美術史第36章『20世紀最初の美術』
・20世紀の始まりの歴史
20世紀初頭、ライト兄弟の人類初飛行や、プランクによる量子論の創始、アインシュタインの相対性理論発表など人類が大きな進歩を遂げる一方、日露戦争の結果の「血の日曜日事件」と「韓国併合」、「青年トルコ革命」、「辛亥革命」、「メキシコ革命」、「モロッコ事件」、「バルカン戦争」などが起き世界が不安定化した。
そしてついに1914年には第一次世界大戦が開始し、ロシア帝国は崩壊しソビエト連邦となり周辺諸国への侵略を開始、ドイツ帝国も滅亡し莫大な賠償金を抱えヴァイマル共和制が成立、オーストリア=ハンガリー帝国は分裂、オスマン帝国は崩壊し中心部はトルコとなって、その他の地域は欧州諸国に植民地化された。
その一方で戦後にはアジア各地で欧州諸国からの独立運動が開始、また、第一次世界大戦で衰退しきった欧州諸国に余裕のあったアメリカ合衆国が莫大な資金を貸し、これにより「狂騒の20年代」と呼ばれる時代が到来した。
ここでは製造業が爆発的に発展したため「大量生産・大量消費」という状態に入り、ジャズなどの娯楽が大いに繁栄、スカートやボブカット、強いメイクアップなど現代女性の元となったとも言える「フラッパー」というファッションが流行、ラジオ放送やレコードが普及しした。
美術の面では世界の中心となったアメリカで幾何学的な図形や記号的表現や原色を使った対比表現を使う「アール・デコ」様式が流行、20年代の経済や文化の大発展は大戦で衰退していたヨーロッパでも起こっていたためアール・デコの様式はヨーロッパでも流行した。
しかし、1929年、「ウォール街大暴落」という株価大暴落がアメリカで発生、狂騒の20年代の文化繁栄は消え失せ、世界全体が衰退することとなる。
・20世紀芸術の始まり
20世紀に入った頃のフランスの芸術の都パリは19世紀末期に続き「ベル・エポック」と呼ばれる華やかで享楽的な時代が続いており、パリを中心とする西洋美術は繁栄と平和を享受、フランスの「アール・ヌーヴォー」、ドイツの「ユーゲント・シュティール」、「モダニズム」などのそれぞれ独自色を保ちつつ新しさを求める「世紀末芸術運動」の流れがヨーロッパ中を席巻した。
アール・ヌーヴォーの運動の中では多くのパネル、ポスター、カレンダーを制作するアルフォンス・ミュシャという画家が活躍し、曲線を多用した作風で「スラヴ叙事詩」などを描いた。
この時代には多くの分野で相互に交流しながらの美術の追求が展開されており、この時期に結成された代表的な芸術家グループとしては、産業の発達によって大量生産による安い粗悪品が溢れかえっている現状に反発し、産業革命以前の手仕事に帰り生活と芸術を統一するという思想をもったウィリアム・モリス率いる「アーツ・アンド・クラフツ運動」がある。
他にも「ラ・ルヴュ・ブランシュ」という芸術雑誌を中心としたフランスの芸術家集団、ベルギーの前衛芸術集団「ラ・リーブル・エステティーク」、「ユーゲント」や「パン」の雑誌を中心としたドイツの画家集団、ミュンヘン・ウィーン・ベルリンで結成された分離派グループなどがあった。
その中でもウィーンで結成された「ウィーン分離派」の影響力が強かったとされ、「接吻」「ダナエ」「ユディトI」「アデーレ=ブロッホ・バウアーの肖像I」などの作者でアカデミック美術のハンス・マカルトの後継者であったグスタフ・クリムトがここで活躍した。
このウィーン分離派の影響によりオスカー・ココシュカやエゴン・シーレなど内面の主観的な部分を重視する「ドイツ表現主義」や、「装飾は犯罪である」と唱え、モダニズムの先駆的な建築を行なったアドルフ・ロースなど独自の思想を持った芸術家の誕生が促されたとされる。
結果、ノルウェーの画家で「叫び」「マドンナ」などの作者であるエドヴァルト・ムンク、ベルギーのジェームズ・アンソール、スイスのフェルディナント・ホドラーなど後に流行することとなる表現主義の絵画に大きな影響を与えた画家達が盛んに活動した。
現代美術の始まりは新しさを模索する豊かな19世紀末期の世紀末美術の流れを受け継ぎ表現主義などさらに発展させることで始まったと言える。
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