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人は何かを残したくて仕方ない

 ひとりこうかんにっき、2日目。
 小学校のときにやっていた交換日記というのは、友達とではなく、班のメンバーが交代で日記を書いて先生が感想を書くというスタイルだった。
いま考えればアナログで限られたメンバーに公開するブログだったのかもしれない。書いた内容なんてほとんど覚えていないけれど、ひとつだけ印象的な自分の記事がある。それは飼っていた十姉妹が天国へ旅立った日のことだ。担任の先生も慰めてくれたけれど心の中に留めておくことができなかった出来事を書くスペースがあったことはあの頃の自分にとって救われたのではないかと今になって思う。

 交換日記以外にも印象的なのは、高校のときに書かされていた日直当番の「日誌」だ。大概は学校の出来事が書いてあったのだが(たぶん)、いまハマっているドラマを書いているクラスメートがいたことをいまでも覚えている。当時、再放送で流れていた「探偵物語」についてイラストつきで日誌に書いているのを見つけたときには思わず自分も当番のときにリプのような日誌を書いた。(イラストは描けなかったが)
 だからと言って、面と向かってそのクラスメートに「工藤ちゃん最高だよね!」と話しかけるわけでもなく、きっとこれはいまでいうエアリプをしてしまったのだろう。

 この「ひとりこうかんにっき」は世界中に公開されていて小学校のときの交換日記や高校の日誌とは規模が違う。しかし決定的に違うのは読者がひとりもいないかもしれないということ。だから「ひとりこうかんにっき」。読者は他人ではなく自分。あまりにも孤独な日記である。

 それでも書きたいのは書くきっかけを自分に与えたいから。
 小説を書こう書こうと思っても一行も書けないときもある。構想はあるけれどいまいちパッとしない。そんな時期に書く力が衰えないように毎日書くきっかけを与えるnote。

 思えば、ノートに書く日記から始まり、交換日記、日誌、そして2000年前後には携帯電話から作れるホームページに変わった。すぐに飛びついてホームページで日記を更新したり小説を書くようになった。それでもやっぱりアナログで日記をつける。なんでこんなにも日記を書きたいのだろうか。

それは記憶が曖昧になるから。
すぐに大切な想いも忘れてしまうから。

 今日、通勤で毎日歩いている公園でカルガモの赤ちゃんが3羽産まれていた。帰宅するときには親ガモしかいなかった。
 同じ風景は二度と戻ってくることはない。そんなことを人はどこかで分かっているから何か残そうといつも必死なのだ。


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浜野ノア
最後まで記事を読んでくださってありがとうございます。 読んでくださった方の心に少しでも響いていたら幸いです。