足の裏の記憶が上書きされる革下駄
緊急事態宣言、という、いまひとつジブンゴトに置き換えづらいマニフェストが出てしばらくしたある日のこと。
いつものようにTwitterを眺めていると、ふだんはめったに起動することのないぼくの物欲が不意に立ち上がる投稿を見つけてしまった。
「革下駄、いいぜ」とのささやきに、
「革下駄、いいなあ」と心奪われた。
年季の入った中年のハートを一瞬で奪ったのは前田将多さん。以下、勝手に親しみを込めてショータさんと呼ばせていただきます。ショータさんは電通のコピーライターをリタイアしたのち、カナダの牧場でひと夏カウボーイとして過ごしたという経歴の持ち主です。
帰国後、日本のクラフツマンが誇りを持って造る革製品のセレクトショップ(という言い方があってるでしょうか)『スナワチ』を立ち上げ、今年で何年目なんだろう。大阪のショップは2年目を迎えたのですが、その前からオンラインで販売ははじめていたようです。
ぼくはショータさんのことは著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』で知ったクチです。Twitterでもフォローさせていただいており、以前から漢気(おとこぎ)あふれるスナワチの商品ラインナップを眺めては「ほえー」と感じ入っておりました。
しかし、今回の革下駄は、ちょっと違った。いきなり「ほしい」という気持ちになった。税込み27,500円という金額はぼくにとっては決して安くないのですが、絶対ほしいとおもった。こんなことはぼくには珍しいのです。
さっそく詳細ページに飛ぶと、それはそれは魅力的な商品紹介が。
そこにはスナワチの革下駄が生まれるまでのエピソード、実際にヘビーユーザーであるショータさんの使用感レビュー、色のこと、サイズのこと、もろもろほしい情報が詰まっていました。
画像も豊富で、ぼくの中の「ほしい」は右肩上がりで盛り上がっていきます。しかし、決定打はこのコピー。
「ラクですか?」と訊かれれば、ラクではありません。
「カッコいい?」なら、「おう、これを見てくれ」と言えます。
このフレーズに、やられました。
なにしろあまのじゃくなもので、便利はいいことなんだけど、便利すぎるとなんだか逆に居心地悪い。あえて不便さに味を見出す、みたいな昭和40年代男にどストライクですよ。さすがショータさん。電通のコピーライターあなどりがたし!いやもとよりあなどっていないけど。
あわてて第一回オウナー募集に遅れまい!と革下駄購入希望のメールを送信。ほどなくして「受付けました」と返信が。
それから約2ヶ月弱。なんとなくコロナへの危機意識が薄れかけていた7月の終わりに、そいつはやってきました。青いインクが印象的なショータさん直筆署名入りのお手紙とともに。
届いたばかりの革下駄。まだピカピカです。
「か、かっこええ~」ぼくはあっという間に革下駄の虜になりました。
さっそく足を入れてみます。
このとき、足裏を通じて脳に歓喜の信号が走りました。
まだ革が堅く、おそるおそる指をいれているのがおわかりでしょうか。しかし、たまらなく気持ちいいのです、これが。
なんといいますか、当たり前なんですがビーサンとかクロックスとかそういうものとはまったく違う履き心地。確かに革は堅いんだけど馴染んでくる。堅いは堅いなりに馴染むんだ、ということをはじめて知りました。
それまでに経験したことのない、味わったことがない感触をぼくの足の裏はたっぷり堪能しているかんじ。もはやこの時点で『買ってよかった大賞2020』は決定です。
さっそく革下駄ででかけます。まだリモートワーク勢が強めだった時期でしたが、会社に履いて行ったことも。同僚がみんな「シブいすね」「雪駄ですか?音鳴ります?」「ソレカワ?」などオウナー心をくすぐる質問をしてくれます。
ならしも兼ねて辻堂にある『ガッティーナ』というイタフラ専門中古車屋にあそびにいったことも。
辻堂駅から30分、歩いた歩いた。でも全然ダイジョーブ。
この革下駄の最大の特徴は「一歩」を意識させてくれることにあります。ふだんのスニーカーやそれまでのサンダルでは一歩足を踏み出すことにそんなに意識は向きません。
でも革下駄は違う。確実に「ンチャッ!」という音とともに右、左、右、左とリズムを刻んでいく。それがなんとも楽しく、足裏に心地よいのです。音楽でいうとレゲエって感じ。
そしてまたたく間に季節は移り変わり、革下駄の出番が減っていきます。そろそろ手入れして箱に仕舞って…と、ならないんですね。一度履いてしまうと、もう裸足では他の履き物を受付けなくなっているんです。
革下駄近影。だいぶ自分仕様になってきました。染みもいいかんじです!
と、いうことで師走にも関わらず近場へのちょっとした外出の時など、あいかわらず足元を飾る主役でいてくれます。活躍の場はぜんぜん減りません。その分、底が減ってしまうのですが、ダイジョーブ。打ち直してもらえばいいわけです。
この革下駄、いつだって手に入る代物ではなさそうですが、もしチャンスあればぜひ。足の裏の記憶がデリートされて、まったく未知の、新しい心地よさが上書きされることうけあいです。
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