もちろんええとこもたくさんあるんやけども。。。
現代の教育制度って、お国が絡むというか、、、決めてるじゃん??
っていう意味でやばい側面も免れ得ないのよね。。。
お国って権力システムのお化け的存在。
”国民”とされる多くの人々にとって、日々の生活が恙なく営めている内は、お国の権力みたいなもんは感じない。
だから毎日学校に通うのに、いちいち、お国のいいなりになっているかも?なんて疑問も湧かない。
つまり、なんにもなければその存在にも気付かない。
けれども、権力システムは権力システムなわけで、こうしてほぼすべての子供が学校に自然と通っているってのは、相当強烈なパワーが作用しているということ。
教育だけではないんだけれど、やっぱり教育って大事。
お国の影響力がでかかろうが、教育の機会を得られるという利益も相当デカい。
ということで、学校行くのも、お国のいいなりというわけではなくて、親や子供たちが「ええもんや」と積極的に価値を認めている、という解釈も可能。
より大衆の日常感覚に沿って見直してみるなら、学校の現場は先生と生徒。
で。
生徒の方が先生が教室や校内で発揮するパワーの源泉、、、なんてものを批判的に分析・検討することは稀というか、、、そういう能力を養うために学びに行っているわけだからして、、、大人である先生の役割はむちゃデカい。
先生は大変だ。。。
このごろは一クラス当たりの生徒数も若干減ってきてはいるんだろうけれど、それでもたくさんの子供たちを相手に、とりあえず授業できるぐらいの統制はとらないといけないし、かといって個々の性格やらなにやらを全く無視もできないし、、、。
片や、お国の決めた指導要領やらなにやらに沿った評価・報告などの義務もあるし。。。
親(PTA)もおるし。。。
まあただ。。。
大変とはいえ。。。
先生次第やろね。。。
学校が広くええもんであり続けられるか?も。。
お国の権力なんたらについても実は敏感であって欲しいんだけれども、それよりも、教室・校内で発揮される自らのパワーね。その源泉(はお国も当然一枚噛んでいるワケやけど)と意味ね。考えられないようなら先生なんてやめてもらいたいと思う。
学級崩壊なども別に珍しくもない今日この頃。先生にパワーなんて、、、とか思う先生もいるのかもしれない。
けれども、そういう場合であればこそ尚更、それでも先生という立場であり続けられる事実について考えてみるべきなんだろう。
学校に来さされているのは、、、生徒たちだけでなくて先生なのかも???
という状態はとってもアブナイということ。
何故なら、教育システムのあれこれを決めるお国(都道府県もその一部)が、現場である学校・教室の一つ一つについて熟知などできるわけもなく。そうしたところで決められるものごとが、そのまま学校や教室の成り立ちに影響を及ぼす様について、何か手を打つことができるのは先生だ。にもかかわらず、致命的な法令・規定違反さえしなければそれでいい、というのは、まさにお国の発揮するパワーのいいなりになっている、ということ。
一人一人の生徒が一人一人の頭で考え、答えを出せるような教育
とかいうキレイごとをよく耳にするけれど、先生を含め、大人たちですらそんな能力身につけているなんて断言できるのだろうか??
一通り教育システムを通過して卒業すれば、既に去ってしまったそのシステムについて外から優雅に眺めていられる、なんてもんではない。
ましてや、教育システムの全てを理解しマスターしているなんてこともない。
今だって義務とされている教育システム、すんなり全部通過できない子供たちだって相当数いるわけだ。
恙なく通過できた方の人々は、教育ってなんなんやろねー?ぐらいのこと、自らの経験に照らして、より肯定的に考えてみる。そういった態度を身につけるところから始めてみるべきではないだろうか。