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【苦しみ】物欲を「満たさない」という充足【楽しみ】

どうも、はむおっちです。

現代人の多くは、物欲に振り回されています。

「アレが手に入れば満足するのに」

そう思い、物欲に従って欲しいモノを手に入れる。
しかし気持ちが満たされない。
そんな経験を、誰しもしたことがあるのではないでしょうか。

本記事は、
・物欲をコントロールしたい人
・ストレスで苦しんでいる人
・ミニマリズムに興味がある人

に読んでいただきたい記事となっています。

物欲は自然な欲求です。
物欲を無くそうとする必要はありませんし、無くすこともできません。

そして、物欲と付き合い、むしろ「満たさない」ことに充足があるのです。

それでは、お付き合いください。

物欲の本来の姿

物欲と人間の関係は根深いものです。

承認欲求から始まり、快楽原則、文化・社会的要因、自己のアイデンティティなど、我々のあらゆる性質と結びついています。

ゆえに「なんで自分は物欲が湧いてきてしまうんだ」と否定的に捉え、物欲を無くそうとすることは、自己すら否定することにつながり兼ねません。

物欲とは、自分自身の中に自然と発生しても問題のない欲求であることを理解すべきです。

自分にとって必要なモノになる

しかしながら、現代社会は広告に溢れています。
すると、あらゆるモノに対して物欲が発生してしまいます。

本来、モノとは必要なものが必要な量だけあれば良いはずです。
ですが、広告によって、我々は消費をしなければならないという気持ちにさせられます。

ついさっきまで、全く気にも留めなかったモノが、あっという間に「自分にとって必要なモノ」と思い込まされてしまいます。

「手に入れば満たされる」
「それさえあれば充分なはずだ」

気付かぬうちにそう思わされ、自分自身に「必要なんだ」と言い聞かすようになります。

物質的な欲求と精神的な欲求

さて、その場合の欲求とは、どんな欲求なのでしょうか。

それは、例えばハサミが必要なときに「ハサミが欲しい」という欲求と同じでしょうか。

よく観察してみると、「必需品を欲する」ような物質的な欲求ではなく、「気持ちが満たされたい」という精神的な欲求にすり替わっているのです。

物質的な欲求は、そのモノを手に入れることで満たされます。
ハサミが必要なら、ハサミが手に入れば問題ないのです。

しかし、精神的な欲求はどうでしょうか。
「欲しい(と思わされている)モノを手に入れたい」という欲求を叶えたとして、次にどのような気持ちになるのか。

それは、誰もがよく知っているのではないですか?
欲しいモノを手に入れると、また次に欲しいモノが湧いてきます。


「モノは手に入れた瞬間がピーク」と言われることもあります。
結局、精神的な欲求を物質によって満たすことは、ごく短時間しか持続しないのです。

内省する

こういった物欲との向き合い方は、内省をすることです。
つまり、自分をゆっくりと振り返ってください。

体調は整っていますか?
しっかり睡眠は取れていますか?

そして、気持ちは不安定になっていませんか?

これら基本的なことが、自分の物欲をコントロールする力につながります。
大切なことは、精神の安定なのです。

物欲が「満たされない」ことを楽しむ

冒頭で書いた通り、物欲を無くすことは難しいですし、無くそうとする必要はありません。

むしろ見方を変えてみれば、物欲は我々に期待感を運んでくれます。

「アレさえ手に入れば満たされる」

この感情は、つまり渇望し続ける我々人間が、「アレ」を手に入れることで満たされるかもしれないという、微かな希望と捉えることもできます。
(実際には、手に入れたところで、次から次へと物欲が湧いてくるのですが、、)

あえて物欲を「満たさない」。
手に入れたいモノがいつまでも「手に入らない」という苦しみを、文字通り「味わう」。


こうすることで、いざとなったら手に入るモノごときで、人生に小さい希望を持ち続けることができるかもしれません。

終わりに

この記事が皆さんの人生の一助となれば幸いです。

この記事が面白かった、参考になったという方は、スキ、コメントなどいただけますと嬉しいです。

ありがとうございました。

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