【広告本読書録:034】職業、コピーライター~広告とコピーをめぐる追憶
小野田隆雄 著 バジリコ株式会社 刊
今回はもう単刀直入にこれ、といってしまうのである。師走だからね。
前回『みんなCM音楽を歌っていた』の紹介で触れたコピーライター、小野田隆雄さんが過去を振り返って綴った回想風自伝。CM音楽の書のなかでやたら頻出する名前からもわかるように「一行の力」で勝負してきたコピーライターです。
小野田さんは1942年栃木県生まれ。実家はお寺でした。でもご本人は継ぐつもりはなく(とはいえ、コピーライターになりたての頃は土日に実家で檀家周りをしたこともあったそうです)、かといって公務員や教師になるつもりもなく、ただただ原稿用紙のマス目を埋める仕事を、と資生堂宣伝部の宣伝文案制作者補欠募集に応募します。
そして1966年4月、小野田さんは資生堂宣伝部にてコピーライターとしてのキャリアをスタートします。以来、83年の11月までの17年間、“女性専科のコピーライター”としてその才を発揮しつづけるのでした。
その後は独立し「アップ」という個人事務所を設立。それまで化粧品ひと筋だった反動からか、三菱ミニカやニッカウヰスキー、サントリーウィスキーなど硬派(?)な分野の広告づくりにも進出していきます。
しかし、どこか、小野田節、ともいえるやわらかさ、やさしさ、なめらかさがある。そこが小野田さんのコピーが広く、長く、愛され続ける理由なのだと思います。この本からは、その秘密を垣間見られるエピソードがたくさんつまっています。さっそく分析していきましょう。
メーカーのコピーライター
社内事情というものがある。部署間の合意形成というものもある。社内政治というものだってある。そう、資生堂ほどでないにしても企業内で勤めるコピーライターは、自分のコピーを世にだそうとするときに戦わなければならない「敵」が想像以上にたくさんいるのであります。
もちろん、これらの壁を「敵」だなんてとらえていたら一生売れないままのゴッホだぜ、と山本高史さんは自著で述べておられたが、しかしその当事者からすれば、一瞬でも敵視してしまう、またせざるを得ない存在なのです。
そのことを小野田さんは臆面もなく、かつ淡々と語っている。ここまで赤裸々でありながら上品に、大きな組織の中で戦うコピーライター像を描いた書物はこれまでなかったような気がします。
そりゃそうでしょう、スポットライトを浴びるクリエイターのほとんどが制作プロダクションか広告代理店、あるいはフリーランスです。
この本には企業内、それも大きめで歴史ある企業で活躍するコピーライターであるがゆえに描写されるフレーズがあります。それが「このキャッチフレーズは承認された」です。
キャッチフレーズって、承認されたり、却下されたりするものなのか。
いや、まあ、結果からすればそうなのだけど、そのスクエアな言葉選びに強固な組織の壁のようなものをぼくは感じ取ってしまったのです。キャッチは通ったとか、OKが出たという類いの言葉でくくられるものとばかり思っていたので、割とここに違和感を覚えたんですね。
重役会での承認。ここがすんなりいくか、いかないか。もやもやとした社内の力関係が見事に描かれているのも、この本の魅力のひとつです。
「ほほ ほんのり染めて」や「ゆれる、まなざし」などヒット作を毎年のように叩き出してきた小野田さんも、それまでは宣伝部長のOKが出ていれば問題なく通っていた企画が、ある時急に通らなくなります。そして、代案を強行に進めたことで赤字を出し、販売促進部門からの要求も露骨になってくるという窮地に立たされることになります。
しかし、いちばん情けなかったことは、私自身の思考回路が不連続状態になってしまい、集中力が衰えたことだった。文案を考えていると社長の顔が浮かんでくる。これではNOと言われるなとか、ここまで表現をシャープにするとやりすぎだと言われるなとか、いちいち考えてしまうのである。逆に、こう表現すれば喜んでもらえるだろうとか、発想がこびてしまったりもする。ともかく円く収めるというか、自己規制の方向に流れそうになるのである。
ここまで赤裸々に、自分自身の弱さを認めてしまう小野田さん。根っ子の部分はかなり繊細な方なんだなと伝わってきます。
女性専科のコピーライター
ひと言で化粧品の広告といってもフェイシャル化粧品(スキンケア化粧品)とメーキャップ化粧品があり、そのふたつは実はまったく違うものです。日本では主流は圧倒的にフェイシャルで、メーキャップは欧米から入ってきた概念。ゆえに市場でもレブロンやマックスファクターが幅をきかせていたといいます。
そこに、資生堂が切り込んでいく。それまで欧米からの風が吹いていたことで横文字、カタカナが中心だったメーキャップ化粧品広告だから、当然、最初はその流れを汲むことになります。
しかし小野田さんは、違いました。
ひとり、やまとことばで勝負に挑んだのです。
英語に頼って形だけで言葉を作るのではなく、メーキャップの美しさを日本の言葉で表現したいと私は考えるようになった。
思えばそれが小野田さんのコピースタイルを唯一無二のものにしていく道だったのでしょう。それからというもの「女性」に対する小野田さんのまなざしは繊細かつ微に入り細に入り、まるで顕微鏡で女性の細胞を見るような、ピンセットで女性の気持ちをつまむような、まさしく女性専科のコピーライターという呼び名にふさわしい活動に没入していくのです。
世界的なアートディレクター、石岡瑛子さんの資生堂における最後の仕事で小野田さんは彼女の薫陶を受けることになります。石岡さんは小野田さんに女心よりも人の心を見つめる努力をしなさい、と忠告します。
化粧品という商品そのものから考え始める。恋文を書くつもりでコピーを考える。すべての女性が自分のお客様のような気がしてくる、そんな環境で長年、文案を作り続けていけば、おのずと素地というか、感覚が女性寄りになっていくのではないでしょうか。
それが伝わってくる場面があります。いくつかありますが、ここではその中から伝説のCMディレクター、杉山登志さんとのエピソードを紹介します。『「影も形も明るくなりましたね、」目。』というキャッチフレーズを軸としたキャンペーンで、TVCFを担当した杉山さんからCMソングの歌詞の依頼を受けた小野田さん。
ある日、新宿御苑で杉山さんの会社のメンバーと呑んでいた小野田さんは「火の車」というお店に杉山さんがくるらしい、と聞いてさっそくかけつけます。ほどなくして杉山さんがカメラマンの小川隆之さんと自転車でやってきました。
二人が店に入ってきた。杉山さんが、私に近づいてきて言った。
「このあいだは、作詞をありがとう。なかなかよかったよ」
突然ほめられて、私は感激した。とたんに急に酔いが回ってきて、ポロポロと涙が出てきた。気持ちの良い涙だった。「おやおや、泣き上戸」と小川さんが笑った。杉山さんは、少し厳しい口調で、私の顔を見て言った。「男の涙はね、あんまり見せるもんじゃないよ。本当に泣きたい時だけに、涙は流すもんだぞ」
杉山さんと小川さんは、ウィスキーを少し飲むと、また自転車に乗って三丁目の人混みを、ゆらゆら揺れるように、ゆっくりゆっくり走っていった。私は、その後姿を、夢を追うように酔眼で追っていた。
このあたりの描写に、かなり女心のようなものを感じるのはぼくだけでしょうか。言葉の選び方が、並べ方が、場面の切り取り方が、そこはかとなく女性らしい感じを漂わせているとおもうのです。
この酒場での出来事から数カ月後、稀代のCMディレクター、杉山登志さんはお亡くなりになります。自殺でした。「リッチでないのに…」ではじまる遺書は広告業界内ではいまだに知れ渡るほど有名な文章です。
小野田さんも、もちろん衝撃を受けます。しかし、この本に描かれている筆致は、あくまで淡々と、あえて抑揚を抑えた文体でその一連の出来事を記録しています。
ぼくは、この章の杉山さんの部分を読んで、これは相当な精神の強靭さが求められる作業だなと想像します。それをやってのける小野田さんは、どこでその力を得たのでしょう。
類推の域を出ないのですが、ぼくは、それは女性専科のコピーライターであったからこそ鍛えられた力なのではないか、と。ひと言で女性専科といっても、男です。まるで反対の性を持つ人間ですから限界があるでしょう。男と女の間にはチグリス・ユーフラテスの川幅よりも広い隔たりがあります。
ぼくなら、ちょっと頭がおかしくなるとおもいます。
それをやってのけただけでなく、何本も何本も名作コピーをこしらえ続けてきた。こう書いているだけでもその艱難辛苦たるや…だからこそ、衝撃的な事実と向き合っても、それを淡々と、それこそ水墨画のように描くことができるようになった。
それって、強さであり、強さの中でも特に、女性が持っている強さのような気がします。女性らしい感性を使いこなすスキル。ぼくが小野田さんを尊敬してやまない点のひとつです。
音を大切にするコピーライター
資生堂時代から小野田さんの活躍の場はグラフィックだけでなく電波に及んでいました。と、いうよりむしろ電波、TVCMを主戦場にコピーライティングを行なってきた方といってもいいでしょう。
それだけに、ひとこと一言の「音」に、人一倍繊細だったのではないでしょうか。その「音」を構成するさまざまな要素の中で最も重要なのがリズム。小野田さんのコピーの多くは、とても肌触りのいいリズムを持っています。ここまでに出てきていないキャッチフレーズを紹介します。
夏ダカラ、コウナッタ。(資生堂サンフレア)
近道なんか、なかったぜ。(サントリーオールド)
ハンパだったら、乗らないよ。(三菱ミニカ)
名作は、まず香り立つ。(サントリーリザーブ)
どれもテンポよく読める。小気味良いリズム。音の跳ね方や長さまで、まさか計算づくではないにせよ、結果的に完璧に整っている。その結果、耳にいい印象を残す。覚えやすい。聴いた人、あるいは読んだ人の想像を掻き立てる。
一度でもコピーライターという職についたのであれば、誰もが目指したい北極星がここにあると言っても、言い過ぎじゃないとおもいます。
そして、ここまでくると少し長いフレーズのキャッチでも読ませる力を宿すのだなあと思えるのが、この名作コピーです。
恋は、遠い日の花火ではない。(サントリーNEWオールド)
このコピーが生まれるまでの紆余曲折もこの本には描かれています。非常に参考になるし、また同時代を同じ職種で生きた者として、勇気づけられます。さらに小野田コピーが生まれるプロセスまで垣間見られるなんてホントお得な一冊ですよ。
ちなみに小野田さんのチャーミングなところとして、承認されなかった、いわゆるボツコピーも堂々と紹介してくれているところです。その中から面白いな、とぼくがおもったものを羅列します。
ひとりどおし。(おそらく丸井?)
タキシード・ブラック。(サントリーリザーブ)
二十五歳、青春です。(資生堂冬のキャンペーン)
ボツコピーなので太字にしませんが、どれも悪くないのに…とおもってしまいます。判官びいき?そうかもしれません。でもこれらボツコピーだって、すこぶるリズム感がいい。音の響きがいいとはおもいませんか?
後悔の多いコピーライター
女性専科のコピーライターのところで書いた、女性らしい感性。これ、本当に誤解を恐れず言えば“女々しい”ともいえます。その女々しさは、小野田さんの才能でもあり、チャーミングな点でもあるのですが。
この本にも随所に、そんな“女々しさ”が出てきます。言い方を変えれば後悔が多い。その後悔を臆面なく文章にできるところが小野田さんのいいところなのですが…いくつか紹介しましょう。
資生堂時代の後悔は…「素肌有情」というコピーの読み方が「スハダユウジョウ」なのか「スハダウジョウ」なのか統一見解を出すように、と販売部門に言われ「スハダユウジョウ」と返事をします。しかしラジオCMの担当コピーライターから「ウジョウと読んでいいですよね?」と聞かれ、たしかにユウジョウでは友情としか聞こえない、ウジョウでいきましょう、と答えてしまいます。結果、OAを聞いた販売部門担当専務が烈火の如く怒るという始末。しかし小野田さん、後悔はしても反省はしていないようすです(笑)
「いいじゃないですか。広告なのだから」あのラジオCMの細かい内容も、あれを書いてくれたコピーライター氏の名前も、いまは忘れてしまった。ただ、いまでも「ウジョウ」と発音してもらってよかったなと思っている。広告と整合性は似合わないと思う。
独立時の後悔は…かの仲畑貴志さんから独立前に事務所と仕事のあてを紹介してあげますよ、といわれながらも断ってしまったこと。正確には断ったこと自体には後悔していないのですが、きちんと理由を述べることなくあいまいにして断ってしまったことに深く悔いが残っているそうです。
小野田さんはあるいきつけの業界人が集まるバーで仲畑さんから声をかけてもらった数日後、同じ店であるフリーランスのコピーライターにこういわれました。
「お互いに、相手の仕事を取り合うのはよそうぜ」私は頭から冷や水をかけられた気がした。そして、どうして俺はこんなに甘いのだろうと思った。ひとりフリーランスが増えるということは、既存のフリーランスの職場が狭くなることでもある。彼の考えは、とても寂しいが、それが浮き世というものかもしれない。フリーランスは自分で仕事を捜せ、誰かに甘えるんじゃない。私は、彼にそう言われたような気がした。
独立後の後悔は…事務所周辺が静かすぎること。個人住宅が多く、商店が少ない。つまり近所に飲食店も少なかった。たまになにかを食べようと、ぶらぶら骨董通り方面に歩く小野田さんですが、自分好みのお店が見つからなかったそうです。
昼間、なにかを食べる時に選択するメニューは、丼物やカレーライス、ピラフなどの一品で済むものである。楽しんで食べるよりも、一気に早く食べてエネルギーを補給できることが望ましい。ただし、せめてまずくないもの。~中略~ まず野菜サラダが出てくる。しばらくしておもむろにカレーライスが、カレーはカレー、ライスはライスと別々に出てくる。そそくさとそれを食べて帰ろうとすると、コーヒーも出てくる。優雅なのである。どうも体のリズムに合わない。
サントリーの仕事での後悔は…少し長くなるので、これはぜひ本書を手にして確認していただきたいです。リザーブの仕事で、いちブランドとしてのコピーワークにこだわった小野田さんと、酒類全般の中でのポジショニングを提示してほしいクライアント側の視点の違いを後悔しています。
こんなにたくさん後悔してきて(いや、ぼくのほうがもっと後悔の数は多いのですけど)それをご開陳できるところが、小野田さんらしい。きっと、この本全体に漂う読みやすさというのは、こうした感性のたまものではないか。非常に読みやすく仕上がっている、まるで作家が書いた小説のような読み口。これをロジックで証明するのは、無粋です。
この世界にはいったとき、恩師は「感性などという言葉に頼るな、使ってもいかん」とおっしゃっていました。しかし、小野田さんの文章を読む限り、信じるしかないとおもうのです。感性というものの存在を。
文末ではずいぶんと老境に入った印象の小野田さん。インターネットのことを“怪物”と称するなど、いまの広告業界に少し辟易とされているのではないかと想像します。でも、まだまだ小野田さんのコピーを読みたい。小野田さんのコピーで流行が生まれる様を見たい。がんばってほしいベテランコピーライターのひとりです。
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