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【広告本読書録:088】考えの整理

佐藤雅彦 著 暮らしの手帖社 刊

ぼくのなかでは広告は、ある人物の登場によって大きく潮流が変わったことになっています。紀元前と紀元後みたいな。AD、BCみたいな。AC/DCみたいな。最後のはちがいます。

その人の名は、佐藤雅彦さん。佐藤さんはそれまでの広告の文法というかお行儀というか、流派的なものに大鉈を振るった人です。もうほんとに、リアルタイムで体験したから言えるんだけど、ビフォー佐藤、アフター佐藤ってぐらい景色が変わった。

最初は、めちゃくちゃ違和感を覚えたんです。いつも見ているTVCMにノイズというか、変なものが混ざった感じ。ゾクッとするというか、ソワソワしちゃう。で、一度見るともう一度見たくなる。だけど番組と違ってオンエアがいつかわからない。気づけば虜に…という。

それまでのTVCMって美しい音楽が流れ、キレイな映像をバックに、有名なタレントが商品を使ってステキな暮らしを魅せてくれる。そういうものがほとんどでした。

あるいはすごくインパクトのある映像や、豪華なセット、海外ロケ。はたまたコントのようなお笑いテイストの15秒。あきらかにクオリティの高いものを狙って作り込まれているのが定番でした。

ところが、佐藤さんのCM(ということは後ほどわかったのですが)は知らない人が踊りながら商品名を連呼するだけだったり、チープな人形が歌って踊るだけのものだったり。特に大仕掛けがあるわけじゃない。どこか懐かしい、だけど新しい。そういう映像なのです。

これら、当時としては一風変わったTVCFで次々にヒット広告を世に送りだしていた佐藤さんですが、もともとは電通のSP局からクリエーティブに転局したというキャリアの持ち主。

しかもSP局でも特に地味な印刷管理部に所属していたんだそうです。印刷の進行や見積もり管理をやっていたんですね。当時の佐藤さんの気分を、以前この連載でも紹介した『コピーライターほぼ全史』から引用します。

広告代理店の中だと、やはりテレビCMや大きいポスターとかを手がけるクリエーティブの人が幅を利かせる。けれど、僕は折込チラシの中の値段の数字をキチンと見やすくレイアウトすることも同じように大事だなと思っていたんです。物を売るっていうのはこういうことじゃないかな、と。そして自分はそういう地道な所で確実に役に立っていけばいいんだって思ってました。そもそも映像を作るなんて夢にもおもってなかったんです。
(引用:『コピーライターほぼ全史』第三章「佐藤雅彦」より)

そのせいかいわゆる転局してもクリエイターっぽさがあまりなかったそうです。それまでのクリエイターが自由人な雰囲気だったのに対し、最初から学級肌というか常識人の風情を醸し出していたわけ。

ぼくも佐藤さんが世に出てきたときから『広告批評』や『宣伝会議』などでよく拝見していたのですが、これは明らかにこれまでのタイプと違う…と感じたものです。

佐藤さんはクリエーティブ配属後、2年ほどほとんど仕事が与えられなかったといいます。その時間を利用して資料室に足繁く通い、世界中の広告賞アーカイブから自分がいいと思ったものだけを集め『佐藤雅彦選抜コマーシャル集』というビデオを勝手につくったそうです。何本も。

それを見ていると、自分がおもしろいと感じる表現には共通するルールが抽出されたんです。それを基に自分なりの新しい方法論を作ることにしたんです。
(引用:『コピーライターほぼ全史』第三章「佐藤雅彦」より)

そこからが佐藤さんの快進撃でした。その自分なりの新しい方法論から生まれた湖池屋のヒットCMによって一気にスターダムにのし上がったのです。

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さらにSP出身であることが影響していたかどうか定かではありませんが、先述の『ポリンキー』や『バザールでござーる』はキャラクターとして商品化され、いまの“ゆるキャラ”の先取りみたいな存在でもありました。そういう売出し方が大変上手な、とにかく新しいクリエイターだったのね。

電通を退社後は、これはもう日本中誰もが知っている『だんご三兄弟』の作詞・プロデュースをはじめ、NHK教育『ピタゴラスイッチ』などの監修で活躍。いまは東京芸術大学の教授として教鞭をとられています。

そんな佐藤さん、著作も多数なのですが、今回ご紹介するのはこちら!

この本は雑誌『暮らしの手帖』での連載に加筆修正を加えてまとめたものです。そのこともあって松浦弥太郎さんのコメントがあとがきに寄せられています。

『この文章には、ものごとの輪郭を辿っている面白さがあります。突然、ものごとの核心に行くのではなく、その輪郭を歩きながら、考えていることを文章にしているように感じます』
(歩きながら考えるーあとがきにかえて より抜粋)

この松浦さんの評はまさに正鵠を得ていて、本の中で佐藤さんは身の回りにおきた不可解なこと、不思議な出来事に対して、その周辺をぐるぐると歩きながら中心になにがあるのかに近づいていきます。

そのプロセスを静かな筆致で表現しているのですが、実に明快でわかりやすく、相当複雑で専門性の高い内容でもシンプルで読みやすいエッセイに仕上がっています。

佐藤さんの才は映像企画だけでなく、文章にもあらわれているんですね。

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ぼくがこの本をはじめて手にとったのは2020年の暮れも間近、という頃。ある晴れた日曜日に渋谷スクランブルスクエアの11階にある『中川政七商店』の一角でした。

そこには小さな書斎を模したディスプレイがなされていて、どこからが売り物でどこからが単なる飾りか、境界が曖昧な空間です。ぼくはその曖昧さがなんとなく気に入り、そこにあるものを手にとっては戻す、といった行為を繰り返していました。

その、商品なのか飾りなのかわからないもののひとつが『考えの整頓』という一冊のハードカバー。著者は、あ、佐藤さんだ。ぼくは手にとって、パラパラめくるうちに「この深さの付き合い」という章にたどり着きます。

父親に贈ったモンブランの万年筆を没後に自分が使うようになり、そのなめらかな書き味にすっかり魅了されてしまう佐藤さん。しかしある日、ついうっかりペン先から床に落としてしまいます。あわてて修理に出すも、戻ってきた万年筆は、以前のような快感を佐藤さんに与えてはくれませんでした。

というエピソードを通じて「人間は目の解像度よりも触覚の解像度のほうがはるかに高い」という認知的事実と「ものや人との付き合い方の深さ」について、佐藤さん独自の考察が述べられています。

ぼくは雑貨屋のディスプレイの前にも関わらずどんどん話に惹き込まれ、さらにそこでの発見に驚き、つづく佐藤さんの考察に深く頷かされたのでした。本屋でもないのに立ち読みで立ちすくむ体験をしたのです。

それで、この本を買おう。絶対に買おう、と決意し、ディスプレイに戻し、隣のTSUTAYAに駆け込みます。しかし、そこには置いてありませんでした。果たして中川政七商店はこの本を売ってくれるだろうか。他の本屋をあたってみるか。そもそも新刊なのかどうなのかもわからないぞ。

ぼくは結局、Amazonで入手することになります。仕方ないですよね、いまから約10年も前の本になるわけですから。

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仕事柄、考える機会は多いほうだと自負しています。昔は大嫌いだったけど、ここ数年はようやく考えることの滋味というか、面白さがわかるようになってきました(遅い)。

でもこの本を読んで、いやいやお前まだまだ全然考え足りてないよ、ということがわかりました。

佐藤さんの考えに比べれば、いや比べる事自体がおこがましいのですが、とにかく大人と蟻ぐらい違う。佐藤さんときたら、本当に日常のささいなひっかかりにも目をとめ、足をとめて、流れをとめている。そして考える。それも深く、深く。

仕事が一段落ついた、ほんの気分転換につけたテレビで流れていた連続ものの大河ドラマ。ふだんなら機会的にチャンネルを回して消す、つかの間の休息。ところがその日、その回だけは夢中になって最後まで見てしまった。

登場人物の名前や役柄すらまったく知らない白紙のような状態なのに、である。なぜか。佐藤さんは考える。数十分の間に自分に起きたことがなんだったのか、回想する。そしてある理由にたどり着く。

テレビを付けた時、番組はすでに始まっていて、主人公に仕えるひとりの家来が、ある謀をその殿様や他の家臣達にとくとくと説明しているところであった。(中略)私はそれを一度耳にしたからには、どうしても最後までその計画がどうなるのか見届けざるを得なくなった。つまり、謀を話されたことで、あたかも私もその一味に加えられたかのようだったのである。
(『たくらみの共有』より)

さらに佐藤さんは「謀」つまり企みが一体感を生む独特の感じは過去の自分の記憶にもあった気がする、として内省し、探索します。すると中学時代の父兄参観日の思い出が浮かび上がるのです。

父兄参観日の前日のホームルームで、ある生徒が先生に言います。「これ分かる人って問題だすの、やめてほしい。俺、絶対手を挙げられない。母親が恥をかく」それを聞いた先生は一考し、こんな策を出します。

じゃあ、わかってもわからなくても手を挙げろ。ただし本当にわかる人はパーを、わからない人はグーをだせ。

かくして参観日当日、父兄はもちろん見回りの校長・教頭も目を見張るほど活気あふれるクラスができあがったといいます。そのときの佐藤さんを含むクラスのみんなは先生の既知に富んだ企みによって愉快な一体感を味わったのです。そしてその一体感は幸せにあふれるものだったと。

そうして佐藤さんは、個の偏重社会ではこのような一体感を持つ意識が希薄になっており、いささか論理が飛ぶようだがその事実と自殺率の高さや国際競争力の低さなどの原因の一端もそこにあるのでは、と結びます。

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この本には、上記のような珠玉のエッセイが27編、収められています。どこから読んでもおもしろい。どこから読んでも学びがある。そんな傑作短篇集といえます。同時に、考えることについて考えさせられる本でもあります。それもごくごく自然に。

広告を生業とする人や、それを目指している人は、いやがおうでも「視点」や「思考」を自分の武器にしなければなりません。で、あるからこそ、先達である佐藤さんの深い考察、着眼点、論理的思考とプロセスを少しでも、形だけでも真似たい。いや真似るべきではないでしょうか。

ともすれば効率、能率第一主義に走りやすい現代社会。私たちが失ってしまいがちな、足をとめてゆっくりと物事と向き合い、考えること。安直に答えを出そうとせず、腰を据えて思考の総量を上げること。

それこそが、先々が見えないスタートを切ることになった2021年に必要な生きる姿勢なのではないか。そんなふうに思います。

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