僕が生きづらくなった、死のうとした理由
このページを開いていただきありがとうございます。
前置きが長いのはあまり好きじゃないのでざっくり書いていきます。
そもそも文章を書くのがそんなに上手じゃないので、お見苦しい点が多々あると思いますがご勘弁ください。
時間が無い方用にざっとプロフィール載せておきます。
0.プロローグ
僕は社会から孤立しました。
とはいっても会社には一応勤めながら(ちょいちょい休んでるけど)
妻もおり、念願の防音室付きマイホームもあと一か月で完成します。。
孤立してないじゃん!と思うかもしれませんが、あくまでそれは物理的な話です。
心理的には完全に孤立し、今も会社で一人ポツンと離れ小島のデスクでこれを書いています。
(バレたらそりゃ「仕事しろよ」となるのですが、だれも私に興味がないのでそもそもバレません)
感じたことがある人は少ないくないと思いますがまさに
「世界は自分に興味が無い」「自分は社会に必要とされていない」という感覚を毎日味わい
そのたびに全身の毛がざわざわと逆立ち消えてしまいたい衝動が走ります。
よく「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」と言われますがまさにその通り。
この世界は自分に「無関心」なのです。
つい1年前は家庭も仕事も絶好調の真っただ中でしたが、一気に転落しました。
ほぼ自分にとっての備忘録ですが、経緯と気持ちの変化を書いていきます。
見事なまでの社会不適合者の出来上がり方を、ある一人の転落人生を嘲笑しながらぜひご覧ください。
1、落ちるまでの話
バンド活動に明け暮れ大学を5年かけて卒業し(親には超泣かれました)
母も大病を患っていたため地元へUターン、何の資格も持っていなかった自分が「楽しそう!」というだけで楽器店にアルバイト入社
その後一定の成績(売上)をクリアし契約社員登用されるも金銭面での待遇が悪すぎて4年務めた楽器店を退社。
現在勤務している会社へ入社します。
ほぼ同時期に10年ぶりぐらいのおよそ10歳近く年下の彼女が出来たのも転職の理由の一つ。
その1年後にはそのまま結婚します。
新しい会社はBtoBのシステム運営会社で、配属はシステムを利用しているお客様からのコールセンター受付。
コールセンターとは言っても単純に操作方法だけにとどまらず、ネットワークインフラの知識や膨大なデータベースの検索
一部プログラム的な事も理解していないといけない広く知識が必要な仕事でした。
自分で言うのもアレですが(笑)理系脳な私にはそう言ったことの理解は早く
客様への対応も4年培った前職の経験から苦も無く、研修が終わって独り立ちするときに当時の上司からは
「ごめんね、なんかほったらかしで。まぁでも仕事ぶり見てると全然心配していないんだけど。君ならいずれ部署の中心となって活躍できるよ」と言われました。
その後着々と評価を伸ばし(我ながら外面の良さには自信があったのもあります)ついに新プロジェクトへ参加することになりました。
今まで「電話を取って対応」から、それもやりつつ新しいお客様へのシステム導入の新手法の確立を任されました。
まさに「0」から「1」にする仕事。でも内心は誇らしい気持ちでいっぱいで、手法が確立した後は新規部署発足、昇進まで視野に入れるほど野心がありました。
今までの電話受付業務も量は少ないですが業務として行っていたため、自身に満ち溢れていたそのころは後輩もでき
「いかに各々偏ったスキルを分配できるか」⇒「同僚のフォローを今まで以上に頑張ろう!(プロジェクトで得たノウハウもあるし!)」と考え
結構何でもかんでも首を突っ込みに行ってました。何かトラブったり大変そうにしている人がいればなおさらです。
今思えばこれが良くなかった。
当時の私は完全に奢っており、上長に言われた「中心人物に~」と完全に鵜呑みにし天狗状態になっていたんですね。
もちろんその時は完全に「自分はできるやつ」だと思い込んでるので、率直に言うとかなりウザい存在だったのかなと思います。
そしてある日気付いてしまいました。
あれ?みんなの俺への接し方、なんか変わった?
なんかそっけないんだけど・・・。
最初はふとした違和感でしたが、それはまるで心にともった種火がだんだんと燃え盛っていくように強く感じてきました。
それまではくだらない話で笑いあったり、仲のいい同僚と休みの日に遊んだりしており、良好な関係でした(と思いたい)
後述の転落後に数少ない本音を話せる先輩がこう表現していました
「他部署から来たけどこの部署って、なんか異常だよね。まるで中学高校のクラスみたいに、派閥?みたいのがあってできないやつは虐げられてる」
まさにこの感じ。仕事が出来る人たちはワイワイ仲良くしてるけど、その他の人たちはいわゆるスクールカーストの下位みたいな存在。
その仕事が出来るグループの人が、みんないる前で同僚(後輩だけど年上)に「それを上長に相談するの?あまりにもレベル低いんだけど」と言い放った時はさすがに耳を疑いました。
(でもチキンなのでその場で言われた人をフォローできなかったのは今でも悔やんでいます)
前述の通り自分も自覚はありませんでしたがそういう「出来る人たち」と仲良くできていました。それが普通だったのです。
その普通が突然崩壊。
それに気づいた当時は「あ、俺勘違いしていたな」と思い異常なまでの申し訳なさでいっぱいになりました。
さすがに耐えきれなくなりそれまで「出来る人たち」でも一番話しやすかった人に「今まで自分はこうだったね。ごめんなさい」とチャットで送りました。
返答として「そこまでわかってるんだったら、(あなたを悪く思っていたことは)否定しないよ。でもそれに気づけたならもう大丈夫だね」
先輩ではあるけれど年下の同僚なのになんでこんな上から目線なんだよとは正直思いましたが(笑)ここから挽回しようと決意しました。
ただ時期的にタイミングが悪かった。
2、落ちっぷりの話
特定されるのが嫌なので、明言は避けますが、とある法改正によりウチの会社はモロに影響を受け当然施行後は電話がもう鳴りやまない状態。
ただ私はというと前述の「挽回だ!」と息巻いている状態なので、だれよりも多く電話を取って、誰よりも貢献しようと考えました。
結果、一番電話とっていない人の5倍ほどの件数を対応しました。それも連日。
もちろん定時でなんか帰れるはずもなく、残業するんですが会社が一定以上の残業をしないようお達しがある状況。
シフト制なので通常さばききれなかった仕事は次のシフト時間の人に申し送りするんですが、そんな状態の私は意地でも一人で片付けようと思いました。
時間が無い、残業もできない中考え出したのは「早出で出勤なら残業じゃないじゃん!」というアホな考え。
ピーク時は23時ぐらいに帰って、家でシャワー浴びて1時間だけ寝てまたAM2時頃出勤してまた23時ぐらいまで仕事・・・(笑)
時間の前後はありましたが1週間の平均睡眠時間が3時間ほどの時もありました。
会社で決められているお昼休憩1時間もとらず当然仕事。当時食事もほとんどとらず栄養ドリンクとカロリー○イトしか食べていませんでした。
そんな生活でもみんなの役に立っている、今までの挽回が出来ていると思えば逆にすがすがしい気分でした。
今思えば徐々にこの時心も蝕まれていったんでしょうね。
そんなのが1か月半ぐらい経ち、徐々に仕事量も減っていった中、溜まった仕事がなかなか減らないので相変わらず忙しい日々。
隣に座っていた女の子が社内チャットツールでずっと同じ同僚としゃべってるんですね(内容まではさすがに見えませんでしたが)
この2人はカーストでは上の立場。どっちかが休みでもずっとチャットしてるんです(多分秘密裏に付き合っているんだろうなと思います)
そして同じタイミングぐらいでひょんなことから非公式の社内チャットグループの中をのぞいてしまったんですね。
そこにはカーストが上の人たちが「あいつは頭が悪い」「またあいつがミスをした。迷惑」などの陰口がガンガン横行していました。
そこで気づいてしまいました。
あ、自分もこんな風に言われてたんだな。と。
そう気づいたらもうダメでした。
もはや前述のチャットした人に「陰で俺の事いろいろ言ってるよね」と聞き「否定はしないけど、それはあなたを心配しているから」とか言い訳がましいことも言われました。
いや、事実として陰口たたいてるじゃん。
周りのタイピング音が全部自分の悪口に聞こえ、何か電話対応するたびにきっと陰で「あいつは能力が低い、ダメな奴だ」と思ってしまうようになりました。
睡眠時間も削られていて知らず知らずのうちに精神がすり減ったところにそんな状況になったらもうどうしようもありませんよね。
案の定私は壊れました。
何も食べてないのに吐き気が収まらない状態が続きました。
1時間に1回はトイレに駆け込んで胃液?的なものだけひとしきり吐いてまた席に戻る。
悪口をみんなが言っている(ように聞こえる)
またトイレに駆け込む
さらに夜も「きっと明日も針の筵の中仕事するんだろうな」と思うと眠れない。
眠れないので余計に精神状態が悪くなる。
精神状態が悪くなりまた吐く・・・(以下ループ)
もちろん同僚とも何も話さず。助けも出せず。どんどん孤立していきました。
見かねた上司がさすがに仕事休んで病院行けと言ってくれ、心療内科に行きました。
行った心療内科も「いいから甘えてないで仕事行けよ」と言っているようにしか私には聞こえず、薬くれるだけでした。
ただ、そこで味わってしまったんですね。
休みという名の甘い蜜を。
そうなったらもう後は落ちるだけ。
会社に行けなくなりました。
行こうとしたこともありましたが、向かっている途中またあの吐き気。無理でした。
上司も長期休みを推奨してくれたため(というかそれしかない)診断書をもらい1か月休暇を取ることに。
愚痴になりますが診断書くださいって言った時も「なんて書くんですか」「どのぐらい休むんですか」とか私に聞いてくる心療内科医・・・。
いや、それを診断するのがあなたの仕事じゃないのと思いつつ、適当に受け答えしてもらった診断書は「適応障害により相当期間休養を要する」というものでした。
なので1か月というのも上司と相談して自分で決めた期間。
正直なところほっとしたんですが、果たして1か月休むことでこの心持は変わるのだろうかとは内心思っていました。
3、落ちて底にいるときの話
かくして1か月の休暇を得た私。
しかし今思うとそれも効果的な対処だったかというと、ベストではなかったのではないかと思ってしまいます。
家にいるときはさすがに吐き気とかは有りませんでしたが、ぽっかりと心に穴が開いたような状態で何もやる気が起きませんでした。
考えているのは「今、みんな(同僚)はどう思ってるのかなー」という事だけ
それを思うとますます心が暗くなっていくのがわかりました。
唯一の光だったのが妻の存在。
何かやることを探してくれたり、休みの日は一緒にお出かけしようと連れ出してくれたり。
この時妻がいなかったらと思うと本当にゾッとします。
ただ、1か月ってあまりにも短いんですね。
自分の気持ちを整理できないまま、出勤日を迎えました。
案の定行けませんでした。
上司から電話がありハッパをかけられました。
次の日、なんとか出勤しました。
ただ、これは現在進行形ですがなんとまぁ居心地の悪い事悪い事。
私の仕事は上司が全て引き取っており、同僚からは奇異の目で見られ(そう勝手に感じているだけかもしれませんが)もう居場所はないように思いました。
そしてまた社内チャットで「何の役にも立たないやつが来たぞと」きっと言われているんだろうと思いました。
上司と面談し、計らいで通常の業務から外れプロジェクトの資料を延々更新するという業務を命じられ
そしてきっと気を使ってくれたのでしょうが、部署の机の塊からは離され、一人ポツンと離れ小島で作業することに。
1日誰とも話さずただただ資料を作る。
電話対応の声は聞こえる。自分はできない=価値が無い。
そうしている中でだんだん「みんなは自分についての悪口を言っている」から「みんな自分について興味がない」んだと思うようになりました
冒頭に記載した通り「嫌い」ではなくとうとう「無関心」な存在となったのです。
悪い事って続くんですね。さらに追い打ちがかかります。
今まで唯一の光であった妻が仲のいい友達(男二人)が出来たらしく、遊びに行く頻度が増えました。
ちょうど同じタイミングで私への接し方もドライになりました。
聞いたところ「いて当たり前の存在になったから、以前のようにベタベタはもうしない」との事。
果ては仕事が遅くなると嘘をついてまで男友達と遊ぶように。
しかもそのあと好きな人ができたとか言われ、もう完璧に浮気だな。終わりだなと思っていました。
ただ逆に全部正直に言ったり、既婚の身だからと自分で言っているあたり完璧な浮気ではななさそうでした。
でも唯一の味方にこんなこと言われたら誰だってダメージ受けますよね
まぁ私もさすがに依存しすぎていたかなと思い、男女一対一にならない限り自由に遊びに行かせたり、夜skypeで楽しそうにしゃべっているのも全て許しました。
今思えば甘かったかなーと思います(と言いつつ今も許していますが)
こうやってますます自分をないがしろにしていき、知らず知らずのうちに心が壊れていきました。
4、底にいると思ったらさらに落ちた話
タイトルの通りの話が続くのですが、その前に少しだけ良いことを。
上司のBさんと先輩のKさんの存在です。
1か月の長期休み中、最終週にお二人に食事に誘われました。
本当にいい人たちで「みんな待ってるよー」と温かい言葉をかけてくれました。
また、Kさんは同じ部署ですが少し特殊な業務で「孤独感」というところが共感してくれるところがあり心強い存在でした。
本当にお二人には感謝しております・・・。
さて、タイトルの話に戻りますが、このままじゃヤバいと思った私は心療内科とは別にカウンセリングのサービスを受けることにしました。
正直心療内科は薬もらう目的でしか通ってなかったので、これは内なる自分を変える必要があるなと。
数回通っているうちにカウンセラーがふと「何か自分で自分を辛い方向へもっていってる気がするけど、心当たりある?」と言われました。
全然意識したことは無かったのですが、確かに崇拝する人物は27歳で自殺したし、好きな漫画のキャラは「素晴らしいものは地獄から生まれる」と言っていたのを思い出しました。
無意識にそんなことを思ってるかもしれませんね、と話しているうちに「死」という概念が私の頭をよぎりました。
あれ・・・?俺って死にたいのかな・・・?
もしかして死んだら楽になれるのかな・・・?
そう考え始めるともう止まりません。
「死」についていろいろ調べるようになり、死にあこがれを持つまで2日とかからなかったです。
伝えたい人全員分の遺書も書きました。
そんなタイミングでBさんとKさんとまた飲みたいなーと思いお声がけしたところ、お二人の力を借りて同じ部署のあまり話したことのない2人も一緒に呼んでくれることに。
内心こうやって少しずつ今微妙な関係になっている同じ部署の人たちとお酒の力を借りて近づいていけるかなと思いました。
当日は5人で楽しく飲みました。
仕事の事について語りました。
もっと来てくれた2人と話したい・・・。
そう思った私は個人的な連絡先を交換しようよと後日言ってみました。
一人は快諾してくれました。
もう一人にはきっぱりと断られました。その気はありません。と。
聞かなければいいものを、わざわざ理由を聞いたところ「仕事とプライベートは分けたいのと、今の○○さん(私)の状況を鑑みて・・・」と後半よくわからない理由を言われました。
考えてみたら、こんなメンヘラおじさんと好き好んでプライベートを犠牲にして連絡先を交換しようと思うでしょうか。
それに気づいたとき、タイミングも相まって私の中では一つの結論が出ました。
自分の存在には、意味がない。
この世界は、私に無関心だ
死のう
その日、帰宅の足でホームセンターに寄りました。
ミニコンロと練炭を買いました。
心療内科にもよりました。
まだ眠れないと言って睡眠薬を多めにもらいました。
コンビニでアルコール度9%の酒を買いました。
人気のないところで車を止め、個包装の薬をコンビニで買ったプラスチックカップに入れていきました。
途端にゾクリと悪寒が走りました。
あれ、本当に、死ぬの?
今日が命日になるの?
さすがにビビった私は家へと帰っていました。
頭の中は軽くパニックです。
もう正確には思い出せませんが、死ぬ恐怖と、死にたい欲求と、生への執着がごちゃ混ぜになってました。
結局もらいたての2週間分+のみ忘れで残っていた薬(抗うつ剤、抗不安剤、抗精神薬、睡眠薬)を9%のアルコールと共に一気に流し込みました。
5分もせずその場で意識を失いました。
5、2回目の底の話
その後の1週間は記憶があいまいなので、正確には思い出せません。
話を聞いたところ、数時間後に帰宅した妻が救急車を呼び運ばれていったそうです。
2,5日間入院したこと、義父母が世話をしてくれたことが、おぼろげな記憶に残っています。
中途半端なことをしたので当たり前ですが、死にませんでした。
多分練炭使わなかったのを考えても、死にたくなかったんだと思います。
連絡先の交換を断った同僚に、陰口を言っていた同僚に、妻に、一生消えない傷をつけてやりたかったんだと思います。
精一杯の復讐のつもりでした。
本当は自分で自分を苦しめているのに
助けてほしかったけど、自分に無関心なこの世界に、復讐を。
ただ、結局何もいい事なんて無く、ただ迷惑をかけただけでした。
そしてこの最悪な事はいろいろな形で尾を引きずる形となりました。
退院して土日を挟み4日後、初出勤した後なぜか腹痛が収まりませんでした。
しかも胃とか腸じゃなくてもっと下腹部。
そういえばいつもよりおしっこが近い。
夜になって痛みが治まらず熱も出てきたのでこりゃおかしいと思い夜間病院へ。
結果、入院時の尿道カテーテルより感染した膀胱炎っぽいとの事。
抗生物質をもらい2日後には動けるようになりましたが、意外にもこの経験が少し心の変化をもたらしました。
死ななくてよかったなという事。
救急車で運ばれていった時と同じ夜間の救急窓口に行ったのですが、当然救急車で来たときは覚えているはずもないので
「あーここから入ったんだなー」というのを想像しながら診察まで待っていたのですが、あの時本当に死んでいたことを想像するとゾッとしました。
この意識が、この痛みが、この歩いている足が、見えていることが、無となっていたかもしれないことが、何故かリアルに感じられました。
そして本当にこの時だけ「なんで仕事ごときで俺は死ななくちゃならないんだ?」と前向き思考になったのですが
今これを書いている今はもうそんな気持ちはありません。一時だけでした。
膀胱炎はさすがに今は良くなりましたが、1か月ほどたった今でもあるのは薬の離脱症状。
退院後紹介状を持ってすぐに「あのいつもの」心療内科に行ったのですが、話を散々聞いた挙句薄ら笑いで
「そんな人に薬はだせませ~ん」でいきなりの断薬を食らったため反動での離脱症状がとんでもなく出ました。
巷では「シャンビリ感」と言われるこの何とも言い難い現象がまだたまにあります(だいぶ薄れてきましたが)
最初知らなかったときは「顎にアッパー食らった感じ」と表現していました。
痙攣とかと違って実際に体が動くわけではないのですが、本当に感覚だけ、まるで電気を流された時のような感じが指先から脳天にかけてします。
「シャンビリ」というよりかは「バビン!」とショックがくる感じ
これが非常不快で。徐々に良くはなっているのでこれは抜けるのを待つしかないです。
あと不眠。
これを書いている数日前にようやっと睡眠薬だけ処方してもらえたので今は大丈夫なんですが
完全なる断薬中は2時間寝れればいい方、それも夢だか現実だかわからないぐらいうっすい睡眠でした。
もしこれを見ている自殺企画している方は、薬オンリーでは生き残る上結構その後大変な思いする事だけお伝えしたいです。
薬はあくまでも補助的に、何かと併用しないと自殺既達は難しいと思います(自死を推奨している意図はございません)
そして今、何事もなかったかのような顔をして離れ小島でしぶとく仕事を続けています
毎日毎日、周りの目におびえながら、孤独と闘いながら、文字通り息苦しい中もがいています。
希死念慮は消えません。ただ、死への恐怖は以前よりも増しました。
先日2週間ぶりに睡眠薬を飲むとき、あの一気飲みした時がフラッシュバックしたのか、緊張し、少し気持ち悪さを覚えました。
妻に言ったら「そう思うならもうやらないね」と言われました
確かに次にやるとしたら首を吊ることを考えているので、薬には頼らないと思います。
あーでも会社にインパクト残すなら社内で首を掻っ切るとか、焼身もいいなぁ。
ビビり散らした同僚たちの顔を「ざまぁみろ」って思いながら死んでいくのは、痛さ辛さよりもリターンがあるかもしれません。
死ぬほど職場が嫌なら辞めればいいじゃん!ってご意見、ごもっともです。
今私がこの仕事にしがみついている理由は、単純に給料がいいだけです。
年齢も30超えちゃったしもう転職もきついかなと思って。
そろそろ締めの文章をと思いましたが、この文章にきれいな締めは存在しません。
だって私の心は何も改善せず、相変わらず世界から孤立して、しかも惰性で生きているんだから。
多分もう自死を選ぶことは(少なくともしばらくは)無いと思います。
万が一また自殺企画して未達だったまた書こうかなーと思います。
何かしら引っかかった人、一部でも共感してくれた人、猛烈な批判を言いたい人は是非お気軽にコメント下さい。
今似たような悩みを持つお友達が欲しくてたまらないので(笑)
また何か思うところがあればつらつらと書いていきます。
6.逃げた話
3/14追記
仕事辞めました。
上述したように、お金に未練はあるけど
物理的にも精神的にも、これ以上自分が傷つく事とお金を天秤にかけ、退職という結論を出しました。
病院を変え、下された診断はⅡ型双極性障害。
カウンセラーからは、境界性パーソナリティー障害。
そして31歳、無職、これが今の私のレッテル。
しばらくは心と体を休めながら仕事を探していく予定です。
7.逃げられた話
7/29追記
2,3週間前から妻と別居しています。
とうとうこんな私に妻が愛想を尽かしたようです。
もう私に残っているものはそう多くなくなってきました。
「楽に死ねたらな」孤独感と虚無感で毎日そんなことを思いながら過ごしています。
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