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奇縁n

窓から見える景色は相変わらず青々とした山道が続き、時々入るトンネルの中で、耳鳴りを起こす。耳鳴りを起こすと、段々鼓膜の奥に痛みを感じるようになったため、少し前におじさんにもらったアイスココアの残りを飲み込み、耳鳴りを抑え込む。
おじさん...兵庫県で出版社に勤めている、今薫の横に座っている、渋谷直人さんとの会話が途切れてからというもの、少し気まずくなり、窓側に座る特権として、青々とした山々を眺め続けている。しかしながら流石に似たり寄ったりの景色に飽きが来て、目を瞑りながら時折急激に来る耳鳴りに備え、唾を飲み込んだ。
高速道路の交通状況は依然悪く、時折渋滞を起こすこともあって、想定以上の遅れでバスは進む。
兵庫県最後のバス停、舞子のバス停が近づき、運転手のアナウンスがバス内に響き渡ると、渋谷直人…おじさんが僕の顔の前に左手を伸ばし、窓枠についている降車ボタンを押した。
「薫さん。今日はありがとう。僕はここで用があるので降りますね。色々とお話できて、本当に楽しい時間でした。またどこか、ご縁があれば。」「そうだ、あのたこ焼き美味しかったですよ。ありがとうございます。」
艶のあるグレーのスーツを見に纏い、頭上の荷物置きに手を差しのべ、年季の入った、それでいてどこか気品を感じさせるビジネスバッグを取り出し、薫に小さく会釈した。
薫もアイスココアのお礼を伝え、おじさんがバスを降りたのを窓から覗いて確認した。
バスを降りたおじさんは、さっきまでどこに持っていたのか、恐らくビジネスバッグと一緒に頭上の物置から取り出したと思われる、これまた品の良さげなグレーのハットを被り、にこやかな表情で大きく手を振った。
薫も窓からおじさんに小さく手を振り返し、おじさんと舞子のバス停を見送った。
品のある佇まいで、それでいてユーモアを持ち合わせた、兵庫県の出版社に勤める渋谷直人は、どこか懐かしいような、嬉しいような気持ちを僕に与えて、僕の旅路に色を添えてくれた。
しかしこの辺から出版社関係の取引先の所へ行くとなると、どこに行くのやら。辺りにそうそう大きな取引依頼が来そうな、そんな会社がありそうにも見えないし、きっと大切な仕事へ向かったのだろう。
舞子を出た薫は、また少しバスに揺られ、ついに明石海峡大橋を目の前にし、その大きな橋を見て、いよいよこの大きな橋を渡るのだと、心の奥でニヤリと笑った。
なんと言っても長く、広く、そして本州から四国への一歩を踏み出すためのこの橋は、赤く染め上げられ、大阪、兵庫、四国四県の各ナンバーが往来する橋で、まさに活気の溢れた橋だ。
夜になるとライトが灯され、少し離れた所から見るとそれは絶景とのことで、恋仲にある男女が見るとそのロマンティックな光景にさらなる愛が育まれるとか育まれないとか。
明石海峡大橋を渡りきり、兵庫県の離島、玉ねぎの名産地である淡路島へバスは走り抜ける。
淡路島での休憩は無く、淡路島をメインとして観光するなら、それはまたおもしろいものだと思うのだが、今回の目的地は如何せんまだもう少し先のこととなる。
広く観光スポットも多い島であるが、先程までの気の入れようもあり、少々疲れてきており、窓を枕にイヤホンをイヤホンを耳に入れ、眠ることにした。
また暫くバスに揺られ続け、光が閉じた瞼の上に強く当たり、目覚めた薫の目前に広がる新たな海と、大きな橋に圧倒された。
鳴門大橋である。
悠然と聳え立つこの鳴門大橋を、大型バスで渡りながら見る光景は、とても雄大で、勇ましく、懐の大きい全てを包み込むような海の強さに心惹かれた。
特にこの地域に見られる渦潮は、思っていた何倍も大きく、渦潮の近くで見ると、渦の中に飲み込まれるのではないかと感じるほどだ。
薫が幼少の頃プレイしていたRPGのゲームでは、作中に渦潮が登場し、準備不足もあったが、その渦潮のせいで長い道のりを2往復させられることもあった。そして何度も薫を苦しめ、うんざりさせた。
しかし今日見た渦潮はさらに強く、美しく、 観光客の乗る船も渦潮から少し距離を置いていて、渦の大きさに感動しているように、橋の上から見ていても感じられるほどだ。
ほんの数分間の鳴門大橋を渡りきり、ついに薫の乗る大型バスは兵庫県を抜け出し、四国四県の一角、鳴門は徳島県へとタイヤを踏み入れた。
徳島県に入り、暫くは兵庫県の青々とした山々と何ら変わらない道を進んだ。
アイスココアが入っていたスチール缶をペキペキと手のひらで潰していき、中に何も入っていない冷たいスチール缶は、それでいて硬く、音を出さずに潰すには、ほんの少しの凹みを生み出す、それが今の薫にとっての限界値であった。
そして高速から見える青々とした山が少なくなり、窓から見える表示看板を見ると、そこには讃岐の国、香川県へと続く標識が記されていた。
高速を降り、間もなくすると香川県へ高速バスは車輪を入れた。県道に入ると道は細くなり、青々とした雄大な山々も遠ざかり、変わりに田んぼと畑が辺り一面を覆い尽くした。
そしてそこから遠く聳え立つ山は雄大で、民家以上に大きい建物は存在せず、山の背後から出ようとする太陽の陽射しが薫の顔を窓越しに照らし、あらゆる自然が織り成す、刻一刻とその姿を変貌させる芸術に、薫は心が奪われた。
歩道を歩く人は少なく、麦わら帽子を被り、履物は長靴を履いて、今から農作業を行おうとするお年寄りの人が目立つ。車道もそれに比例するように、県道を走る車は少なく、その少ない車のほとんどはトラックの類で、車線目いっぱいに走る大型バスは目を引く存在となっている。
長閑な風景を目にし、絵画が生まれるような瞬間を目にした薫は、その美しさに心地良さを感じ、次第に瞼は閉じていき、頭もコクコクと少しずつ下に落ちていき、身体の力が抜け落ちていることに気づかないまま、穏やかな陽射しに照らされながら眠りに着いた。
暫くすると、穏やかな陽射しは消え、窓がひんやりとした感触に変わった。そして薫が知らず知らの内に出していた、小さな寝いびきに気づき、頭の中がハッとして目を覚ますと、窓の外の風景は先程までとは随分と変わっており、歩道を歩く人達の装いは麦わら帽子と長靴から キャップとスニーカーに変わり、県道を走る車の量も増え、車種もトラックの類から乗用車へと変貌していた。
「次はー、栗林公園ー、栗林公園ー」「降車の方はー、降車ボタンを押してくださいー、次はー、栗林ー、栗林公園ー」
運転手のアナウンスが車内に響き、ここが既に香川県の中心地街に近づいていることを知らせた。
舞子でおじさんが押した降車ボタンを今度は薫が押し、おじさんの座っていた座席に置いているレザーバックパックのファスナーを開け、散らかしていたゴミをビニール袋に入れ、長らく愛用した座席横のコンセントからスマートフォンの充電器を抜き取り、それをレザーバックパックに詰め込んだ。
少しだけ潰したアイスココアの缶だけは片手に持ち、忘れ物がないことを確認していると、バスがバス停へ完全に到着し、揺れが無いことを確認してから席を立ち、通路を歩いて降り口へ向かった。
運転手さんへ小さく会釈して、「ありがとうございました。」とお礼を伝えると、「長い間お疲れ様でした。お気をつけて行ってらっしゃい。」と気の利いた挨拶を返してくれた。
バスを降りると、添乗員さんがバスの外から大きな荷物入れを空けていた。
その横でスマホを取り出し、この後の予定を確認していると、横で何やら聞き覚えのあるイントネーションが聞こえてきた。
「あー、それじゃなくて、そっちそっち!そう、それそれ!うん!それそれ!じゃなくてあっち!え、あっちって?あっちですよ!あ、そうじゃなくてあれか、右!右の方!そうそれそれそれ!よかった!すみません迷惑かけて!ありがとうございます!」
これは、あれだ、関西人だ。そうだ、関西人だ。いいや、関西人に違いない。絶対に関西人だ。こんな完璧な関西弁は関西人にしか違いない。関西人以外の何者でもない。関西人で決定だ。生まれながらにして聞き続けている薫にはわかる。関西人のイントネーションだ。新喜劇では通用しなくても、街頭インタビューでは笑いは掻っ攫えられる程度の実力。それをどんな場所であっても、常に全力で発揮していくスタイルに自信を持つ人種。関西人に違いなかった。
バスは今の一件で本の少しだけ出発が後れ、添乗員さんは慌ててバスに乗り込み、出発させた。
添乗員さんに誤り、荷物が中々出てこなかったネイティブ関西弁を話す関西人の男性は発射したバスに少しだけ手を振った。
呆気にとられていた薫は歩道のポールに腰掛けてスマホを触っていると、先程の関西人の男性は薫と反対側の歩道の橋で何やら大きな鞄を開けて座り込んでいる。そして頭を抱え、ハァーーーっと大きなため息をついて悩んでいた。
同郷の誼として、人間性も良さそうで、何より困っているその関西人の男性を放ってはいられない薫は後ろから「何かお困り事ですか?」と声をかけると「あ、いやぁ、実はスマホの充電器を忘れてきたっぽくて、スマホの充電ももうあと数分で底尽きそうで、どうしようもなくって…」
明るく思っていた関西人の男性は本気の悩みを吐露し、また鞄の中を探り出した。
「もしよかったら、僕の充電器使います?差し込み口、合えばですけど…」その言葉を聞いた途端、顔色が一気に明るくなり「是非!ありがとうございます!助かります!いやぁ、ほんま一時はどうなる事かと。知らん土地でスマホの充電器忘れて、それにスマホの充電も底つきそうで、ほんまに助かります!」
驚くほどの感謝をされ、薫も表情には出さないが心の中で少し嬉しさを滲ませていた。
「それじゃあ、とりあえずどこかファーストフード店にでも行って充電しましょっか」
「わかりました!そうしましょっか!食事代ぐらいは僕出しますんで!安心してくださいね」
関西人の男性も了承してくれた。
ファーストフード店へ向かう前に、「そういえば自己紹介してなかったですね。僕の名前は根本薫と言います。22歳。ほとんど標準語なんですけど、大阪出身です。」さっきはおじさんが薫に自己紹介をしてくれた。今回は薫から。少しだけ成長できたかと思い、また心の中で、鼻をほんの少し高くした。高くしてから、悪い癖が出ているのを反省し、ほんの少し、顔の筋肉が緩んだ。
「僕の名前は冴原雅って言います。21歳で、ほんまにありがとうございます。ささっ、行きましょっか!」
冴原さんは薫より年下だった。なんと言うか、風貌や言葉の受け答え、それにこの独特の雰囲気で年上と判断していたせいで、結構意外だ。
二人で歩きだし、「あ、そうそう、出身地言うの忘れてました。僕は鹿児島出身なんですよ。」
あ、そっか。出身地聞いてなかった。鹿児島ね。なるほど。九州の。本土最南端の…

ええぇっ!!!
鹿児島!?!?
鹿児島県人!?!?!?
て言うかその関西弁僕より上手くね!?!?!?!?

あまりの衝撃にこれまで冷静だった薫の声はひっくり返り、冴原さんはさも当然と言わんばかりの表情で、飄々としながら笑顔でファーストフード店へ向かった。

薫の旅路はこうしておもちろおかちく、奇妙な縁が縁を呼び、歩みを進めていくのであった。

物語の続きは、また気の向くままに…

※誤字脱字、内容の辻褄が合わない場合などは、多めに見ていただけると嬉しいです。

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