「しずかだ」って感じる日がある。
こころが凪いでいるのか。
部屋の中にいても感じる時があるし、かと思えば、部屋を出て鍵をかけ、アイビーの手入れされたエントランスを抜けガラスの扉をくぐって駐車場を横目に歩き、道路をわたり、細い路地を十数メートル進んで交差点に出た時にふと「あ、しずかだ」と思うこともある。
しずけさに気づくのは大抵、いつも感じるはずのタイミングでいつも感じるはずの音を感じないときなのだろう。
そして、ほんの少し音があるとき。
ついでに、晴れの日よりは曇り空。
部屋の中であれば、遠く唸るエンジン音の気配や、かすかな風の音、防音壁に阻まれてくぐもって聞こえる列車の重低音、飛行機、冷蔵庫の音、ぱちんと家鳴りしたときの余韻の残り方。
きこえるときは、きこえないとき、なのだ。
太陽の周波数は関係あるのかなあ?
今日は曇っているから、しずかすぎるから、自分の心がうまく見つけられない。
うまく見つけられないからといって、ひねり出して、拡大鏡を覗いたみたいにおおげさにして、大義名分みたいなものを作って、今ここに転がっていることの必然性みたいなものを作り出したつもりでいる私は、ものすごく小さくてありふれた存在なのだろう。
小さくても何も悪いことはないのに、見つけてもらいたくてピーチクパーチクと書いているんだなあ。そういうとこ、認めちゃえばいいのに。
しずかだ、っていうだけでじぶんを貶すこともできる。なんて自己中で、自分中心な感性。でも、主観的になれる者だけが表現を手にすることも知っている。
もう一度、目を閉じて、「しずけさ」に耳を澄ましてみる。
その「しずけさ」は無ではない。無を掴めるほど習熟していない。「無」をとりまく「有」をなぞって、無の形を想像するだけだ。ドーナツの穴。
……ほら。少し、自分の心のかたちが見えてきた。
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