……これ何PVあるんだ?いち……じゅう……ひゃく……せん……」

って数えないと、一瞬理解できないPVになりましたから。



だから、サムネイルはこう変えたほうが絶対に良い。

▲これがツイッターで流れてくるよりも。

▲これが流れてきたほうが「おっ」って目がとまるんですよね。



でももちろん、これはツイートからの集客を狙うことが前提です。そうじゃなくて、たとえば

すでにフォロワーがいっぱいいて、集客に不安がないよ

って状態なら絶対に今のサムネのままがいいです。なんでかっていうと、今のサムネイルの方がnoteというプラットフォームとの親和性が高いから。

▼ほら見て!すごくなじんでるでしょ?

noteのサムネイルって基本どれも明るくてかわいいのばっかり。だから、今のサムネイルのほうがなじむんですよね。

なので、「どこで集客するか」によって正解は変わってくると思う。




一行目は、二行目を読ませるために存在する

さて次、一行目見てみましょう。

▼一行目はこれ


これもう100点だよ!!!!!!!!!!!!


見て~!!!この一行目!!

「もう、驚きを通り越して絶望…」

完っっっっっっ璧。一行目として。もう完璧です。これ100点満点です。いやむしろ120点とってんじゃないかな。すっごい。かんっっっっぺき。


正直一番ドキドキしたのがココでした。

どんな一行目が来るんだろう?って死ぬほど緊張してクリックした。そしたらこの一行目ですよ。すばらしいにも程がある。これはね、もう大絶賛です。




私ね、実は「一行目が、もしもこんな文章だったらどうしよう」って、緊張してたのよ(笑)


▼こんな一行目だったらもう最悪

「noteをご覧のみなさん!はじめまして!〇〇と申します!」

「noteでの毎日更新が45日目を迎えました!!」

「みなさんこんにちは!エッセイを書いている〇〇と申します!」

「このnoteは毎日更新してます。毎日〇〇な気分になれるエッセイをお届けします。フォローよろしくお願いいします」

「さて今日は、思いついたことを書いていきますね」

「いつも私のnoteをご覧いただきありがとうございます!」

これらの一行目は、別に誰かのnoteからひっぱってきたワケじゃない。

実はこれ、全部「昔の私が書いてた一行目」なんだ。



みんなさ、どう思った?

今書いてあった一行目を読んでどう思った?少なくともさ、

「うわおもしろい!次の行では、いったいどんな文章が書いてあるんだろう?」

なんて絶対思わなかったでしょ。

だから、こういう一行目はダメなのよ。その時点で読んでもらえなくなるから。



だからさ、今回のこの一行目はほんとスゴイと思う。

この一行目の何がすごいかって、

「読んでもらうために死ぬほど考えぬいた一行目」

だってことが一目でわかる所なんですよ。



こういう文章、大っっっっっ好きだ。

悩み狂った痕跡がある文章ほど、美しいもんはない。

苦しんで苦しんで苦しみぬいた結果生まれた一行だと、本当に、一目見て、すぐにわかる。どれだけ考えたか、どれだけ悩んだか、何度消して何度書き直したか、その苦悩した様子が手に取るようにわかる。

こんな一行目、そうそう書けるもんじゃない。



この一行目の最もスゴイところはね、一行目の役割を果たしている点なんですよ。



みんなさ、一行目って何のために存在してると思う?

それはね、二行目を読んでもらうために存在しているんですよ。




私がさっき書いた最悪の一行目と比較してみましょう。

「noteをご覧のみなさん!はじめまして!〇〇と申します!」

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「みなさんこんにちは!エッセイを書いている〇〇と申します!」

これ、二行目を読む理由にならないでしょ~(笑)




一行目は、二行目を読んでもらうために存在している。じゃあどうやったら二行目を読んでもらえるのか?それはね、

「おっ、この文章は自分に関係があるぞ」

と思ってもらえる文章を書けばいいんです。




じゃあここから、今の一行目を私と一緒にさらに良くしてみましょう♡

まずね、今回のこの応募作品って、「自分の姿」をいっぱい描いてるでしょ?「リーダーに指名されて苦戦する自分の姿」を。

まぁ今回の応募作品だけじゃないですよ。他の応募作品もそう。

育児を頑張っている自分
仕事を頑張っている自分
片付けを頑張ってる自分

介護を頑張ってる自分
闘病を頑張ってる自分
起業を頑張ってる自分

こういう、「自分の姿を描いたnote」って、創作大賞ではいっぱい応募されてきますよね。



でもね、こういう「自分の姿を描いたnote」を最後まで読ませるのって、死ぬっっっっっほど難しいんです。


私ね、今まで編集者としていっぱい連載を担当してきたのよ。育児エッセイとか、介護エッセイとか、転職エッセイとか。いろんな連載を担当してきたのよ。

こういうエッセイタイプの連載って、全部「自分の経験を語る」タイプの読み物なのよね。

そしてこういう自分語りタイプの読み物って、「途中で読むのをやめる人」がめちゃくちゃ多いのよ。



これはね、本当に悩んだ。

「どうして、最後まで読んでくれないのか?」

悩んで悩んで悩んだ結果、ある答えに行きついた。



そうか、「他人の話」になんて、誰も興味がないからだ。



ほら、みんな会社でさ、飲み会あるでしょ?
でさ、だんだん上司のお酒がすすんで酔いが結構まわっちゃって、もうさっきからず~っと

「俺はなぁ、昔こうでこうでこうで、こうだったんだぞ~」

「こおおお~んなに苦労したんだぞぉ~」

「すげぇだろ、お前も頑張れば俺みたいになれるぞぉ」

って自分語りしてたりするじゃない。

あれ、誰も聞いてないでしょ。



育児エッセイとか、介護エッセイ、転職エッセイといった「自分語りタイプの読み物」って、うまくその世界観を操縦しないとまさにあの「飲み会の上司の武勇伝」になるんです。


もちろん、今回のこの作品。

これが上司の武勇伝だってわけじゃ全然ないですよ(ていうかそんな要素一つもないし、万が一あったらすぐ言う)。

そうじゃなくて、このタイプの読み物は

「最後まで読んでもらうには、とある工夫が要る」

ってことなんです。


これね、どんな工夫が要ると思います?



ふふっ、私ね、編集者12年やってこれ答え見つけた。みんなにだけ教えちゃうね。他の人にはナイショだよ。



これね、「主人公である自分」に同化してもらえばいいんですよ。



共感じゃないんです。共感通り越して同化です同化。読者に

「この人は、私だ」

って思わせることができたら、「勝ち」なんですよ。




そんなこと、本当にできるのか?

できますよ。





今からやってみせるから、よく見てね。いくよ。

まずビフォーの一行目がこれね。






これを、こうするんです。











どう?

一気に、背中がヒュンってならない?



そうなんです。

一行目で一気にこの作品の世界観に引きずり込んで主人公に同化させるには、自分が思ったことを書くんじゃ足りないんです。

そうじゃなくて、他人から言われた衝撃の一言を書くんですよ。


すると、読者はまるで自分が言われたかのような気持ちになる。すると、書き手と同化することができるんです。



「驚きを通り越して絶望」

この一行目でも、もちろん良い。

良いんだけど、リスクが高いんですよ。

どんなリスクかっていうと、

自分は別に、こんなこと思わなかったな」

と、主人公と同化しない読者を出すリスクです。



リーダーに指名された時に頭に浮かぶことって、人によって千差万別なんです。

「イヤだなぁ」だったり、
「めんどくさ」だったり、
「何いってんだコイツ」だったりするんです。

ちなみに私は編集長に任命されたとき「何いってんだコイツ」って思いました(笑)。


だからね、

「驚きを通り越して絶望」

という言葉を書いてしまうと、「読者が思った言葉」との間に乖離が生まれてしまう。すると、読んだ人はこう思うワケです。

「この人は、私じゃない」

って。同化させることに失敗しちゃうんですね。




今回の作品は、創作大賞の応募作品ですよね。

ってことは、「審査員を」自分に同化させないといけないんです。

審査員がどんな人かはわからないですよ?でも、その審査員がもしも

「驚きを通り越して絶望」

と「思わない」タイプだったら、何が起こると思います?


読むのやめるんですよ。



やめなかったとしても、この後の文章流し読みですよ。だって「この文章、別にオレには関係ないな」って思っちゃうから。
ぜ~ったいヤでしょこんなの!!(笑)せっかく応募したんだから読んでほしいじゃん!!



だから、読んでくれる人のことを、主人公である自分に同化させないといけないんですよ。

同化させるためには、「リーダーに指名された瞬間に自分が思ったこと」と「読者が指名された瞬間に思ったこと」に乖離が生まれてはいけないんです。

では、どうすればこの乖離をなくすことができるのか?




書かなきゃいいんですよ。自分が思った言葉を。

代わりに、相手が言った言葉を書けばいいんです。

「キミ、来週からリーダーね」、と。




冒頭の一行はこだわりまくれ

ここはね、実際に自分が言われたセリフをそのまま書いたらダメですよ。実際に言われたセリフって、本来はコレですよね。

▼本文から引用

「ということで、新しいチームのリーダーになってもらうことになりました」

これは本文に書くなら全然オッケー。全然オッケーどころかめちゃくちゃ完璧な一文だと思う。試しにこれ音読してみてほしい。すっごく自然なセリフになってるでしょ。これねぇ、本文中に出てくるセリフとして完璧なんです。

だけど「冒頭の一行としては」長いんです。


冒頭の一行では、一気に「このnoteの世界」に引きずり込まないといけないんですよ。読んでくれてる人の手ぇつかんで思いっきりグイって引っ張り込むんです。


そのためには、長いとダメ。

長いとダラけちゃう。するとその作品の世界観に没入できなくなる。短ければ短いほどいいんです。たとえば、

「メロスは激怒した」

「吾輩は猫である」

「西の魔女が死んだ」

これ、ダラダラと長い文章だったらどう思います?一気に駄文になるでしょ。これと一緒です。




じゃあ、この冒頭の文章

「ということで、新しいチームのリーダーになってもらうことになりました」

これをどうやって短くするか?まず、一番最初にある「ということで」を削る。するとこうなる。

「新しいチームのリーダーになってもらうことになりました」



これでもまだ長いな。長いのは語尾のせい。だから削る。するとこうなる。

「新しいチームのリーダーになってもらう」

短くなったけど、これだと「話しかけられてる感」が薄れる。だからこうする。

「君には新しいチームのリーダーになってもらうね」



もっと短くできるな。

「新しいチーム」の「新しい」がいらない。なぜなら新しいチームかすでにあるチームかなんて、読者には関係がないから。だから削る。するとこうなる。

「君にはチームのリーダーになってもらうね」



そして「チームの」もいらない。

なぜなら「リーダー」と言う言葉だけでチームであることがわかるから。だから削る。するとこうなる。

「君にはリーダーになってもらうね」



よし、短くはなった。だがインパクトに欠ける。

本文の中で心臓がキュってなるのは「いきなり来週からリーダーになることが決まった」ってところだ。だから、「来週から」を入れる。するとこうなる。

「君には来週からリーダーになってもらうね」



良くはなったがこの文章だと語感が悪い。もっとこう、音楽を聴いているかのような「耳に心地よい音」に仕上げたい。だから、こうする。

君、来週からリーダーね。



そして最後の仕上げ。「君」というこの言葉。

読みづらい。

「君」という文字のすぐ次に来る単語、「来週」という言葉が漢字であるがゆえに読みづらくなっている。パっと見た瞬間、読みづらいでしょ。

▼見てほら。読みづらい。

君、来週からリーダーね。




だから、試しにひらがなにする。するとこうなる。

きみ、来週からリーダーね。

ダメ。却下。印象がやわらかすぎる。

ひらがなにしたおかげで、可読性は高くなったよね。でも印象がやわらかすぎる紀貫之かよ。もっとこう、突き放した感じの、「冷たい印象」がほしい。




だから、カタカナにしてみる。するとこうなる。

キミ、来週からリーダーね。



これ。これで完璧。




「キミ」というカタカナだからこそ表現できる、少し相手を突き放した冷たい感じが表現できている。

「きみ」と書くよりもいい感じだよね。しかも、「君」と漢字で表記した時とは違って、パっと見た瞬間にとても読みやすい。




ビフォーアフターで比べるとこうなる。

▼これがビフォー




これが、こうなる。








物書きたちよ、悩み狂え。

一行目はね、こうやって悩み狂うといいんですよ。

狂ってないと一行目は絶対に書けない。正気を保ってたら、読んでもらうことなんてできやしない。



もしも今回、応募作品を書くときに「一行目で悩み狂わなかった人」がいるなら、声を大にして言いたい。

今回はさ、創作大賞に挑むのよ。

創作大賞で選ばれたら書籍化される可能性だってある。書籍化ってつまり「あなたが書いた文章に、お金を払う人がいる」ってことですよ。



お金をもらうなら、もうそれプロでしょ。

プロっていうのは悩み狂うものなんです。悩み狂うのがプロ。悩まないし狂わないならそれはプロじゃない。プロじゃないなら受賞することなんて絶対にないんです。

だから、ちゃんと悩み狂う。これが、すっごくすっごく大切なんです。



ここまでのまとめ


と、いうことで!ここまでで

①タイトル
②サムネ
③一行目

の添削が終わったよね。全部を直すとこうなります。ビフォーアフターを見てみましょう。こんな感じになりました!


▼Before



▼After




さて、ここまでできたら、次は本文いってみよっか!




本文を全部読んでもらえることは、基本、ない。絶対に、ない。

「そしてタイトルもサムネも一行目も、最高の仕上がりになった!!」

「ここをクリアすればもう安心!!絶対に読んでもらえる!!」

……ワケがないんです。



ここから先も、い~っぱい難関が待ち受けてるよ!(笑)

読者はねぇ、本当に読まないです。

私の、そしてあなたの文章を。



プロの編集者として断言します。

読者が読むのをやめる瞬間ってのは、この5つです。

(1)解読を迫られた瞬間
(2)読点が多すぎる瞬間
(3)物語に没入できなくなった瞬間
(4)「この人は私と違う」と思った瞬間
(5)「読み飛ばしてもいいよという愛」がなくなった瞬間

順に解説するね。



クリックしたのに、読者はたった2秒で読むのをやめる

まずは

(1)解読を迫られた瞬間に、読者は読むのをやめる

から解説しますね。



まずはファーストビューを見てみよう。ファーストビューっていうのは、クリックした後に最初に出る画面のことね。

▼この範囲をファーストビューっていう


ここはね、い~~~~ちばん読者が離脱する確率が高い場所なんです。



まず、読者の目がどう動くのか見てみましょう。こう動くんですよ。


実際けっこう多くの人が、こうやって飛び飛びで読んだんじゃないかな。



そうなんです。一行一行、丁寧に読んでくれる人ってそうはいないんです。だからファーストビューで一番大切なことは

読み飛ばしても意味が通じるようにしておくこと

なんです。



で、この観点から言うと今回のファーストビューはもう完璧。マジで完璧。だってほら、意味通じるでしょ?

だからここはなんも言うコトがない。ほんとに完璧。これできる人なかなかいない。本当にこれすごい。



でもね、「読み飛ばしても意味が通じる」ようにしたとしても、次の難関が待ち受けてます。

意味が通じたとしても、スクロールしないんですよ!!!(笑)


みんなさ、普段電車乗るでしょ?

駅の改札を通りプラットフォームへ行く。電車が来たら乗車してつり革を持つ。そしたら次の瞬間スマホを出すでしょ。で、降りる駅に到着するまでずっとスマホで読書したりメールチェックしたり映画見たりしてるよね。

私ね、電車乗ってる時スマホ見ないんです。

編集者になってからこの12年間、電車に乗ってるとき一度もスマホを見て過ごしたことがないんです。


何見てると思います?


それはね、座ってる人のスマホです。
スマホでどんなコンテンツをどんなスピードで読んでるのかを見てるんです。



もうね~、みんなすごい速度ですよ。

ツイッターのタイムラインも。
noteの一覧も。
スマートニュースのトップページも。

ゆっくりじっくり、一文字ずつなんて読んでくれないんです。

まさに、0.2秒の戦いですよ。



だからこのファーストビューもね、

0.2秒で「この先をスクロールしてもらえるか」が決まるんです。




ここ!!読者は、ここで読むのをやめる!!

だから私、noteでもブログ記事でもライターの原稿でも、

「どこで読者が読むのをやめるか」

が手に取るようにわかるんです。だって12年も他人がスマホで文章読むとこ観察してるんですもん。もう秒でわかりますよ。



今回の作品だと、どこでやめる可能性が高いかっていうと、ここです。


ごめんこれ本っっっっ当に傷つくよね。


でも伝えなきゃ。絶対にこれ伝えなきゃフィードバックの意味がない。

なぜここでやめるのか、どうすればこの先読んでもらえるのか、しっかり解説するね。




「自分の文章を読んでもらえなかった」という経験は、なにごとにも代えがたい価値ある経験

私ね、Web媒体で編集者やってたって言ったじゃない?


この媒体はね、上場企業が運営する結構大きな媒体だったのよ。大きな媒体だから、掲載した記事は自社媒体だけでなくスマートニュースとかYahoo!ニュースといった外部のサイトにも配信されるのね。



外部のサイトに配信されると何が起こるか、知ってる?

電車で、目の前の人がスマホで読んでるスマートニュースに、「自分がさっき掲載したばかりの記事」が載ってたりするのよ。

これはもうWeb編集者なら日常茶飯事。毎日起きる出来事なのよ。

見られてる人からすると恐怖だよね。今自分が読んでる記事を書いた本人が真後ろにいるんだから。




夜、20時過ぎ。

会社を出て、家に帰るために電車に乗る。

Suicaを叩きつけてプラットフォームに行く。
ちょうど電車が来たところだ、ラッキー、待たずに済んだ、結構混んでるな、奥の方いくか。

外は真っ暗、窓が反射してる、ぐったりした自分の顔が映ってる、あぁ今日も疲れた、早く帰りたい、もう疲れたからご飯はいいや、シャワーだけしてすぐ寝よう。

そんなことを思ってつり革をにぎりしめる。下をむく。すると目の前に座ってる人のスマホがふと目に入る。その人はスマートニュースの記事を見ている。


さっき私が掲載したばかりの記事だった。

「あ、私が書いた記事」。

そう思った次の瞬間。

スルーされんのよ。



親指を上にスっと動かして、その人は別の記事に行っちゃったの。
スワイプしてくれなかった、途中で読むのをやめてしまった。

読んで、もらえ、なかった……。

じゃあ何?

さっき掲載した記事なんて明日にまわして、さっさと帰ればよかったじゃん。私が残業した意味、ないじゃん。

って思った。




これ、毎日続いたよ。毎日だよ、毎日。もうイヤになったよ。本当に本当にイヤになった。

朝の満員電車、夜帰るときの電車の中。平日5日間ずっと。

自分が働いている意味とか、あんのかなって思ったよ。

どうせコレ書き上げてもまた無視されんだろうなって思ったよ。

正直もう書きたくなかったよ。どうせコレも読んでもらえないんだから。

自分が書いた記事を無視される経験を、何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も経験した。



だから、です。

だから私は、

「絶対にたとえ刺し違えてでも、絶対に、最後まで読ませてやる」

って狂気で書いてるんです。



「一気に最後まで読んでしまった」

私が書いたnoteに寄せられる感想で一番多いのがコレだ。

他のnoteのコメント欄を見てみてよ。実際これが一番多いよ。4万字だろうが7万字だろうが絶対に最後まで読んでもらえてるんです。すごい時には、

「終わるのが寂しくて途中ムダにトイレとか行ってみたんですけど、結局続きが気になって最後まで読んじゃいました(笑)」

とまで言ってもらえたこともあったよ。



これはね、「自分の文章を無視される経験」を何度も何度もしたからなんです。



「読んでもらえなかった」っていう経験はね、何よりも価値があるんですよ。

この経験がないと、「読んでもらうためにすべての力を注ぐことができる物書き」には絶対になれない。

だから、「ここだよ。ここで読むのやめるよ」って伝える。

絶対に傷つくってわかってても伝える。

そのことに、どれほど価値があるか知ってるから。





読者に「解読」を迫ってはいけない

でね、私は今、ここで離脱されるよって言ったじゃない?

▼ここね


読者はなぜ、ここで読むのをやめると思います?



この「読者が読むのをやめる瞬間の文章」さ、

77%が「管理職になりたくない」、男女で違う理由

って書いてあるよね。

この文章、一瞬「ん?」ってなるんです。




もしもタイトルが

「管理職になりたくない理由」は、男女で違う

だったらすんなり理解できますよね。また、

77%が「管理職になりたくない」、その理由は?

だったとしても、すんなり理解できますよね。でも

77%が「管理職になりたくない」、男女で違う理由

って書かれると一瞬「ん?」ってなる。



本文を読むと

「77%の人が管理職になりたくないと答えてはいるが、その理由は男女で違うよ」

っていう意味だとわかるんですけど。でもこれ、瞬時に理解するのって難しいんです。



もちろんこれ、私の読解力が低いだけっていう理由もありますよ。

私の読解力のせいっていうのもあるんですけど、じゃあほかの読者が読解力を高くして「たまたまクリックした無料noteの文章」をじっくり読んでくれるかっていったら、そうはならないんですよ。



みんなもそうでしょ。

電車乗ってるときとか、朝起きて布団の中でスマホいじってるときとか、カフェでコーヒー待ってる間とか。

学校の国語のテストを解くときみたいに、注意深く一文ずつ読んだりしないでしょ。

ぼーっと文章読むと思うんです。あれです、あの感覚です。「読解力が自然とゆるんでいる」あの状態で、noteって読むんですよ。

だから、一瞬でも「ん?」っていう「解読が必要な文章」が出てくると、読むのをやめちゃうの。



あなたは、読者に解読を迫ってませんか。

これは、とあるライティングの本に書かれていた言葉だ。


まさに、これです。解読を迫られたら、読者は解読しようとはしないんです。読むのをやめるんです。
だから、解読を迫る文章は絶対に書いちゃだめなんです。




一文一意にすると、文章は読んでもらえる

じゃあ今回の場合ならどうするか?簡単ですよ。要約しちゃえばいいんです。


この青で囲まれている箇所。これって引用文ですよね。


引用元はニューズウィークという媒体。ニューズウィークってすごく有名な媒体じゃないですか。すごい媒体だから、読者はこの媒体の文章を読む時、「きっといい文章が書いてあるだろう」「だから心して読もう」とじっくり読んでくれるんです。



でも、「個人が趣味で書いているnote」ってそうじゃないんです。

じっくり読んでもらうことが前提じゃないんですよ。そのような「じっくり読んでくれないことが前提の自分のnote」に、「じっくり読んでもらえるタイプの文章」を書いちゃだめなんです。

たとえそれが、引用だったとしても。




だから、「読まれる文章」に要約しちゃえばいいんですよ。

では、一体どう要約すればいいのか?

今から実演してみせるね。いくよ。



まず、冒頭から直していきましょう。

この「77%」をトルツメします。

なぜならば、引用の文章の中に「こんなに管理職になりたくない人は多いんだよ」っていうトピックが出てこないから。だから、「77%」という数字はいらない。だから消す。


すると、こうなります。

ここはこれでオッケー。


さて次の行に行きましょう。ここです。

この一文は丸ごと削除です。なぜなら、その後の引用の文章で「男女で理由が似ている」ってトピックが出てこないから。


また、もう一つ修正しないといけないポイントがあります。

この文章、「管理職になりたくない理由が似ている」という所で、いったん意味が終わりますよね。意味が終わるなら、ここで区切るんです。

区切るとこうなる。


どんなときでも、読みやすい文章を書く原則は「一文一意」。
一文の中に、意味が一つしかない状態にするんです。
そうすれば読者の負担が少なくなります。だから、区切る。


そして最後の一文も同じように直す。

今のままだと、二つの意味が入っちゃってますよね。

「女性の方が男性よりもライフステージの変化が大きい」という意味と、「だからプライベートは犠牲にできない」という二つの意味です。

ここも一文一意の原則に従って直す。するとこうなる。


ここまで修正して、ようやく「読まれる文章」になるんです。


さて、今やった修正のビフォーアフターを見てみましょう。こんな感じです。

▼Before

77%が「管理職になりたくない」、男女で違う理由

男女とも管理職になりたくない理由は類似していますが、特に「仕事・残業が増える」という理由において男性よりも女性のランキングが高い結果から見ると、ライフステージの変化が大きい女性には家庭やプライベートを犠牲にする働き方は望まないという傾向が強いと考えられます。


▼After

「管理職になりたくない」、男女で違う理由

「仕事・残業が増えるから管理職になりたくない」。こう回答した人は、男性より女性の方が多い結果となりました。

その理由としては、「男性よりも女性の方が、ライフステージが大きく変化するから」であることが考えられます。

ライフステージが大きく変化しやすいからこそ、「家庭やプライベートを犠牲にする働き方」を望まない女性が多いのでしょう。



ね?

まっっっっったく違うでしょ。


ここまでやれば読者に「解読」を迫ることがなくなる。そうすれば、途中で読むのをやめるなんてこと、絶対になくなるんですよ。



繰り返しますが、別に元の文章がダメってわけじゃないですよ。

元の文章は誰もが知ってる有名なWeb媒体に掲載されている文章です。有名だからこそ、「きっとスゴイ文章が書いてあるに違いない」と読者は心して読んでくれるんです。


でも、その「スゴイ媒体」に掲載された

「絶対に読んでもらえる前提の文章」

を「個人が趣味で書いたnoteの文章」に引用すると、読者に解読を迫ることになる。解読を迫られたら読者は読むのをやめる。だから、そのまま引用しちゃだめなんです。



つまんなかったら読まれない残酷な世界

解読を迫られた瞬間ね、どんだけおもしろい文章もつまらなくなるんですよ。

つまんなかったら、読まれない。残酷だけど、これが現実なんです。

これはね、書いた人がどれだけすごかろうが、関係ないですよ。

創作大賞の受賞者だろうが、どっかの大手Web媒体の編集長だろうが、芥川賞の受賞作家だろうがベストセラー作家だろうが、芸能人だろうが関係ない。

つまんなかったら、読まれないんです。

だから、「読まれること」に、みっともないほど執着しなければいけないんです。



こういうと、きっとこう思った人がいると思う。

「でもさ、自分はまだnote初心者だし。そんなに一生懸命、読まれることにこだわらなくていいや」

これね、逆です。

初心者だからこそ、「読んでもらうこと」に死ぬほどこだわるんです。



だって読んでもらうために書いてるんじゃないの?



読まれなかったら書いた意味がない。
読まれないんだったら書かなくていいんだよ。

文章は、書いて終わりじゃない。

届けるまでが、書き手の仕事だ。

だから、届けきるために何をすべきか、考えて考えて考えて考えまくるんです。



多くの人が誤解してるんだけど、「、」はこうやって打つ

さて、次の解説行きましょう。

▼今ココ

(1)解読を迫られた瞬間
(2)読点が多すぎる瞬間
(3)物語に没入できなくなった瞬間
(4)「この人は私と違う」と思った瞬間
(5)「読み飛ばしてもいいよという愛」がなくなった瞬間

読点っていうのは「、」のことね。この読点が多すぎると読者は読むのをやめちゃうんです。



読者ってね、

「なめらかに読めないな」

と思った瞬間読むのをやめちゃうのよね。



なめらかに読めない文章の特徴っていくつかあるけど、一番よく見るパターンがコレ。

「、」が多すぎる



これさ~、私新人編集者だったころ死ぬほど上司に注意されたよ(笑)。「読点多すぎる。読みにくい」って。

っていうか今もだよ、今も。




初めて自分の書いたnoteが書籍化された時、私自分の本の校正自分でやったのね。死ぬかと思った。3日かかった。
でもその後、一応編集プロダクションのライターさんにも文章チェックしてもらったんだけど、一つだけ指摘が入った。

「読点が多いです」って。

だからね、みんなが読点をつい多くしちゃう気持ち、めっちゃわかる。



今回のこの作品にも、(全部じゃないけど)何か所か読点を少なくしたほうがいい文があった。例えばこれね。

結果リーダーは引き受けたものの実際にリーダー業務が始まるとその大変さにどこから手をつけていいのかわからず課題が山積みで途方に暮れていました。



読点がある場所って、つまりこれ

「音読したときに、ここで息継ぎしてね」

って合図なのよ。



今さっき引用した文章を音読してみるとわかるんだけど、息継ぎが多くなっちゃうの!(笑)

▼ほら、音読してみて

結果、リーダーは引き受けたものの、実際にリーダー業務が始まると、その大変さにどこから手をつけていいのかわからず、課題が山積みで途方に暮れていました。



だから、こう直すといい。

結果、私はリーダーを引き受けることに決めました。

しかし、実際にリーダー業務が始まるとあまりに大変。どこから手をつけていいのか、さっぱりわかりませんでした。

とにかく課題が山積みで、途方に暮れる毎日。

こうやって区切っちゃえばいいのよ。こうすると「、」が少なくて済むからすご~くオススメ♡



私もそうだったんだけど、読点って「意味が区切れる箇所に打つ」って思ってたのよね。

もちろんこれは合ってるよ?合ってるんだけど、意味が区切れる箇所に打つ目的って「読みやすくする」ことなんだよね。

だから、意味が区切れる場所に読点を打った結果、「読みづらくなる」のであれば読点は打っちゃいけないんだ。

たとえそこが、意味の区切れであったとしても。




「あーこの人、私と一緒」と思ってもらえなかったらその時点で試合終了

さて次の解説いきましょ~!

▼今ココ

(1)解読を迫られた瞬間
(2)読点が多すぎる瞬間
(3)物語に没入できなくなった瞬間
(4)「この人は私と違う」と思った瞬間
(5)「読み飛ばしてもいいよという愛」がなくなった瞬間

読者は、物語に没入できなくなった瞬間に読むのをやめます。



どういう瞬間に、物語に没入できなくなるのか?

それはね、「セリフ」がなくなった瞬間です。




今回の応募作品なら、ココ!!

結果、リーダーは引き受けたものの、実際にリーダー業務が始まると、その大変さにどこから手をつけていいのかわからず、課題が山積みで途方に暮れていました。

・誰がどんな業務をやっているのかわからない
・ちょっとした問い合わせも担当者しか答えられない
・業務のマニュアルがなく、口頭で業務を引き継ぎされている

この文章だと、読者が主人公と少々同化しづらいんですよね。説明的な文章になってるから。




だから、こう書けばいいんです。

実際にリーダー業務が始まると、課題が山積みで途方に暮れました。

「この業務、いったい誰がやってんの?」

「ちょっと待って、こんな簡単な質問『担当者しか答えられない』なんておかしくない!?」

「うっっっそでしょ、マニュアルないってどういうこと!?」

「は!?口伝されてる!?冗談だろ民族の神話じゃないんだぞ!?音声だと流れて消えるだろうが文字で固定しておけよ!!!」

あっヤベ、自分の口調が入っちゃった。

私もチームリーダーやったことあるからさ。なんか当時自分が思ってたことが出ちゃった(笑)。

まぁここまでガッツリ属人的に書かなくてもいいけど、ちゃんとセリフにはしたほうがいい。



ほら見て。さっきの元の文章と比較すると、一目瞭然!

▼Beforeの文章はこれね

実際にリーダー業務が始まると、課題が山積みで途方に暮れていました。

・誰がどんな業務をやっているのかわからない
・ちょっとした問い合わせも担当者しか答えられない
・業務のマニュアルがなく、口頭で業務を引き継ぎされている

ねっ!!!私がやったみたいにセリフにしちゃったほうが、主人公に同化しやすいデショ。



「話言葉」を狡猾に使う

みんなさ、他の作品読んだ?

創作大賞に応募されてきた、他の作品。



今回も、たくさんのエッセイが応募されてきましたよね~!!

私その作品を大量に読んだんですが、「あー!!ここ、こう書けばいいのに!」って一番思ったのがこれですよ。

もっと、セリフを書けばいいのに!



文章って、説明文になると途端に「あーこれ自分には関係ないな」って読者は思っちゃうんです。

だから、狡猾に、戦略的に、意図的に。

セリフを書く。

これマジでやってみて。読了率が爆発的に上がるからほんっっっとオススメ。




エッセイを書くとき、自分の名前を絶対に出してはいけないワケ

私いま、「主人公と読者の同化を解除させないために、説明文ではなくセリフを書け」って言ったけどさ。

主人公と読者の同化が解除される瞬間は他にもある。どんな時か?それはね、

「書き手の名前が出てきた瞬間」

なんです。




たとえば、この文章。

主人公が課長に呼び出され、リーダーに指名されるシーンなんだけど、読んでみて。

なんだろう?

急に呼び出されるなんて、なんか不安…とちょっとソワソワしながら会議室に入ると、課長は一言、こう言いました。

「実は、とろろさんにお願いしていたプロジェクトは、中止になりました」




ここ!!!ここ見て!!!

「とろろさん」って名前が書いてあるでしょ!!



これはね、書かない方がいいんです。



なんでかって言うと、書いた人の名前なんて覚えてないからですよ、読者は。

創作大賞の応募作品って、一覧に出てきますよね。こんな感じで表示されてて、この青い所をクリックしますよね。


▼こういう風に表示される

この作品をクリックする瞬間、読者は書いた人の名前なんて見てないんです。



見てないから、読者は当然書いた人の名前なんて知ってるワケがない。知ってるわけがないから、本文中にいきなり「とろろさん」って出てくると「ん?」ってなるんです。



もちろんね、少し考えれば

あ、書いた人の名前って、とろろさんって言うんだ

ってわかるんですけど。でもこれ、大きな大きな問題があるんです。

どんな問題か?

「書いた人の名前って、とろろさんって言うんだ」って思ったその瞬間、ここで完全に主人公との同化が解除されるんです。



そうすると何が起こるか?

この先の文章を、「自分ごと」として読んでくれなくなるんです。

「この先どうなるんだろう」
「どんな展開になるんだろう」
「ドキドキする、すごく気になるな」

ってならなくなる。だから、読むのをやめるんです。



だから私のエッセイも、「私の名前」は絶対に出てこないんですよ。文章の中で「他人が私を呼びかけるシーン」は描かれてはいるんですが、ただの一度も

「華さん」

って名前は絶対に書いてないんです。



だっていきなり「華さん」なんて言葉が出てきたら「いや誰!?」ってなるから(笑)。実際、今「華さん」なんて名前が出てきて初めて私の名前が華だと知った人もいるんじゃないかな。

だから、どんなときも絶対に自分の名前は出さない。

それは、読者との同化を解除させない戦略なんです。



ふふっ。ここまで言うと、気づいた人がいるでしょ?



そう、今まさにあなたが読んでいるこのnote。

このnoteのタイトルは、「創作大賞の応募作品を添削してみた」ですよね。

応募作品の添削がテーマだというのに。

応募作品を書いた「とろろさん」の名前が一度も出てこないんですよ。



これも、同じ理由ですよ。

今回の添削の結果って、別にとろろさん本人「だけ」に向けて書いたわけじゃない。そうじゃなくて、創作大賞に挑んだすべての人に向けて書いてるわけです。

ってことは、「とろろさんに向けて書いた文章を、自分に向けて書かれた文章だ」って思ってもらう必要があるんです。



だから、わざと書かなかったんです。「とろろさん」っていう名前をね。とろろさんって書いちゃうと、

「あ、とろろさんっていうこの方のために書いたのね。じゃあ私には関係ないや。じゃあ読まない」

ってなるから。

だから、名前は書いちゃだめなんです。読んでもらうために、ね。



できない人間は、「デキル人間」が大嫌い

さて次の解説行きましょう~!

▼今ココ

(1)解読を迫られた瞬間
(2)読点が多すぎる瞬間
(3)物語に没入できなくなった瞬間
(4)「この人は私と違う」と思った瞬間
(5)「読み飛ばしてもいいよという愛」がなくなった瞬間

読者はね、「この人は私と違う」と思った瞬間に、読むのをやめます。



今回の作品って、要約するとこういう話じゃないですか。

・リーダーに任命された

・リーダーを始めてみたら、カオスだった

・でもそのカオス状態、「片付け術」を応用してみたら解決できた

ですよね。最後の一行を見てほしい。「片付け」って言葉が出てくるでしょ。



この「片付け」って言葉で、読者は瞬時に警戒するんですよ。

これ、なんでだと思います?




私普段ね、ツイッターで片付けのコツを発信してるの。

▼私のアカウントがこれ


これはね、私自身が普段片付けについて発信しているからこそ、声を大にして言いたい。

「片付けが苦手な人」ってね、「片付け上手な人」がキライなんです(笑)。

これはね、片付けについて発信しているすべての人が知っといたほうがいいですよ。絶対に。



正論は正しいが、正論を言う人は正しくない

私自身がそうだったんですけど、たとえばほら、片付け本を読むことってあるじゃないですか。

自分で買うことがなかったとしても、美容室で出された雑誌に片付け特集が載ってたりするでしょ?



ああいう片付け本ってね、「正論」が書いてあるんですよ。たとえば、こんな正論が。

「えっ?本が家に大量にある?本は読んで情報を得るためのものですよ!読み終えたなら売りましょう!」

って。


でもまぁ別にこれはね、片付け本を書いた人が悪いわけじゃない。だって片付けるためには正論を言わないといけないんだから。

だけど正論言われるのイヤなのよ~~!!(笑)

私もさ、昔買った片付け本を読んでたら「〇〇しましょう!」のオンパレードでうんざりしちゃったもん。だから

「そりゃあんたはできる人だから良いけどさぁ」

って思ってました(笑)



おまけに私が買ったその本ね、最後には

「モノは使ってなんぼ。使ってないなら捨てなさい」

という剛速球のド正論が書いてあったんです。



こういう言葉をね、片付けが絶望的にできない人が読むとどう思うか。こう思うんです。

んもぉおおお~~!!(号泣)

捨てるかどうか判断がつかないから持ってんの!!!いつか何かに使うかもしれないでしょ!!!

まだ壊れてないでしょ!!!これ高かったの!!!!思い出の品なの!!!!捨てて後悔なんて絶対したくないの!!!

なんでそんな簡単なこともわかってくれないの!!!!!メイのばか!!!!!!もう知らない!!!!!!!!!

ってなるんですよ。




できない人間は、「デキル人間」が好きじゃないんです(笑)

だってうらやましいんですもん。だから、片付けの発信をする人は、

「片付けが苦手な人からは好かれづらい」

ってことを死ぬほど意識しておくといい。そのほうが、読んでくれる人によりそった文章を書けるから。



「私とあなた」ではなく「私たち」を目指せ

多分なんですけど、片付けって「得意な人より苦手な人の方が多い」と思うんです。だからこそ、これだけ数多くの片付け本が出版されてると思うんですよね。

ってことはですよ?今回の応募作品を読む審査員も、「片付けが苦手な人」かもしれない。つまり審査員に嫌われる可能性があるんですよ。



じゃあどうすれば、嫌われずに済むのか?

それはね、同類であることをアピールすればいいんです。



どこでアピールするか。今回の作品でいうとここです。この文章!!

汚部屋だった我が家が、家の7割のモノを手放したことで、日々の暮らしがラクに暮らしやすくなりました。

ここの文章で「私はあなたと一緒だよ」と、もっともっともっとアピールするんですよ。



具体的にどうするか?こう書けばいいんです。

クタクタになって。帰ってきた。


玄関のドアを開ける、靴を脱ぐ、リビングに行く、電気をつける。
パっと明るくなった部屋の真ん中にテーブルがある。


ぐっちゃぐちゃのテーブルが。


ポストからとってきてそのまんまの郵便物が散乱してる。
ディズニーで買ったお菓子の缶がカラフルで目にうるさい。
飲み終わって片づけてないコーヒーのマグカップがそのまんまだ。
使ってそのまましまわずにいるハサミとホチキス。

昨日の夜、ご飯つくるのイヤでセブンで買ってきた弁当についてた割りばし、結局使わなかったな。そのままテーブルに置いてあるわ。

ってかお菓子の空き箱にペンとかメモ帳とか電池いれまくってたらもうあふれそうだな、限界だわ箱増やすか。


あれ?そういえば。
テーブルって、そういえばご飯食べる場所だよな。
これ、ご飯置くとこないんだが?


……誰だよ、ここまで散らかしたの。



たった今、私が書いたこの文章を読んだそこのアナタ。

「うっそだろ……うちのリビングのぞかれてる?」

って思ったでしょ。



これですよ、これ。

こうやって、読者に「あ、この人自分と一緒だ」って思ってもらうんです。



だから私ねぇ、ツイッターで片付けのコツ発信してますけど。「いかに自分がダメか」を伝えるツイートを時々するんです。

▼たとえばコレ


これはね、「自分がどれだけ収納が下手か」をつぶやいたツイートなんですけど。これは、「あ、この人自分と一緒だ」って思ってもらうためなんです。

キラキラした生活、すっきり片付いた部屋。そんなツイートばっかしてるとね。

「この人、自分の敵だ」

って思われるんです。



敵だと思っている相手の言葉なんて、聞きたくないじゃないですか。

私は「みんなの部屋が片付いたらうれしいな」と思って、片付け発信をしています。それなのに、

「コイツが言ってること、聞きたくない」

なんて思われたら、もう誰も私のツイートなんて読んでくれないんですよ。

だから、ちゃんと「私はあなたの気持ちがちゃんとわかる側だよ」って伝えるようにしてるんです。



……でもまぁ、今こんな偉そうなこと言いましたけど。

正直これ普通に「マジで私収納ヘタだな」って思ったからつい出ちゃったレベルのツイートなんですけどね。ほんとにただ思いついたからツイートしただけ。でも結果として、

「私と一緒~!!!」

ってたくさんの人に言ってもらえました(笑)。これですよ。これで、いいんです。




もちろん、片付けをテーマにする以上

「片付けたらこういう部屋になったよ」

という理想の未来を見せることは大切です。だってその理想の未来を手に入れるために、人は部屋を片付けるんですから。

でも、「こんなに片付いたよ」「こんなに素敵な暮らしをしているよ」って発信ばかりにしてしまうと、片付け苦手な方から苦手意識を持たれちゃうんです。



この塩梅が難しいですよね(笑)。

理想の未来を見せないと、「うっわ~!!素敵!私も片づけよ!!」って気持ちにならない。
かといって理想の未来「ばかり」を見せると「この人の発信見てると片付けできない自分がイヤになるなぁ、イヤな気持ちになるからこの人の文章読みたくないな」なんて思われちゃうんです。




こないだね、私自分の部屋でお茶している写真をツイートしたんですよ。

▼これね

そしたらこういうリプが来ました。なんだっけな、ウロ覚えなんだけど、

「あ~!!はいはい!!よかったですね!!」

みたいなリプが来たんです。


いやわかるぅ~~!



いやこれ気持ちめっちゃわかる。私も暮らし系の雑誌を読み漁ってはおんなじこと思ってましたもん(笑)。あー、はいはい、よかったね!!って。



「理想としている未来をつかんだよ」という発信はね、片付けに限らずある種の暴力性をはらんでいるんです。

「あなたはこの未来をつかめませんでしたよね」っていう現実を突きつけてしまうという暴力性です。



もちろん、「あーはいはいよかったね!」なんて、こういう嫉妬には意味がないですよ。

嫉妬って、自分から勝手に戦いを挑んで、勝手に負けてるだけですからね。

「いや負けるのわかってるなら挑むなよ」って話じゃないですか嫉妬「された側」からするとね。だから嫉妬なんて、本当にマジで意味がない。



ただ、

「あ~!!はいはい!!よかったですね!!」

ってリプを送ってきた人の気持ちは、正直すっっっっっっごくわかる。仲間意識芽生えすぎちゃって「ガムいる?」って求愛行動とりそうになったもん。



もちろん、こういうリプは送らない方がいい。相手にとっても意味がないし、自分もさらにモヤモヤするだけだからしない方がいいですよ。

でもね、私は発信「している側」である以上、そういったリプが来たという現実はちゃんと受け止めないといけないんです。理想の未来を見せすぎたんだなって。塩梅を間違えたんだなって、受け止めないといけないんです。



もしかしたらこの方以外にも来てるかもしれない(笑)。私の通知欄こんなんだから正直全部のリプは追えてないのよ。

すごいスピードであっという間に流れていく




これはね、みんなも一緒だよ。

みんなも自分が書いた文章で読者に

「あ~!!はいはい!!よかったですね!!」

と思われてしまうとね、「私とあなた」という読者との関係が敵対関係になっちゃうんですよ。読者に、敵と思われてしまったら読んでもらえなくなっちゃう。


だから、文章を読んでもらうために大切なのは、読者との関係を「私とあなた」ではなく「私たち」にすることなんです。



これはね、文章のプロはみんなやってるテクニックなのよ。いやもうテクニックっていうか「守らなきゃいけないルール」って感じかな。

ためしに、自分が大好きなnoterさんの文章読んでみるといいよ。「私たち」という言葉が出てこなかったとしても、すべての文章が「私たち」って主語という隠れた主語で支えられてることに気づくと思う。




だからね、文章の中で意図的に「私たち」って言葉を使うの、すっごく良いことですよ。

気づいた人いるかな。私ねぇ、自分のnoteでわざと「私ら物書きは」って主語をよく使うんです。今回書いてるnoteもそうよ。たとえばここに出てくる。

ね?これは、「私とあなた」を、「私たち」にするための仕掛けなんですよ。




「読み飛ばしていいですよ」という合図を必ず入れること

さて、いよいよ最後の解説行きましょう!

▼今ココ

(1)解読を迫られた瞬間
(2)読点が多すぎる瞬間
(3)物語に没入できなくなった瞬間
(4)「この人は私と違う」と思った瞬間
(5)「読み飛ばしてもいいよという愛」がなくなった瞬間

読者は、「読み飛ばしてもいいよという愛」がなくなった瞬間に読むのをやめます。



いや待って!!!読み飛ばされたら困るでしょ!!!!!!

ってみんな思うでしょ。

でもこれねぇ、どんだけ頑張っても無理なんですよ。どう頑張っても、読者は読み飛ばすもんなんです。



いいですか。

一言一句読んでもらえるのはね、お金を出して買った文章だけです。

つまり本ですよ、本。有料noteでもいい。お金を出した以上、元とりたいじゃない?だから、読者は一言一句読むんです。


でも無料で公開しているnoteって、元をとりたいなんて当然思わない。だから、どんだけ頑張っても一言一句なんて読まれるわけがないんです。



じゃあどうすればいいかっていうと、もう読み飛ばされることを前提にして書けばいいんですよ。

これはもう愛です、愛。

読み飛ばしてもいいよっていう、読者への愛なんです。


じゃあその愛を表現すると、文章は一体どうなるのか?
どこでもいいんですけど、例えばこの画面見てみましょう。





これをね、こう変えるんです。






つまり、塊をつくればいいんですよ。トピックごとに。

トピックごとに塊をつくると何が起きるか?「この塊は読み飛ばしてもいいや」と読者が気軽に判断できるんです。



今私が分けた塊って、こうなってますよね。

こういうのってね、「目で全体を眺めた時に入ってくる単語だけ」で、何の話をしてるかだいたいわかるんですよ。



ほら、これ見て。



一番上の塊、「急に呼び出し」って単語で「あ、呼び出されたんだな」とわかりますよね。だからその後の二行は読まないで済む。

二番目の塊、「実は」という単語で呼び出した理由が書かれていることがわかる。だからその後の数行は読まないで済む。

三番目の塊、「チームのリーダーに」という言葉で「呼び出しの結果どうなったか」がわかる。だからその後は読まないで済む。



全文を読まなくていいんです。

これが読者への愛ですよ。

愛がないと、誰も自分の文章なんて読んじゃくれないんです。




Webの文章は読むものではない。見るもの。

ここで一つ、すごいこと言うね。

Webの文章はね、読むものじゃなく見るものなんです。



実際、普段あなたが他の人のnoteをクリックしたとき、「どうやって自分の目が動いているか」を意識するとわかりますよ。

読んでないでしょ。

そうなんです、「見てるだけ」なんです。



じゃあどこを見ているのか?
太文字ですよ、太文字。



だから、太文字だけ読めば意味がつながるように書けばいいんです。

今読んでるこのnoteもそうですよ。いったん上まで戻って、ざ~っと流し読みしてみてほしい。太文字だけ読めば意味が通じるようになってるでしょ。

これが、大切なんです。

読者は一言一句読んではくれない。だから読み飛ばされる前提で文章を書くんです。



「ここ重要だよ!」という文字が多すぎると、逆に重要だとみなされなくなる

だからね、注目しなくても大丈夫な箇所は、太文字にしちゃいけないんです。

というかそもそもね、太文字が多すぎると逆にどこにも注目してもらえないんですよ。



たとえば、ここ。

これはね、もっと太文字を減らしたほうが逆に読んでもらいやすくなるんです。



いったいどれくらい減らしたほうがいいのか?

簡単です。

「一つの画面の中に、太文字が一つだけある」

状態まで減らすんです。




今読んでくれてるこのnote、一回上まで戻ってさ~っとスワイプしてみてほしい。するとね、どこでストップしてもだいたい「一つの画面の中に、太文字が一つしかない」状態になってるんですよ。



たとえばこんな感じ。


ね?

こうすることでと、太文字って初めて際立つのよ。際立つから、読んでくれる。だから、太文字は乱用しない。これがと~っても大切なんだ。




「読者が読むのをやめる瞬間」まとめ

うっし、じゃあここまでまとめましょう。

読者は、絶対に最後まで読んでくれない。読むのをやめる瞬間は、この5つだ。

(1)解読を迫られた瞬間
(2)読点が多すぎる瞬間
(3)物語に没入できなくなった瞬間
(4)「この人は私と違う」と思った瞬間
(5)「読み飛ばしてもいいよという愛」がなくなった瞬間

これさえ阻止できれば、最後まで絶対に読んでもらえる。ぜひやってみてね。



あとは簡単に修正するだけ

さて、あとはちょっとだけ細かい修正見てみましょう。本当に細かいから、ここはサラっといくね。


■「てにをは」を直す

「ということで、とろろさんは、新しいチームのリーダーになってもらうことになりました」

これはこう直す。

「ということで、とろろさんには、新しいチームのリーダーになってもらうことになりました」



■句点忘れ

例えば、クローゼットの片付けだったら、こんな感じです

句点がない。だからつける。

例えば、クローゼットの片付けだったら、こんな感じです。



■半角数字で統一

しかし、当時ワーママ歴6年目で小3と年長の娘を育てている私は、不安でいっぱいでした。

6が半角、3が全角なので半角に統一する。

しかし、当時ワーママ歴6年目で小3と年長の娘を育てている私は、不安でいっぱいでした。



■常用外漢字は使わない

モノを収納から全出しすると、殆どの方は「こんなにたくさんのモノ、片付けるの無理だよーーーーー」って気持ちになります。

常用外漢字があるので、ここはひらく。ひらくっていうのは、漢字をひらがなにすることね。だからこう直す。

モノを収納から全出しすると、ほとんどの方は「こんなにたくさんのモノ、片付けるの無理だよーーーーー」って気持ちになります。



■たりは二回繰り返す

夜中に目が覚めて、「昨日相談された、あの仕事の判断は間違っていたかも…」と思い出して眠れなくなったり、明日のタスクを思い出したら、忘れないように起きてメモに書かないと眠れなくないことも日常茶飯事でした。

「~たり」という言葉を使ったら、次の文章も「~たり」にする(これを「たりの法則」という)。

夜中に目が覚めて、「昨日相談された、あの仕事の判断は間違っていたかも…」と思い出して眠れなくなったり、明日のタスクを思い出したら、忘れないように起きてメモに書かないと眠れなくなったりと、こういったことが日常茶飯事でした。



■タイポは直す

次にのステップは「②まとめる」です。

「に」がいらない。

次のステップは「②まとめる」です。



■二重カギカッコは使わない

家のお片付けでも、私が1番最初にヒアリングするのが『片付いた部屋で何をしたいのか』です。

二重カギカッコを使っていいのは2パターンだけ。

「カギカッコの中にカギカッコを入れる時」と「書籍・映画のタイトルを入れる時」だけ。だからこう直す。

家のお片付けでも、私が1番最初にヒアリングするのが「片付いた部屋で何をしたいのか」です。



■表記ゆれを直す

ゴールを設定した時に、私が具体的にやったは、『チームとしてのゴールを書いたスライド1枚を共有』したことです。

一行の中に、「事」と「こと」と表記ゆれがあるからこれを直す。

これは、「こと」に統一。なぜならこの場合の「こと」は実質名詞ではなく、文章を名詞化する役割を持った「形式名詞」だから。なので、ひらく。

ゴールを設定した時に、私が具体的にやったことは、『チームとしてのゴールを書いたスライド1枚を共有』したことです。




■機種依存文字は使わない方がベター
機種依存文字を使うと読者の環境によっては文字化けする危険性がある。だから一応直す。

「① 分ける」
「② まとめる」
「③ 片付ける」です。

上の文章で言うと、①という番号が機種依存文字。これをこう直す。

「(1) 分ける」
「(2) まとめる」
「(3) 片付ける」です。



■記者ハンドブック

あともしこれがWeb媒体に掲載する連載の原稿だったら記者ハンドブックに準じてもらう必要があるので全部直す。

記者ハンドブックっていうのは、

「正しい日本語で伝わる文章を書くための表記ルール」

のことね。ライターとか企業の広報とかが使ってるやつ。

「あなたの文章、読みにくい」って言われたことある人はもう絶対に買った方がいいよ。驚くほど文章上達する。

この記者ハンドブックに準じると、こう直すことになる。

例えば、クローゼットの片付けだったら、こんな感じです

たとえば、クローゼットの片付けだったら、こんな感じです。



……今さ、みんなこう思ったでしょ。

「いやそんなこと言ってるけど、ここまでの文章で『例えば』って漢字で書いてる箇所、あるやんけ」

うん、ある(笑)。「たとえば」じゃなくて「例えば」になってる箇所あるよね。たとえばここ。

これね、わざと「例えば」って漢字表記にしたのよ。



ここさ、平仮名になるとどうなるか、ちょっと見てみて。平仮名にするとこうなる。

「どこでもいいんですけど、たとえばこの画面見てみましょう」

読みにくくね?


ひらがなが続いてて読みにくいのよ、これ。でも漢字に直すと、読みやすい。漢字に直すと、こうなる。

「どこでもいいんですけど、例えばこの画面見てみましょう」

ね?さっきより読みやすくなったでしょ。だからここは、意図的に漢字にしたのよ。読みやすくするために。



ちなみに、

「わざと平仮名を羅列して読みにくくすることで、読むスピードを遅くさせ読んでもらう」

という高等テクニックも存在する。大作家の先生とかがやるテクニックだね。

ただ、これは読んでる人が「その人の熱烈なファン」だからこそ通用するテクニックだ。私たち普通の物書きが簡単に手を出していいテクニックじゃない。だから、とにかく読みやすさを最優先するといい。



さて、細かい修正はこれくらいかな。

他にも修正箇所はあるんだけど、まぁ「これだけは絶対やっといたほうがいい!!」ってのだけピックアップして紹介してみた。参考にしてね!



「誤字脱字なんて、人間としてありえない」って言ってる人が書く原稿は、超つまらない

ここまでさ、誤字脱字だの表記ゆれだのタイポだの言ってきましたけど。

まぁ正直どーーーーーーーでもいいですよ、こんなん。

正直、一切直さなくたっていいレベル。それくらいどうでもいいことですよこれ。


創作大賞の審査員だって、こんなとこ一切見てない。

「おっ、この作品書籍化に値するな。あーでも誤字があるな、賞に選ぶのやめよ」

なんて絶対にないですよ。だからこんなん、どうだっていいです。



私ね、他の人が書いたnote読むの好きなんですが、たまにこういう人がいます。

「誤字脱字なんて、人間としてありえない。

だから私は、noteを書くときは誤字脱字をなくすことに全力を尽くす」

っていう人が。



そういう人が書いてる文章って、死ぬほどつまんないです。

なぜなら「読んでくれる人を楽しませること」ではなく「誤字脱字をなくすこと」にすべてのリソースを割いているから、です。



こういう人の文章、最後まで読んだこと一回もないですよ私。だって

「誤字脱字が一切ない文章を読みたいなぁ」

と思ってnoteに来ているわけじゃないですから。



みんなさ、「完璧な1セント硬貨」って言葉知ってる?



これね、ピクサー社で言われている言葉なんです。ピクサー社って映画をつくる会社ですよね。

『トイ・ストーリー』とか『モンスターズ・インク』とか『ファインディング・ニモ』を生み出したあの会社です。



「完璧な1セント硬貨」っていうのは、

「誰も気に留めないような1セント硬貨を表現するために、必要以上のリソースを割いてはいけない」

って意味なんだそうです。



映画『トイ・ストーリー2』。みんなこの映画みた?

主人公のウッディは人間ではなく、おもちゃ。カウボーイ人形です。そんな主人公に

「博物館で、プレミアものの人形として、この先ずっと飾り続けられるチャンス」

が訪れます。




おもちゃはいつか、おもちゃとしての役目が終わるときが来る。いつか必ず、捨てられるんです。おもちゃにとってこんなに怖いことはありませんよね。

ウッディも、そうだった。

だから。絶対に自分が捨てられずに済む博物館へ、行こうとしたんです。



でも、最後の最後で。ウッディは「博物館で永遠に飾り続けられるチャンス」を、結局選ばなかったんです。

いつか「必ず」捨てられるとわかっていても。

自分のことを愛してくれる、自分の持ち主。

少年アンディのもとに戻ることを選んだんです。




こぉぉぉぉぉ~んな素敵なラストシーンでさ、

画面の端に転がってる1セント硬貨を、完璧にモデリングして美しく描く」

なんて。どうでもいいでしょ。心っっっ底どうでもいい。

そうじゃなくて、全力を尽くすべきなのは「あのラストシーンの、ウッディの表情をいかに描くか」というその一点なんです。



「誤字脱字をなくすことに全力をそそぐ」っていうのは、そういうことですよ。

ラストシーンのウッディをどう描くかってことをおろそかにして、画面の端っこにうつってるだけの硬貨を完璧に描写する。そういうことをやっちゃってるんです。




誤字脱字がない、タイポがない、表記ゆれがない、機種依存文字がない。それはすばらしいことですよ。

すばらしいことですけど、どーーーーーーでもいい。ほんっとにどうでもいい。

そんなことより重要なのは、あなたが書いた文章がおもしろいかどうかだ。

全力を出す場所を、決して間違えるな。




これは持論だが、文章は読了感がすべてだ。

さて最後!!!!いよいよ大詰め~~~!!!

ふぅ~!!!テンションあげてこ!!

タイトルもOK!
サムネもOK!
一行目もOK!
本文もOK!

ときたら、いよいよラスト。



「最後の一文」だ。





今回の応募作品。最後の所でこう書かれてます。

片付け思考を仕事に取り入れることで、きっとあなたもリーダーとしての課題を解決し、チームの生産性を向上させることができます。

リーダーとして悩んでいるあなたの明日の行動が変わり、少しでも輝くことを願っています。


これはね、「もしこれが書籍だったら」百点満点です。


書籍なら百点。

だがこれは本じゃない。創作大賞の応募作品だ。この文章じゃ、読んでくれた人の魂を、奪えないんです。



これさぁ~~~!!聞いてほしいんだけどさぁ~~!!

私おんなじ失敗やらかしたのよ!!!(号泣)

創作大賞の応募作品で!!!



私は、創作大賞で優秀賞を、とったよ。とったんだけど、もうね。賞に選ばれたnote。その最後の文章。

本当にどうしようもないくらいダメダメです。

とろろさんが書いたこの最後の文章に、ちょっと似てる。



正直、その私が書いた最後の文章は、恥ずかしいから誰にも見せたくない。

でも、ちゃんとここでみんなに見せないと、「最後の文章はこうやって書くといいんだよ」って解説ができない。だから、恥ずかしいけど見せる。



いくよ。

私ね、創作大賞の応募作品。最後にこう書いたんです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

この記事を読んでいるあなたが今まさに汚部屋から脱出しようと努力している最中であるなら、無事に汚部屋 卒業生になれるよう心から祈っています。



うそくせぇな。




自分で書いといてなんですが、

「お前ほんとにそんなこと思ってんのか?」

って本っっっ気で思います、正直(笑)。



なんかね、あれに似てる。

あの、あれ。会社でさ、退職する人が最後、みんなの前であいさつするでしょ。あれに似てる。

えー、皆さん、お集まりいただきありがとうございます。この会社で私は、たくさんの方にお世話になりました。ここで学んだことを糧にして、次の会社でも、頑張りたいと思います。

数年間、ありがとうございました。


いやこれびっくりするくらい心こもってないでしょ(笑)



みんなさ、今回創作大賞に応募するとき、今までの受賞作品を読んだと思う。

「なるほど、こういう作品が受賞するのか」

って参考にしたでしょ?それは、とってもいいこと。だが注意点が一つだけある。



「全部を」参考にしちゃダメだ。

受賞作品だったとしても、ダメな箇所はあるのよ。見てほら、私のこの最後の文章。

この文章を読んでいるあなたが、無事に汚部屋 卒業生になれるよう心から祈っています。

これ読んで、感動します?

「魂奪われた……」
「最高の読了感だ……」
「ほんっっっとに感激した」

ってならないでしょ。



受賞作品であったとしてもね、自分が「つまんないな」と思ったのならそれは失敗している文章なのよ。

失敗した文章をマネしたら、同じように自分も失敗するだけ。

だから、たとえ受賞作品であろうと「すべてを」参考にしては、絶対にだめなのよね。



さっきの、とろろさんのこの文章。

リーダーとして悩んでいるあなたの明日の行動が変わり、少しでも輝くことを願っています。

これは、「本だったら完璧」って私言ったじゃない?実際こういった言葉で締めくくられている本って多いしね。だから、この文章は「本ならOK」。

なぜ、本だとOKなのか?




本ってさ、著者と長~い付き合いになるじゃない。

1冊読むのに、多分だけど数日かかるでしょ?1日で一気に読んだとしても数時間、著者と向き合うことになるわけだ。

だから、読み終わった瞬間って、著者と読み手の間には信頼関係が築けているんですよ。



だから、本だったらこの最後の文章は響くんです。

リーダーとして悩んでいるあなたの明日の行動が変わり、少しでも輝くことを願っています。

本を最後まで読んでくれた読者に、「ああこの人は、本当に私のことを思って書いてくれたんだなぁ」って思ってもらえるんです。



ところが。

無料noteではこうはいかない。読者との付き合いはせいぜい数分。下手すると30秒とかですよ。だって流し読みだもん。そんな短い付き合いで「本のような終わり方」、つまり

「リーダーとして悩んでいるあなたの明日の行動が変わり、少しでも輝くことを願っています」

という言葉を書くと読者はどう思うか。



「ほんまか?」

って思うんです(笑)。

だって付き合い短いですからね~~!!短いとまだ信頼関係って築けていない。だからマジで「ほんまか?」って思われちゃうんです。



だから、今回の応募作品に書かれたこの最後の文章。

リーダーとして悩んでいるあなたの明日の行動が変わり、少しでも輝くことを願っています。

これは違う書き方をしたほうが、絶対にいいんです。



じゃあ、一体どう直せばいいのか?


ここまでさ、全部私が直してきたよね。タイトルもサムネも一行目も。私が「こう直せばいいよ」って修正後の文章を書いたじゃない。でもね。

ここばっかりは、私が書いてあげるわけにはいかない。


なぜなら、私は「悩んでいるリーダーのために何かしてあげよう」と思わないからです。だから、書けない。ただの一行たりとも。

だって私、世のチームリーダーの役に立ちたいって別に思わないもん。思ってないことは書けないでしょ。

文章は伝えるために書くもの。

伝えることがないから、書けない。だから、お手本を見せることは決してできない。



でもそれじゃ、添削にならないよね(笑)。だって添削って「こうすればいいよ」っていう、より良い道を示すことなんだもん。

じゃあ、「お手本の文章」を見せずに、一体どうやってより良い道を示せるのか。



これはね、たった一つだけ、良い方法があるんです。




生まれて初めて。知らない人について行った話。

とろろさん、池袋で一緒にご飯しましたよね。


3階建てのカフェの入り口。
私とろろさんの顔知らないから、勇気を出して「もしかしてとろろさんですか?」って声かけましたよね。

はじめまして~ってあいさつして、一緒に中に入って。

1階の席が空いてないから3階までのぼって。その3階までの階段が、あまりに急でさ。

「階段キツイですね~!痩せちゃう!(笑)」

なんて笑いながらのぼりましたよね。



3階までのぼって、空いてる席に座って、コーヒーを飲んで。いっぱいおしゃべりしましたよね。


普段どんな仕事してるのか、どんな暮らしをしてるのか、どんなことを将来やりたいのか。そんなおしゃべりが楽しすぎて。二軒目にまで移動しておしゃべりし続けて。

数時間があっという間でしたよね。


私「今日めっちゃ楽しかった」って何回も何回もとろろさんに言いましたよね。「今度はビールでも飲みに行きましょうね」って約束して。

池袋西口のあの改札で別れましたよね。



なんで、とろろさんと一緒に時間を過ごしたと思います?

とろろさんがどんな人か、会ってみたかったからですよ。



「華さんのファンなんです。

勇気を出して、メッセージを送ってみました。

断られるかもしれなくて怖いけど、一度でいいから、会ってくれませんか」

とろろさん、インスタのDMでこういう意味の文章を送ってくれましたよね。



DMが来た時、私はこのDMを読んでませんでした。

なぜならDMは全部私のマネージャーが管理してるからです。

私に来たDMは全部一度マネージャーが目を通し、よくわからない「なんかの投資商品の紹介」とか「変なサイトへの誘導」とかそういうゴミDMを除去した上で、DMが私のところに上がってくるんです。




最近、近所にできたコワーキングスペース。

植物がいっぱい飾ってあって、デスクもチェアも超おしゃれ。一見超人気カフェにしか見えない、その素敵な空間が大好きで。

「社長、これからはここで打ち合わせしましょうよ」

なんてマネージャーも言うもんだから。独立して会社経営するようになってからは、そこで仕事をすることが多くなった。



この日も、そうだった。

ちょうど、そのコワーキングスペースでマネージャーと打ち合わせをしてた。

打ち合わせが終わる。「この案件は無事に終わりそうですね」なんて彼女と話して、その後「ちょっとだけ作業してから解散しよう」ってなって。そうしてお互い無言になって。それぞれパソコンで作業を始める。


無料のドリンクサーバーで二人分のコーヒーを入れて、デスクに戻ってくる。コーヒーのよい香りがする。ほどよく他の人の話し声が聞こえてくる。

壁は全面ガラス張り。中からは外がよく見える。外では木々が揺らぎ、風が涼しそうだ。揺れている枝葉のその先には、気持ちのいい青空が広がっている。

「仕事に集中できる、いい環境だなぁ」

なんて思いながら、私がカタカタと資料を作ってたその時。



すぐ横でパソコンをいじってたマネージャーが、画面から目を離さずに

「社長」

と声をかけてきた。そして続けて、彼女はこう言った。

「社長に、お会いしたいという方がいます」



それを聞いて、私も自分のパソコンの画面から目を離さずに、すぐにこう答えた。

「あっそ。丁重にお断りしといて」



いきなり「会いたい」なんて言ってくる人は、変な人ばっかりだからだ。

「会いたい」って言えば自分に会ってくれると無垢に信じている。

「いや、『あなたは』私に会いたいかもしれないけど、別に私はあなたに会いたくなんてないんだが」

なんて相手から思われることを、一切想定してない。そんな人ばっかりだからだ。



「一緒にお弁当のビジネスやりませんか」とか「うちで本出したので無料で宣伝してくれませんか」とか。ひどい時には「来週対談しませんか。お互いのフォロワー増えると思いますよ」って二行だけ送ってくる人とか。

なんかもうよくわからんのばっか。下手すると会社名も名乗らない、商品の説明もない、事業計画書もない。

知らないYouTuberから「次の日曜日、お宅に伺って生配信していいですか」と言われたこともあった。いやお前誰?


だから、画面から目もはなさずマネージャーに即答した。

「お断りして」って。



でもね、彼女は私にこう返したんです。

「この方には。お会いしたほうが、良いかと」



そこで初めてマネージャーの顔を見た。

それでも彼女は画面から目を離さず前を向いたままだった。



パソコンの画面にはインスタの画面が映ってた。そこに「会いたい」と書かれてるDMがあった。そのDMを、彼女は指さした。

すごくきれいな指だった。手タレの仕事もしている彼女の指は、白くなめらかでツヤツヤしていた。

珍しくネイルをしていた。「今週だけは、モデルの仕事が無いからネイルができるんです」と、うれしそうに話してくれたのを思い出した。深海をイメージしたというそのネイルは深い深い蒼をしていた。



そんな深い蒼とのコントラストが生えた、白くてなめらかな指の先に。

「会いたい」、と書かれたDMが映っていた。



死ぬほど、びっくりした。

DMが来たことにじゃない。

彼女が、私の下した判断に、意見したことに、だ。

そんなこと、私がこの会社をつくってからただの一度もなかった。



マネージャーは経営者としての私の仕事に、口出しをしたことがない。経営者である私も、マネージャーとしての彼女に仕事に口出しなんてしたことがない。

素人がプロの仕事に口出しをするなんて、あってはならないことだからだ。

だってそれは、すなわち相手の魂の領域に足を踏み込むことと同義だ。絶対に超えてはいけない一線だ。



だから、彼女が私が下した経営判断に対して口を出すなんて、初めてだった。

本当に、驚いた。



そこで初めて、DMを見せてもらった。そこには「会いたい」という、とろろさんからのメッセージが書かれていた。

絶句した。

何に絶句したかって、文章にだ。



こんな文章、書ける人がいるのか。

信じられなかった。目の前に書いた本人が座っていて、まさに「私に向かって」語りかけてくるかのような文章だった。

文章だけで。

文章だけで、ここまで自分の人柄を表現できるものなのか。



「知らない人に、ついてっちゃだめだよ」

小さいころ、ばあちゃんが私に教えてくれた言葉だ。だから私は人生で一度も知らない人についていったことがない。

でも、今回はついていってみようと思った。だってこんな文章を書く人がどんな人なのか、この目で見てみたかったから。


だから、会いに行ったんです。




とろろさん、池袋で一緒にお茶飲んだでしょ。

すぐ横に大きな樽がありましたよね。その奥にはコーヒーを焙煎するための不思議な器械があって、「ああいうの初めて見ました」なんて話しましたよね。

テーブルがあまりに小さくて、お茶とお菓子置いたらもうスマホくらいしか置く場所がなくて。

そんな小さなテーブルに座りながら、私のために買ってきてくれた地元のお菓子がたっっくさん入った紙袋を渡してくれましたよね。ものすごく遠くから東京まで来てくれたのに。「きっとよろこんでくれると思って」って、スーツケースに入りきらない、たくさんのお菓子を買ってきてくれましたよね。

そのお菓子が入った紙袋がオシャレすぎて私めっちゃ驚いてましたよね。あの紙袋、今でもちょっとしたモノ入れに使ってます。



そうやって、おしゃべりを楽しんだあのカフェで。

目の前に座ってる私が、こんなこと話し始めたらどう思いますか。

「ねぇとろろさん、私今、新人の研修やってるんです」

「私編集長やってたんですけど、私がいたその編集部に入社してくる新人教育やってるんですよ」

「だから新人たちにとっては私、リーダーなんです」

「でも私、リーダー向いてなくて、悩んでて」

「どうやったらもっとうまく課題を解決できるだろう」、「どうやったらタスクをもっと上手に振り分けられるだろう」、「どうやったらみんなにもっと楽しく仕事してもらえるだろう」

「こんなことで、本当に悩んでるんです」

「悩みすぎて不眠外来に通ってて。睡眠薬飲まないと眠れないくらいになっちゃったんですよ」

「ご飯も食べられなくて、8キロも体重減っちゃいました」


もちろんこれは今私が即興で考えたテキトーな悩みですよ。でもこの悩みを、私がとろろさんに相談したらどう思います?



きっと、親身に。アドバイスをくれると思うんです。

今回創作大賞で応募した、今回の作品みたいに。



それは、いいんです。それはいい。問題は最後。

一通り、アドバイスを言い終わったその「最後の瞬間」が問題なんです。




とろろさん。

私に対して親身にアドバイスをした後にね。

このセリフ、「私に向かって」言えますか。

「あなたの明日が、少しでも輝くことを願っています」



絶っっっっっっっ対、言わないでしょ(笑)




今回の応募作品で書いた、このラストの文章。

「あなたの明日が、少しでも輝くことを願っています」

これ、とろろさんはきっと本気で思ってるんだと思う。

だから、書いたんだよね。でもね、これはね、伝わりづらいです。



文章ってね、伝ればオッケーってわけじゃないんです。

なぜなら「伝ること」は、イコール「伝ること」ではないからなんです。本気で思ってたとしても、相手に伝わってなかったら意味がないんです。

じゃあどうやったら「伝える」で終わらず、ちゃんと「伝わる」文章にできるのか?




たった一人に向けて書くんですよ。




たった一人って言いましたけど、マーケターが言うような、よくある「ペルソナ」なんかじゃ話にならないですよ。

「えーと、今回の記事のペルソナは……東京都在住で、既婚で、子供は二人で、転職したばかりで……」

とか、ああいうのじゃ話にならない。



顔です。

顔が浮かぶくらいの明瞭な「たった一人」に向けて書くんです。



私に向かって書け。下手なこと書いたら何言われるかわかったもんじゃないだろ。

これはね、今この文章を読んでいる「あなた」にも言えることだよ。

多分だけど、あなたも創作大賞に応募したよねきっと。だからこのnoteを今読んでくれてると思うんだ。



もう一度、自分の応募作品を振り返ってみてほしい。

自分の作品の、最後の一行を読んでみて。こういう種類の文章になってない?

このnoteが、ここまで読んでくれたあなたの役に、少しでも立てていれば幸いです

みたいな文章に。




これはね、直したほうがいい。絶対に絶対に直したほうがいい。なんでかって、読んだ人に伝わらないからですよ。

私が書いたnoteが、あなたの役に立てていれば幸いです。

きっと、これは本心なんだと思う。だから伝えたんだよね、文章で。




だが「伝える」ことは、イコール「伝わる」ことではないんだ。伝えたからといって、伝わっているとは限らないんだ。

だから、直すんです。どうやって直すか。顔まで浮かぶほどの、超具体的な、たった一人に向けて書けばいいんです。



「その一人が浮かばないのよ~」

って思うなら私に向かって書けばいい。

手ごわそうでしょ~!!(笑)

「ちょっとでも手ぇ抜いたら、マジで何言われるかわかんねぇな」

って、こういう恐怖があるでしょ。



でもねぇ、私なんかより、読者のほうがよっぽど厳しいですよ。そっちを怖がったほうがいい。つまんなかったら即離脱される。だってつまんない文章なんて、読者には読む義理がないんだから。

だから、緊張感を持つんですよ。

「たった一人に向かって、すべての文章に魂を込めてみせる」という緊張感を。



私だってそうですよ。

「ちゃんと」緊張しながら書いてるんです。ここまでずっと文章書いてきたけど。平然と書いてるように見えるでしょ。



実のところ汗びっしょりですよ。



それはね、良い意味で、きちんとほどよく意図的に「緊張」してるからです。ちょっとでも舐めた文章書いたらその時点で離脱されるのを痛いほどよく知ってるからです。

だからみんな、良い意味でちゃんと緊張して書いてほしいんだ。



「きっと最後まで読んでもらえる」

そんなこと、無垢に信じるな。



自分の姿を振り返ってみろ。

noteの画面を開いて「今日はどの文章読もうかな」なんて思いながらクリックしまくって全部読んでまた次のnoteに行って全部読んでまた次に行く、なんてこと。

一度もしたことないだろ。

いつだって見てるのは「自分の」ダッシュボード。PV、コメント数、いいね、通知欄。見てるのはそこだけだろ。

それはな、他の人も一緒なんだよ。



地球上に、自分の文章を読みたいと思ってる人なんて、一人もいない。

そのことに、いい加減気づけ。

緊張をしろ。手に汗を握れ。「今まさに書いているこの一文で、読者は読むのをやめるかもしれない」。書いている最中「すべての文章で」この言葉を頭に浮かべながら書くんだ。



文章を書いている時。目の前にあるのはただのモニターだ。だからすぐ忘れる。画面の向こうに、生きた人間がいることを。

人間が、いるんだよ。画面の向こうには、人がいるんだ。あなたの文章を読もうとしてくれた、そんな人が。



だから絶対に、ただの一行でも手を抜くな。

たった今書いてるその一行、目の前にいる生身の人間に向かって言えるのか?言えないだろ。言えないってことは、魂を込めることに失敗した文章ってことだ。そんな文章、他人に読ますな。



あなたが書いたその文章。

読んでもらうために書いたんだろ?

じゃあ読もうとしてくれたその人は、あなたにとって大切な人なんじゃないの?

大切な人を、大切にしないでどうすんだよ。



相手のことを思いやらない舐めた文章なんてただの一行でも書いてみろ。一瞬で見限られるぞ。

その人が。いったい、どんな気持ちで、クリックしたか。

どんなに深く悩んでいるか。「助けてほしい」とそんな思いで読もうとしてくれたその人に、書いた自分が寄り添わないでどうすんだよ。


「なぜ、書くのか」。

こう聞くと「誰かの役に立ちたいから」と答える人は多いだろう。

だが、甘い。

結局、「読者のことを考えてます」と言いながら考えてるのは自分のことだけだ。すぐにわかる。すぐにわかるぞ。タイトルで、サムネで、一行目で。誰が見ても、すぐにわかる。


読者にな、バレてんだよ。


「読んでほしい」、「読んでほしい」、「読んでほしい」

考えてるのは自分自分自分。自分のこと、だけ。「誰かの役に」という甘い言葉でコーティングしてるがその中身はドロッドロにクソ苦い「自分のため」という利己心でしかない。

正露丸と一緒だ。

表面甘いけどあれ中身死ぬほど苦いだろ。あんなの「甘くておいしいみんな大好きチロルチョコのように」ポリポリ食べたいって人、いないでしょ。おなか壊してるときは別だけど。




読んでほしいなら、読者に愛される言葉を書け。

他人から愛される言葉を書くには、まず自分から相手を愛さないといけない。

鏡って、先に笑わないじゃん。自分から笑わないと鏡の中の相手も笑わないだろ。あれと一緒だよ。

画面の向こうにいる人のことに、ちゃんと好きだと伝えろ。「好きだと書け」と言ってるわけじゃない。「好きだということが伝わる文章を書け」と言ってるんだ。




どんな時でも。読まれる文章は、書き手が読み手を愛してくれてる文章だ。

そんな文章を書けるよう、まずは相手を愛せ。

そうすればきっと、あなたの文章はたくさんの人に読んでもらえるから。






(了)







あとがき


あ"ーーーーーーーー疲れた。


ちょ、リポD飲むわ、たしか冷蔵庫にあったはず。
とってくるからちょっと待ってて。

あった。最後の一本だったわ。こないだ糖類ゼロのやつ箱買いしたのよね。キンキンに冷えてるうれしい。



うっし、これ飲みながらあとがき書くね。

はーい!ということで、どうだったかな。
日本一の編集者によるフィードバックは。


ふふっ、プロの本気、すごかったでしょ。


でもねぇ、私これやると次の日お昼まで眠ってんのよ!(笑)。相当脳みそ酷使するんだろうね。普段は自然と朝6時とかに目が覚めるのに。ただの一度も目が覚めない。12時間くらいぶっ続けで寝てんの。


だってほら、フィードバックってさ、「その人の生きざま」に本気で向き合うことじゃない。


だから、かなり消耗するんだろうね、体力を。



続編もぜひ読んでね!

さて、今回のこのnoteでは、

「創作大賞に応募するなら絶対に『ココだけは』直したほうが受賞の確率が爆発的にあがるよ!」

ってことを解説しました。

簡単に言えば、「マイナス」になってる箇所をゼロに戻したわけです。そしてこのnoteの続編では「ゼロ」をプラスにする方法を解説しています。

▼イメージ、こんな感じ

続編は

『プロの編集者が教える「あなたが創作大賞で落ちた」理由』

というタイトルの有料note。この続編では、この「ゼロからプラス」にするために何をどう書けばいいのかを解説します。



これはどんな人のnoteでもそうなんだけどさ。

ゼロに戻しただけではね、読者に読んでもらうことができないのよ。

読者に読んでもらえないんだから、創作大賞の審査員にだって本気で読んでもらえないよ。本気で読んでもらえなかったら

「あーなんだこの応募作品。つまんねぇな。これはもう落選ってことで」

って思われるでしょ。こんなの、絶対にいやでしょうよ。応募した以上、受賞したいでしょ。


マイナスをゼロに戻しただけでは、創作大賞で受賞なんて絶っっっっっっっっっ対にできません。日本最大級のコンテストですよ。プロの小説家やプロのエッセイストまで参戦してくるコンテストなんですよ。

もうそれコンテストじゃなくて戦場でしょうよ。


前回の創作大賞で選ばれたのはたったの40名。3万3,981件の応募作品があって、そのうち3万3,941人が落ちたんです。

だからもう、基本的に全員落ちるんですよ。

創作大賞って。


だからね。あなたが今年、創作大賞に選ばれる可能性は限りなくゼロに近い。そして今、あなたがこのnoteを読んでいる瞬間が「中間発表の後」だったらきっとあなたは中間発表すら通過できてない可能性が高い。


だからこそ、です。

来年こそは絶対に受賞したいでしょうよ。


「やっぱり自分なんて……」ってメソメソ落ち込んでるだけの人はこの私のnote、クリックすら絶対にしてないと思う。今あなたは、むしろ

「やってやんよ!!!!!!!!」

って燃え滾る熱意を内に宿してるでしょうよ。


だからこそです。だからこそ、

なぜ、今回自分は創作大賞で選ばれなかったのか

を徹底的に戦略的に根本から分析する必要があるんです。


だってそうでしょ。

「なぜ落ちたのか」、原因がわからなかったら解決だってできないでしょ。解決できなかったら来年だって「同じ理由」で落とされますよ。

一生、創作大賞で受賞する日が来ないんですよ。そんなの絶対にイヤでしょ。魂を込めて書き上げたその作品、絶対に賞をもらって本にしたいでしょ。


じゃあ「なぜ落ちたのか」は絶対に、徹底的に、理解しておかなきゃいけない。


創作大賞で選ばれない作品にはね、とある共通点があります。

その共通点を、「プロの編集者」である私が。
そして「創作大賞の初代受賞者」である私が。

全力で解説します。


「絶対に受賞してみせる!」

そう闘志を燃やしている方、ぜひお読みください。

▼続編はこちら!!




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藤原華|編集者
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