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#思索の足跡:社会は信用でできているー三木清『人生論ノート』(2)

人生をより良く生きていくためには、自分の内面を磨くことも大事だけど、社会の仕組みを知ることも同じくらい大事だ。

今回は前回幸福と自由について考えた『人生論ノート』を通じて、社会について考えてみたい。


社会は信用という土台の上に築かれた建物である

「利己主義について」という章の中にこんな一節がある。

すべての人間が利己的であるということを前提にした社会契約は、想像力のない合理主義の産物である。社会の基礎は契約ではなく期待である。社会は期待の魔術的な拘束力の上に建てられた建物である。

三木清『人生論ノート』

そしてこうした主張の根拠も説得力がある。

我々の生活を支配しているギブ・アンド・テイクの原則は、たいていの場合、我々は意識しないでそれに従っている。

同上

つまり、人間社会はギブ・アンド・テイクという原則に基づく信用によって成り立っているのだ。

確かにそうだ。
銀行でお金を借りるのだって、店で食事をするのだって、誰かとの約束をするのだって、しかるべきことをなすし相手もするはずだという相互の「期待=信用」によって成り立っている。

僕たちは普段、それを意識することはほとんどないけれど、冷静に考えるとなかなかすごいことだ。

でも見方を変えれば、この社会は「信用」というとても不安定な不確実なものを土台として成り立っているとも言える。

政治とは信用によって成立している社会を維持する行為である

このようなとても不安定で不確実なものを土台として成立している社会を健全でより確実なものにするためには、社会の構成員が信用により成立している社会を維持するために努力しなければいけない。

この努力こそが政治ではないだろうか。
そうだとすれば、政治は社会の構成員の誰もに開かれたものでなくてはならないし、社会の構成員である限りそれに無関心であってはならない。

現代は国民国家という単位が主流になり、各々が社会に参画できているという感覚が持てるような規模のコミュニティは衰退してしまっている。
このことは現代の民主主義、政治が直面する大きな問題の1つであるような気がするが、これを解決しようとするのはどう考えても現実的とは言えない。

ではどうすればいいのか。
最も身近で現実的なのは、各々が人格を高める努力をすることではないかと僕は思う。

社会が信用で成り立っている以上、最後に問題になるのはその人の人格が優れているかという点に帰着する。
そう考えると、プラトンやアリストテレスが国家や政治のあり方を人間の徳や心のあり方と結びつけて考えたことが腑に落ちる。

いろんな人と会って様々な立場の人がいることを知ること、いろんな本を読んで多様なものの見方を身につけること。こうした身近にできることが、社会をより良いものにすることにつながるのではないだろうか。

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