美術史第24章『北方でのルネサンスの開始』
北方ルネサンスとはイタリア以外のヨーロッパ、例えばフランスやオランダ、ドイツなどに伝わったルネサンス文化の事で、15盛期末期頃からドイツ、フランス、イングランド、ネーデルラント、ポーランドなどでそれぞれの北方ルネサンス文化が展開され始めた。
フランスでは、フランソワ1世がダヴィンチなどイタリアのルネサンスの芸術家を宮廷に迎えてルネサンス様式の宮殿を造営した事で、ルネサンスが開始した。
また、フランスの北の当時の経済の中心地のブルッヘやアントウェルペンがあるネーデルラントのフランドル地方では独自の初期フランドル派という写実的な画風が既に存在していたものの、建築の分野ではゴシック建築の様式が続いた。
北方ルネサンスが活発になった時代にはローマ教皇を指導者とし、西欧で支配的だったカトリック教会から離脱して別のキリスト教の派閥達プロテスタントが誕生した「宗教改革」が起こった。
他にもイタリアやドイツでは都市国家が繁栄する一方、フランスやイングランドなどでは中央集権型の政治体制が築かれ始めた時代で、これらの動きは当然、北方ルネサンスの文化にも大きな影響を与えることとなった。
イタリア以外でルネサンス文化が広まった理由としては、物々交換による貿易から貨幣を使った貿易へと時代が変わった事、自由を制限された奴隷「農奴」が各国でさまざまな理由で解放された事、諸侯が各地をそれぞれ治める政体とは逆の君主を一番トップとして国民が纏まっている政体に移った事、モンゴルによる火薬の伝来により銃などが生まれ諸侯が持っている軍隊が意味をなさなくなった事、農業技術の上昇や新大陸からの新種の持ち込みで農業生産量が向上した事などから、君主の下にいる諸侯が各地域を治めるという封建制が徐々に形骸化したというのがある。
このような封建制の衰退やカトリックからの人々の分離は、カトリックの司教や修道院が荘園の領主として奉納を受け取る代わりに領地に住む人々を保護するという長きに渡り続いた荘園制度の消滅も招いた。
これらにより、北方ルネサンスが本格的になる以前の15世紀初期にはカトリックとは関係ない民衆同士の互助組織ギルドが結成されていくなど、イタリア諸国のように市民が力を持ち始め、この様な社会の変革の中でルネサンス文化の根幹と言える人間の正しい生き方を探求する人文主義(ヒューマニズム)がネーデルラント地方のデジデリウス・エラスムスなどの活躍により西欧で浸透した。
これにより今までは宗教上禁止されていたさまざまな芸術表現が許される様になっていき、ルネサンスの様式はヨハネス・グーテンベルクの活版印刷の発明以降、短い間に西欧全体に広まった。
この活版印刷による本の大量生産は、人々の知識欲を刺激しこれにより科学の本格的な研究が開始、さらに様々な政治的思想が影響力を持つ様になり、「聖書」が活版印刷で知識層や聖職者だけでなく一般民衆にも普及したため、教会が行なっている行為が聖書と食い違う事が露見、当時マルティン・ルターやフルドリッヒ・ツヴィングリ、ジャン・カルヴァンなどにより主導されて行われていたカトリックの教えから離脱する宗教改革がさらに加速していった。
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