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【感想&考察】アニメ葬送のフリーレン2周目、第16話~第18話

前回に引き続き、原作未読のアニメ『葬送のフリーレン』の視聴2周目の個人的にエモいと思ったところを綴るやつの4本目です。ネタバレがあるので未視聴の方はブラウザバックを推奨します。それでは、行きましょう。


3.2周目で抽出したエモいところ

3-13.第16話=記憶の引継ぎ

挿入される様々な回想から、フリーレンは異常なまでの記憶力があるものと錯覚してしまいます。ただ、エルフの直近100年の記憶は人間でいうところの "ついこの間" くらいの感覚だと思えば、覚えていて当然かと納得がいきます。

フリーレンの中にあるヒンメルの記憶は勇者パーティとフォル爺との出会いから始まります。会話の流れから偶発的に、フリーレンはヒンメルから勇者パーティの記憶を未来へ連れて行くことを頼まれて、それを了承します。ほんの些細な出来事でしたが、のちにそれがフリーレンにとって重大な意味を持つとは思いもしなかったでしょう。80年の時が経ち、フリーレンはその機会を与えてくれたフォル爺に感謝を伝えます。

しかしながら、フォル爺は当時話していた妻の顔や声、ヒンメルの名前などの記憶を失っていました。自分と同じレベルで話せると思っていたフォル爺の信じがたい物忘れに、フリーレンは声を少し震わせながら「フォル爺は冗談が上手いね」と、将来自分の身に起こるかもしれない勇者パーティのことを忘れてしまう恐怖を払いのけます。いくら長寿友達と言えども、ドワーフの体感時間はエルフよりもずっと早いのだと実感させられます。

第16話のキーポイントは、フォル爺と妻の関係がフリーレンとヒンメルの関係に対応していることです。フォル爺が妻の愛した村を守るきっかけを忘れてもなお死者との約束を果たそうとするように、フリーレンは人間死者ヒンメルを知る旅を続けています。ヒンメルに関する記憶の原点、時間ゼロの地点にはフォル爺が一緒にいるので、フリーレンはきっかけを与えてくれた恩返しとしてフォル爺の記憶も未来に連れて行くことにしたのでしょう。

3-14.第17話=シュタルクが教えてくれた人間の感情

過去にヒンメルが自身の病床で寄り添ってくれたように、フリーレンがフェルンを看病するイベントがありました。子供扱いではなく心の支えとして手を握る場面や、セリフは真に迫るものがありました。第3話ではフェルンがしてくれたように、第17話ではシュタルクが「たぶんフェルンが恥ずかしがっていたのは俺がいたからだ。甘えている姿なんて、人に見られたくなんかないよな」と人間フェルンの感情を教えてくれました。その後、シュタルクは小屋主のお手伝いをする建前で、フリーレンがフェルンと2人きりになれるように気を利かせます。

手を握られてまた子供扱いされていると誤解しているフェルンに対して、フリーレンは「(もう子供じゃないってことは)知ってる。(こうして手を握っていると人間が安心することも)知っているよ」と、身も心も寄り添います。とりわけ、二言目の「知っているよ」はフェルンだけではなくて、見ているこちら側まで落ち着かせてくれるような優しさの込もった声でした。10年近く一緒にいるからこその間柄だからでしょうか、この二言でフリーレンの言わんとしていることを察するフェルンはさすが機微にさといですね。こうしてまた一つ、フリーレンは人間のことを知ることができたのでありました。

3-15.第18話=すごい魔法使い

( 'ω' ).。oO( 空が半分しか見えなかった程の大きさねぇ、馬車襲撃の経験から上空の警戒ができないことのミスリードなのか区別つかんのよなぁ……

第18話では、ヒンメルとフェルンが聖杖の証の価値を知らずとも "フリーレンがすごい魔法使いであることを知っている" とほぼ同じセリフを言います。それに対してのフリーレンのリアクションは全然違いました。ヒンメルには「でもすぐ死んじゃうでしょ」と冷ややかに言っていたものが、フェルンには「そうだね」と頭を撫でています。これは言うまでもなく、フリーレンが人間を知ろうとする前後が背景にあります。

人間を知ろうとする前は(人間ヒンメルが自分のことを覚えていたところで、すぐ死んで関係も記憶も無くなっちゃうから意味なんてないよ)っていう認識だったと思います。でも、ヒンメルが亡くなるとともにフリーレンは変わりました。たとえ死後だったとしても、ヒンメルがフリーレンのことをすごい魔法使いだと知っている記憶は今も残っているんですよね。知ろうとすれば関係が続いていることを実感できますし、覚えていてもらうこと自体に意味も生まれてくるわけです。このことを理解したフリーレンは改めてヒンメルに返事をするように、代わりにフェルンの頭を撫でている姿が印象的に映りました。

てかさぁ1=フェルンのフリーレン "様" 呼びって、いつまで?

フリーレンとフランメの関係がそうだったように、フリーレンがフェルンの死まで行動を共にすると考えましょう。そうすると、たぶんどこかのタイミングでフリーレンがフェルンのフリーレン "様" 呼びによそよそしさを感じるはずなんですよね。根拠としては、いくら魔法使いの師弟関係があるとはいえ、フリーレンが人間を知ろうとしている以上は自分からフェルンとの心の距離を縮めていくからです。

ただ、少なくとも作中で描かれている魂の眠る地への旅をしている間は変わらないと言いましょうか、魔法使いとしての実力が同程度になるかフリーレンを上回るまではそういったことは起こらないような気がします。例えとしてはどうかと思いますが、これはある種フリーレンの初めての子育てみたいなものですからね(経験豊富なゼーリエとは対比的です)。

ところで、フェルン側から見てみるとどうでしょうか。フェルンはフリーレンと出会った幼少の頃から誰に対しても "良い子" であるように振舞っていますよね。その流れがずっと続いているからなのか、フェルンはフリーレンとある程度の距離を置いていて、関係の発展を遅らせているように見受けられます。個人的に、なかなか縮まりそうにないこの2人の関係性が不自然に見えない理由は、フリーレン側からのアプローチが人間基準でスローペースであることに加えて、フェルンの戦災孤児の境遇によって身についた礼儀正しさのためだと推察しています。

そういう設定にしておけば、いつかフェルンが呼び捨てにするくらいの関係に発展しても気にしないフリーレンをめちゃくちゃエモく感じられるでしょう。この変化にかかるタメが長ければ長いほど、エモさの強度って跳ね上がるじゃないですか。実際に描写されるかどうかは分かりませんけれども、可能性を信じて今からそれを楽しみにしておくことにしましょう。

てかさぁ2=『葬送のフリーレン』って…… 難しいよなぁ?

『葬送のフリーレン』の売り(?)になっているエモいシーンでは、その全部をセリフで説明してくれません。その代わりにキャラが何かしら意味のある行動をして、見ている側がその本意を能動的にすくいあげる言葉に頼らないハイコンテクスト演出を徹底しているように感じます。時には誤解してしまう危険性もありますけれど、これは制作側が作品に絶対の自信を持っていて、見ている人が意図を汲んでくれると信頼しているからこそできることなんだと思います。

( 'ω' ).。oO( 画面に映ってるものが全てじゃないから難しいんよなぁ……

意図がつかめない時は、どこかに必ず理解につながるヒントが作画されていると思いながら自分は2周目を見ています。1周目はぼ~っと眺めているだけでも十分楽しめたんですけれど、毎回毎回見終わった時に「何か知らんけど、何かエモかったわ」っていうカッスい感想ばかりになっていたのが、理解力がなくて負けた気がしてたんですよ。

「さすがにこんな頭の悪い一行感想をnoteで垂れ流してもしゃーないしなぁ…… もういっそのこそ、間違っててもえぇから特にエモいって感じた場面と理由をフィーリングで書き起こしたろうやんか」っていうナゾの反抗心から書き始めたんですよ。そういうわけなんで、これまでにアップロードしたフリーレンnoteについて "自分の解釈が正しいんだ" とかドヤるつもりは一切ないことをお断りしておきます。飽くまで、一視聴者の感性による好き勝手な解釈ですのでね。ここまで読んで下さるような酔狂な方は、自分との違いを答え合わせ的な感じで楽しんでいただけたら幸いです。

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第16話~第18話の中では、悠久の時を生きるエルフのフリーレンが物忘れの恐怖を感じていたのが心に残りましたね。絶句した瞬間、"いつか誰かに自分の記憶を託す時がくるかもしれない" といった考えがぎっていたと思ったら、その時間スケールのデカさに頭が炸裂しそうになりました。第19話以降の感想はまたこれとは別のnoteにアップロードすることにしますね。

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