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美術史第73章『中国美術史の前書き-中国美術1-』

 ・この記事はかなり量がある中国美術史の前に押さえてほしい部分の話をするもので、まだ、他の記事のように本格的に歴史を語るものではなく、歴史を語るだけでは見えない全体の大まかな特徴や一ジャンルの流れのようなものを見ていただきたいと思って書いたものです。

  現在の中国は数えきれないほどの民族が存在する多民族国家だが、中国史や中国美術の主体となったのは黄河流域を起源とする中国語を話す農耕民族である漢族で、紀元前には中国南部では稲作を中心とした「長江文明」も存在したが、漢の時代から現在まで広大な地域が漢民族の文化の影響下に置かれている。

北方異民族を防ぐための万里の長城
モンゴル兵

(↑以前投稿した単発記事)
 また、中国の北方地域には古くから女真族などのツングース系民族、ウイグル人やキルギス人などのテュルク系民族、モンゴル人や契丹族などのモンゴル系民族という三つの系統の騎馬遊牧諸民族が存在し、巨大な長城で防衛が行われたものの、歴史上では中国が分裂状態になった際や弱体化した際には南北朝時代の北朝、遼王朝、金王朝、元王朝、清王朝などの北方騎馬民族が中国を支配する「征服王朝」もあった。

女真系の清皇帝の康熙帝が編纂した漢語辞書『康熙字典』

 しかし、それらの中国を支配した異民族はほぼ全て漢民族の文化に同化されていき、それらの王朝でも中国の文化を発展させていくこととなった。

始皇帝

 また、中国には古くは黄河流域を中心とした緩やかな連合国家である殷王朝や周王朝が存在したが、秦国の王出会った嬴政が全ての諸侯を滅ぼして始皇帝となり秦王朝を建国して以降、非常に大きな権力を持つ「皇帝」をトップし、皇帝の支配下の官僚が政治を行う事で、皇帝に権力を集中させる強大な帝国が支配してきたという歴史がる。

漢の領土
二千年以上、儒教の入門書として機能した孔子の現行録『論語』

 その後、秦王朝の後に中国を支配した劉邦から始まる「漢王朝」からは孔子を開祖とする「儒教」が国教として機能し始め、数年の間、儒教に基づく国家運営が続くこととなり、漢では現在の中国文化の多くが築かれていったことから「漢字」や「漢民族」「漢文」などの名称もここから取られている。

老子の残した『老子道徳経』

 ちなみに中国土着の信仰としては儒教の他に老子の思想を基礎とする「道教」も存在し、これらも音楽、文学、そして美術の題材ともなっている。

Exelで以前に作成した中国史年表
分裂した中国

 また、中国は秦王朝の前の春秋戦国時代や漢王朝の後に訪れた三国時代や晋王朝の後に訪れた五胡十六国時代と南北朝時代、唐王朝の後に訪れた五代十国代と遼・西夏・宋の並立など特定の王朝により統一支配されていない時期も多く、逆に中国のほぼ全土を統治した秦・漢・晋・隋・唐・元・明・清などの王朝は「中華帝国」と呼ばれ、「中国」という概念はこれら漢民族の地域で生じてきた文明や国家などの総称といえる。

大同の『雲崗石窟』

(↑以前連載していたシリーズ)

 また、中国にはインドの仏教、ペルシア、ギリシア、ローマ、エジプトなどのキリスト教やイスラム教、ゾロアスター教など西方の思想がシルクロードを通した交易の影響などで多く入り中国文化の形成に大きな影響をあたえており、美術の面でも非常に大きな影響を受けている。

 異国から伝わった文化の中でもインドから伝来した仏教は中国で大きく繁栄、中国で独自の発展を遂げ、多くの仏教美術が作られ、文化的な影響下にあるが漢民族に同化しなかった朝鮮半島や日本列島などに仏教文化をもたらすこととなり、中国のあらゆる美術が東アジアの美術の基礎となった。

ポツダムのシノワズリ建築
欧州の陶磁器

 そして、その逆に中国美術が西洋美術に取り入れられることも多くあり、例えば磁器や製紙技術などは発明自体が中国で、他にも多くの文化がイスラム世界を通してヨーロッパにもたらされており、近世にはロココ美術と合わさって中国風の美術の潮流である「シノワズリ」がヨーロッパで流行した。

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