高校で古文・漢文が必修じゃなくなる?! デマを垂れ流す謎の人物のこと
1 Twitterで話題になったあるツイート
2022年9月24日(土)、こんなツイートが少し話題になった。削除されるかもしれないので、引用もしておこう。
このツイート皆さんはどう思っただろうか?
「古典の学習をやめるなんて、けしからん!」「役に立たないものはなくすなんて、文化が貧相になる!」という意見、「実際、古典は使わないし要らないと思う」「それも時代の流れ」という意見、いろいろあるだろう。
実際こんなリプライがこのツイートには届いている。
しかしながら、実はなんとこのツイート、真っ赤なウソなのである。
「古文や漢文」は「高校の国語教育から消え」ないし、「(選択制)」とあるが、選択になることもなく、必履修科目のままだ。
以前は「古典A」とか「古典B」といったふうに、科目名に「古典」が入っていた。新しい学習指導要領(今年2022年度から実施)では選択科目に「古典探究」という科目がある。おそらくこのツイートをした渡邊大門氏は、これを見て、「古典が選択科目になる!」と判断したのだろう。
しかし、名前に「古典」は入っていないが、必履修科目として「言語文化」という科目が設置される。この中で高校生はきちんと古文も漢文も学習するのだ。
2 学習指導要領を確認
念のため、「言語文化」の学習指導要領解説を見ておこう。こちらのP.109(PDFデータでは115枚目)以降が「言語文化」の学習指導要領とその解説だ。
ごらんのとおり、古典の学習が明確に行われている。
さらに例えば同じページに「文語のきまりには,文語文法のほか歴史的仮名遣いなども含まれる。特に現代語と異なる古文特有のきまりに重点を置いて,仮名遣いや活用の違い,主な助詞・助動詞などの意味・用法,係り結び,敬語の大体などについて指導し,古文を読むことの学習に役立つよ
うにする。」とあるように、古文や漢文の読解を学ぶことをかなり具体的に指示している。
筆者は高校教員で、隣の席は国語の教員だ。だから間違いなく証言できるが、1年生の必履修科目で、私が学生だった頃よりさらに高度なレベルの古文・漢文の学習を今の高校生はしている。
3 デマのツイートを繰り返す謎
さて、このnoteで話題にしたいのは、これだけではない。
実は、この渡邊大門という人物が、この嘘のツイートをするのは、今回が初めてではない。私が知る限りでも、すでにこれで5回目だ。
渡邊大門氏自身はツイートが炎上して、私のような事実誤認を指摘するツイートが寄せられると、元のツイートを消してしまう。しかし、彼のツイートに寄せられたリプライは残るのだ。いくつかこれを見ておこう。
まずは今年5月。
私が次のようにリプライを送っている。
Twitterには便利な機能があり、ある日付の特定のユーザーのツイートを検索することができる。これを使ってリプライを見てみる。
「@info_history1 until:2022-05-05」の検索結果から、当該のツイートに寄せられたと考えられるリプライを見ておこう。
これらは「古典が必修科目ではなくなる」というツイート(むろんそれ自体がデマであることはすでに述べた通り)への返信だろう。
賛否両論あるようだが、まずそもそも「古典が必修科目ではなくなる」という議論の前提自体が何を隠そう、デマなのだ。
続いて今年4月。なんと2か月連続のデマツイートだ。
といった具合に間違いを指摘するツイートが見つかる。
釣られて賛否両論が渦巻いているのは、先ほどと同様だ。もういちいち引用するのも面倒なので、ユーザー、日付、「古典」のキーワードで絞った検索結果のリンクを貼っておく。
さらにデマはとどまることを知らない。今年1月。
ごらんのとおり、同じ嘘のツイートに対して、誤りの指摘が届いている。
そして例によって騙された方々の賛否両論はこちらから見られる。
ここで呆れるのは、一度騙されたユーザーの一部の苦し紛れの反論だ。
例えば、
言うまでもなく、それは今関係ない。
ちなみに、「円周率の例」とは、円周率を「3」で教えるという面白ネタのことだろうか?
話はそれるがせっかくなので、このことも少しふれておこう。この「ゆとり教育で円周率は「3.14」ではなく「3」で教わることになった!」というのもまたデマなのだ。この人物は元教師らしいが、少なくとも2回も嘘に騙されている。
1999年に学習塾大手の日能研が「ウッソー!?円の面積を求める公式 半径×半径×3!?」、「円周率を3.14ではなく、「およそ3」として円の求積計算を行います」と書かれた広告を首都圏の通勤電車の中に大量に張り出すなどして大々的なキャンペーンを行った。これにホイホイ騙されたマスコミや人々が大騒ぎして、既成事実になってしまったのだ。
ところがこれは真っ赤なウソだった。実際にはこれは事実ではなく、今も昔も円周率の近似値は3.14で教えている。実際、その時期に小学生だった私も、3.14で学んだ。
この辺りは、いくつかの新聞記事がアーカイブで残っているので参照しておく。
(例)産経ニュース「【公教育を問う】第2部(2)「総合学習」進化する塾 (1/2ページ)」(2008.2.18 22:01))
話を元に戻すが、「必要ないと判断されたものはどんどん削られていく傾向にあるのは間違いありません」という反論には根拠がない。さらに、仮にそうだとしても「古文や漢文が高校の国語教育から消える」のは嘘だ。言い訳にも反論にもなっていないのである。
まだまだある。去年の9月。
例によって、誤認の指摘だ。しかし毎度のことだが、誤認を指摘するツイートの数や拡散の具合と、騙されて反応するツイートのそれとでは、後者のほうが圧倒的に多い。反応はこちらで絞込検索しておいた。こちらの検索結果では「古典」をフィルタにしているが、「古文」に変えると、他の反応も見ることができる。たいていは騙されて「けしからん!」と反応している。
「訂正したところでまた同じことの繰り返し…もうそういうのうんざりなんだよ。」…と欅坂46が歌っているが、このツイートのことを歌っているのかと思うほどだ。(むろん冗談である)
4 毎回渡邊大門氏本人は黙ってツイートを消す。
最大の謎は、何度指摘されても同じデマのツイートを繰り返す点だが、前述のとおり、毎回渡邊大門氏本人はしばらくするとツイートを消している。
炎上させて騙された人を釣った後、しれーっと消してしまうのだ。
ちなみに、渡邊大門氏は誤認を指摘するツイートには反応しないが、好意的な反応にはリプライもしている。
例えば、
といった具合だ。
つまり、渡邊大門氏はリプライ欄を見ている。誤認を指摘する声を知らないとはさすがに言えないだろう。このツイートの内容がデマであると分かっていて繰り返しているのだ。目的が分からないから余計に怖い。
渡邊大門氏はこんなツイートもしている。
あなた自身の「高校の国語教育から古文・漢文が消える」デマはどうなのかと問いたい。
5 togetterという便利なサービス
このサービスでまとめられると、元ツイートが削除されてもツイートは残るのだ。デマをばらまいて、しばらく経って消して逃げようとしてもこれは避けられない。
ちなみに渡邊大門氏は古典教育の有識者ではないから、このまとめの見出しは不適切だろう。それはさておき、こちらは2022年7月のデマツイートに関してのものだ。その文言を引用しておく。
なんと一言一句違わない。元のツイートは毎回削除しているわけだが、全く同じツイートをしている。渡邊大門氏はわざわざこのデマツイートの文言をどこかに保存しておき、コピペしてツイートしているのではないか?
何が目的で、そこまでデマのツイートにこだわるのかますます分からなくなってくる。
「賢者は歴史に学ぶ、でしたっけ」などというリプライが寄せられている。ぜひとも渡邊大門氏が嘘を繰り返しツイートしてきたという歴史に学んでいただきたい。
ちなみに、今年4月のデマツイートは4月1日にツイートされたものだったため、エイプリルフールのジョークとして扱われもしたようだ。
しかし彼はエイプリルフール以外の日にも同じツイートをしている。年中エイプリルフールなのだろうか。
ここで注目したいのは、今年4月時点でのツイートの文言だ。実はそれ以降のデマツイートとは若干違っている。どこが違うか分かるだろうか?
最初の1文に「(選択制)」の文言がないのである。2022年4月のデマツイートの後からは、この文言が追加されたのだ。
ここからはあくまでも推測だが、渡邊大門氏は学習指導要領について調べたのではないだろうか。そしてそこで「どうやら「古典探究」という選択科目が今後もあるらしい」と知ったのかもしれない。しかし、選択科目である。必履修科目は「現代の国語」と「言語文化」の2科目で、「古典」はないではないか!
…とこんな調子で、「(選択制)」を追加することで、嘘ではないことにしたのではないだろうか。
ところが、ここが甘いところで、名前こそ「古典」ではないが、前述のとおり必履修科目である「言語文化」で古文も漢文も学習する。残念ながら「(選択制)」を追加したところで、デマに変わりはないのである。
6 さらに言えば、古典教育はむしろ充実している
私が学生だった頃、古文に初めて触れたのは確か中学校の頃だった。平家物語の序盤の暗唱、百人一首の暗記などをした覚えがある。
お読みいただいている皆さんも経験があるかもしれない。
多少漢文の書き下しをやったという人も年代によってはいるだろう。
しかし、現在の子どもたちが古文を学習し始めるのは中学校ではない。2011年の学習指導要領の改訂以降、小学校から古典の学習が本格的に導入されたのだ。したがって、今の子どもたち(2011年に小学1年生だった子どもは、今の高校3年生)は、小学校のうちから古典を学んでいる。
参考までに福島県教育委員会が公開している小学校の古典教育についての資料を見てみよう。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/img/kyouiku/attachment/905102.pdf
竹取物語(冒頭)、枕草子(第一段)、平家物語(冒頭)、論語(己の欲せざる所は~、過ちて改めざる~、学びて思はざれば~)、徒然草がなんと小学4年生の教科書に登場しているという。
古文や漢文の学習はなくなるどころか早まっており、むしろ充実してさえいるのである。
ちなみに、前述の高校の必履修科目「言語文化」の学習指導要領解説では次のことが書かれている。
要は、助動詞の丸暗記など、「読むこと」とは無関係にひたすら文法だけを教え込むような学習はやめて、「古典の世界に親しむため」の指導をするように指示しているのだ。これは小学校・中学校の古典教育と同じ流れである。だからこそ「上代から近現代に受け継がれてきた我が国の言語文化への理解を深めることに主眼を置き,全ての生徒に履修させる共通必履修科目として新設」された科目「言語文化」のなかに、古典教育は位置づけられることとなったのである。(「」内は、学習指導要領解説P.109(PDFデータでは115枚目)から引用)
これは、(お読みになっている方々の経験があるかもしれないが)ひたすら文法を丸暗記して、「これはいったい何の意味があるのだろう?」と疑問を感じながらも、テストのために仕方なく勉強する…といった旧来の古典教育を改め、本質的な学びへと転換するものだ。むしろ古典教育は我々の学生時代よりも深まっているのである。
7 渡邊大門氏は何者なのか?
さて、現状と違うどころか、なんなら真逆のデマをツイートし続ける渡邊大門氏だが、彼はいったい何者なのだろうか?
彼のTwitterのプロフィール欄を見ておこう。
どうやら書籍を多数刊行しているらしい。さらに講演も行っているようだ。
「@info_history1 講演」でツイートを検索すると、次のツイートが見つかる。
「臆面もなく、堂々と出鱈目な自説を述べる」とは自己紹介なのかと思えてしまう。
こんなツイートもある。これに対し「相場っていくらなんでしょ?
交通費宿泊費別で、1万は妥当ですか?」というリプライに次のようにも返信している。
3万円の講演代(交通費宿泊費別)をいただくほどの人物なのだろう。
加えて、渡邊大門氏はYahoo!ニュースにて「オーサー」という公式のライターを務めている。ここに細かいプロフィールも載っているので、気になる方はご覧になってほしい。
一度、Yahoo!ニュース側に「Twitterでデマを繰り返しツイートしている人物だが、そのような人物の記事を今後も掲載し続けるのか?」といった旨の認識を問うメッセージを送ったが、返信はなかった。黙認ということなのだろうか。
8 事実確認をしてから発信・拡散しましょう。
私がこのnoteを公開した目的は、渡邊大門氏を吊し上げてやろうなどということではない。しかし、デマはデマである。問題は、それを何度も指摘され、何度もツイートを削除しているのに、何度も同じデマツイートを繰り返す点である。これに釣られて騙されるユーザーが後を絶たない。
さらに問題なのは、デマを拡散してる人の大部分が「古典は役に立たないという理由で消される!」と思い込んでしまっていることである。
最近は何かにつけて「新自由主義!」と言って、何か競争原理らしきものを見つけると、条件反射的に騒いで叩く風潮がある。この文脈で、デマに釣られる人が非常に多いのである。
しかし、新自由主義がウンタラカンタラと理由付けすれば、嘘でも拡散してよいとか、そもそも嘘をツイートしてもよいというわけではない。
まして、多くの著書があり、フォロワー数もそれなりで、今もYahoo!ニュースのライターや講演弁士として活動している人物なら、なおさら事実確認を丁寧に実施してから発信するべきである。
Twitterユーザーには(私自身も含めて)事実確認をしてからリプライやリツイートをすることを求めたい。そして、発信する側も適切に事実確認をしてから行うべきだ。(というか、リプライやリツイートも「発信」の1つだが。)
皮肉なことに、論理性を重視し、「論理国語」という新科目を設置した、昨今の国語科の改革がいかに必要か?を証明しているという結果である。
渡邊大門氏に関しては、デマを指摘されても何度も同じツイートを繰り返している理由についても、ぜひとも説明してほしいところだ。
9 最後に1つ古典を紹介します。
徒然草の第七十三段にこんな話がある。紹介して終えることとする。
全文の現代語訳は、出典のリンクから見ていただきたい。太字の箇所の現代語訳を引用しておく。
いやはや、古典の教養とは、かくも"あはれ"なことなのか。