私は生まれてすぐ病気が見つかって手術をした事があるんです。 だから私はこの16年間ずっと背中とお腹に大きな傷跡が残ってます。 遠目で見ても分かるくらい大きな傷跡です、 正直初めて見た人はギョッとします。 そこの部分だけ肉がえぐれてボコボコだからです。 私はずっとこの傷と共に生きてきました。 自分の綺麗なツルツルの身体を見たことがありません。 見た目は至って健康そのもので私病気で手術したことあるんだと言うとびっくりされます。 傷跡を見た人の反応は2つに分類されます
引越し先の中学が最悪だった話をしようと思う。 私は中3の時に関西から関東に引っ越した。 自分は割と下ネタもいけるし馬鹿でノリにもついていける方だと思っている。 ミッキーのモノマネだって出来るから引越し先でも余裕だと思っていた。 実際は上手くいかなくて皆真面目だった。 校則を破っている人が誰一人いない。 そして皆頭が良かった。 制服を1から買いなおす訳にもいかず私は卒業生のお下がりの制服で過ごす事になった。 その制服のスカートは膝上2cm位でかなり短い方だった。 多
中学2年生の時にできた友達は地雷だった。 最初は気づかなかった。 気づいた時にはもう手遅れだったけど(笑) その子の口癖は"冗談やん"でいつも 冗談やのに本気にしとるん?と言っていた。 その子のいう冗談は冗談のレベルじゃなくて私はその冗談に沢山傷ついた。 当時仲の良かった男友達に気持ちを伝えられた。 それを聞いた友達は周りに彼氏にはせずセフレにしたと言いふらしたのだ。 周りの男子はそのノリに乗り、笑っていた。 私は心底呆れたし凄く怒りを覚えた 友達になんでそ
私は夢というか、したい事がある。 まず、幼稚園教諭と保育資格を取ることだ。 これを言うと子供が好きなのかと聞かれるがそういうことでは無い。 私は幼稚園そのものが大嫌いだった。 一番なりたくない職業が幼稚園の先生だった。 最近まで絶対に嫌だと思ってた。 けれど人生を振り返ってみると一番脳内に強烈にある記憶が幼稚園の記憶 それも嫌な記憶 先生が糞だった記憶 私はふとこんな大人に子供の将来を託さなければならないというのは可笑しいのでは?と考えるようになった。 幼
私の人生において中学時代が一番輝いていたと思う。 割と陽キャだったと思うし沢山友達がいた。 長期休みは毎日友達が迎えに来てくれたり部活の先輩と夏祭りに行ったりした。 クラス替えの時は毎年担任と離れたくなくてクラスメイト皆で手紙書いて渡したり泣いたりした。 行事に本気で取り組んで泣いて喜んだりもした。 中二の時にできた友達は地雷で私の傷を馬鹿にしたりしたけど。それはまた今度書くことにする。 中三になって親友2人と同じクラスになった。そしてその親友のお陰でまた友達の輪
私は親の姉が大嫌いだ。 人には必ずいい所があると思うし そう信じたいだけど、どうしても親の姉が憎くて仕方がない。 姉は私の事を頭が可笑しいという。 確かに私は何時でもヘラヘラしてすぐに謝るし不器用だ。 だけど自分で思うのと人に思われるのでは重さが違うと感じてる。 初めて頭がおかしいと言われたのは小学生の時だった。 鳩子がまだ幼稚園で私が変顔をすると幸せそうに笑ったから私は沢山笑って欲しくて変顔をした。 そしたら姉に"此奴知的?"と勘違いされたのが始まり。 その
母は色々と不幸が重なっていたと思う。 更年期障害、憎いガキ、旦那の引越しに振り回される人生 きっと何かに逃げたかったんだと思う。 だけど自分は母親だから支えなきゃって思いが働いた。 子供の為に友達を作らないとって。 多分そこから歯車が狂ったんだと思う。 新しいストレスが増えたんだと思う。 元々酒呑みな母がもっと酒呑みになっていったのもそこから。 朝から晩まで酒を飲んでいた。 何か食べたりせずにただずっと酒を飲んでた。 飲みまくって知らない人とケンカしたり道端で
"幼少期の記憶ありますか?"って聞くと大体が"ある"と答える。 どんな幼少期か聞くのは凄く好きだしその人の個性や人生が見えてくるような気持ちになる。 思い出は人それぞれだ。初恋の話をする人もいれば親切にしてくれた先生の話や友達の話をしてくれる人もいる。 皆純粋無垢で可愛らしいと思う。 偶に面接や学校の授業などであなたの幼少期について教えてくださいと聞かれたりする。 皆がそれぞれに意見を交わして笑い合う。 懐かしな〜なんて話しながら。 人の記憶はいい記憶よりも悪い記