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【広告本読書録:059】欲望する「ことば」~「社会記号」とマーケティング

嶋浩一郎 松井剛 著 集英社 刊

ある晴れた春の昼下り、長年乗っているポンコツのフィアット・パンダにオイルを入れなくちゃいけなくて、いつもお世話になっている辻堂のクルマ屋さんに足を運びました。

その帰りにふと立ち寄った湘南T-SITEの蔦屋書店でなにげなく見かけた新書。“欲望する「ことば」”…なんともソソるタイトルではありませんか。

ちょうどある企業(エン・ジャパンという求人メディアの会社なんですけどね)から依頼されて、クリエイティブについての講義のようなものをはじめたばかりのぼくにとって、格好のネタ本になるのではないかという期待から、つい手にとってしまいました。

つい手にとったまではいいがこの本、実はめちゃくちゃ本質を突いたマーケティングの本であったのね。素人が軽い気持ちで手を出してはいけなかった。おまえさんはまだ歌舞伎町がお似合いだ。鶯谷駅で送迎のワンボックスを待つなんざ10年以上早いよ、チッチッチ。といわれても仕方がないです。

と、いうことで、学び満載の本書の中から特にクリエイティブに携わる人なら心に刻んどきたくなるような箇所をかいつまんで紹介します。興味を持ったかたはぜひ手にとってみてください。

博報堂ケトルCEOで下北沢にB&Bという本屋も運営している嶋浩一郎さんと、一橋大学のビジネススクールでことばが市場をつくるプロセスについて研究している松井剛さんによる共著。嶋さんが2章、松井さんが3章、お二人の対談の計6章から構成されています。

タイトルから「ことば」のテクニック論が展開するのかな、とおもったのですがそうではなかった。ものすごく本質的なマーケティング論でありました。いやぼくが不勉強なだけでマーケッターの方にとっては「こんなの常識だぜ」かもしれないのですが。

この読書録では主に嶋さんのパートを中心にとりあげます。

人々のやりたいことを先取りする

美魔女、女子力、イクメン、コギャル…いつの間にか現象に名前がつき、ブームとなり、新しいマーケットが生まれる。この現象に名前がつくことを嶋さんは「社会記号」と呼びます。

この社会記号を生み出す職業として、かつて(かつてなのか?)重要な存在だったのが雑誌編集長でした。たとえば「美魔女」は『美ST』の山本編集長が生み出した社会記号。ほかにもさまざまな雑誌の特集から「おひとりさま」「コギャル」「イケダン」など社会的ブームを巻き起こした社会記号が発生しています。

この「社会記号=世の中の新しい現象を先取りして言語化すること」によって人々は「そうそう、これがほしかったんだよ」と欲望を発動し、そこに新しい市場が生まれるわけです。

おひとりさまでいえば個室焼肉とか、イケダンでいえば男性がカッコつけて押せるスタイリッシュなベビーカーとかですね。これをマーケティングの世界では「インサイトの発見」と呼びます。

そしてインサイトの発見ができる能力=人々のやりたいことを先取りして提案するスキルは編集者のみならず、広告制作者やコンテンツ制作、商品開発に携わる人にも必要なのだ、と解きます。

では、どうしたらその力は備わるのでしょうか。その前に人間の欲望についてもう少しおさらいが必要なようです。

欲望は自存しない。そして都合がいい

たとえ話が多くて恐縮ですが、たとえば、です。スタバが世の中に出現する前のことを想像してみてください。世の中はデフレ一色(だったかな?)の時代、誰がコーヒー1杯に500円も払わなきゃいけない喫茶店を欲しがったでしょうか。ウオークマンも、あの小さなカセットプレイヤーが出現する前に誰が音楽テープを聴きながら歩きまわりたいなんて思ったでしょうか。

嶋さんは人間の欲望について、映画にもなった「羊たちの沈黙」の原作からハンニバル・レクター博士のセリフを引用し、解説しています。

「われわれの欲求はどのようにして生まれるんだい、クラリス?われわれは欲求の対象になるものを意識的に探し求めるのかね?よく考えてから答えたまえ」
「ちがいますね、わたしたちはただ…」
「まさしくちがう。そのとおりだ。われわれは日頃目にするものを欲求する。それがはじまりなのさ」

さらにこのレクター博士の考え方を思想家の内田樹さんはブログの中で「欲望というものは自存しない。目の前にそれを満たすものが出てきてはじめて発現するものである」と説明しています。

嶋さんはレクター博士の言葉を、企画やマーケティングに関わる人間は肝に命じるべきである、と言います。レクター博士の言葉を分解すると以下のふたつの法則があぶりだされます。

①人間は自らの欲望を言語化できない
②人間の欲望は都合がいい

ウオークマンにせよスタバにせよ、それが出現する前に人間はそれが欲しいと言語化できていませんでした。にも関わらず、それらが登場した瞬間に「そうそう、ほしかったのはこれこれ」とよだれをたらすのです。しっぽをふるといってもいい。都合いいっすよね。

だからヒットする企画を生み出そうとする人は、人々がまだ言葉にできていない欲望を先取りして言語化する必要があるのです。

本屋がなぜなくならないか

嶋さんは下北沢でB&Bという本屋さんを経営しています。なぜAmazon全盛のこんな時代に本屋を?とよく言われるそうです。

その問いかけに嶋さんはこう答えます。

人間は簡単に言語化できる欲望に応えてくれるプレイヤーにはあまり感謝しない。

AmazonやGoogleは「検索」という行為で「知りたい」という欲望に応えます。しかし、その欲望は言語化できるものに限られます。言葉になっていないものを検索することはできないからです。

つまりAmazonやGoogleは外部からの刺激による欲望の起動には全く向いていないということがわかります。

ここに、嶋さんが本屋を経営する意味がある、というのです。

たとえばネットで村上春樹の本を検索して、出てきたのでクリックして入手するという行為。これは当たり前なので、感謝の対象になりにくい。その一方、本屋でピンとくる本と出会えたら、この本屋は自分の好きなものを置いてくれている、と感謝の気持ちが芽生えるはず。

嶋さんは「ここが編集者や企画者の力量が試されるところ」だといいます。ターゲットインサイトを発見し、言語化し、コンテンツにする。嶋さんは本屋経営を通して、この一連の行為をトレースしているのだそうです。

では、みんな本屋を経営しないと、その能力が身につかないか。そんなことはありません。いよいよどうすればいいかについて紹介します。

その前にひとつ余談です。ぼくがエン・ジャパンという会社で制作部門の責任者をやっていたときに狙っていたことも、これとはちょっと違うかもしれませんが、そしてこんなにはっきりと言語化はされていなかったのですが、すごく近いなと勝手におもっています。

ひとつひとつの求人広告表現を、その訴求ターゲットに向けて最適化されたベネフィットとコミュニケーションで構成すること。そしてそういう案件がたくさん掲載されることによって、仕事を探している人が『エン社会人の転職情報(現エン転職)』に訪れた際に「ここは俺のほしい仕事や会社情報が載っている。いい場所だ」と感じる。

ずっと昔に読んだ広告本で、秋山晶さんが言っていたことがあります。「人は特別感を求めている。ある雑誌があったとして、それを選ぶ自分はセンスがいい、と思いたい。つまりそれが特別感だ。広告で特別感をつくるのが、コピーライターの仕事である」と。当時はこれの求人サイト版をやろう、とおもっていたんですね。

まあ、嶋さんの運営する本屋さんとWeb求人メディアには月と冥王星ぐらいの隔たりはありますが、ざくっとまとめると似てるなーっておもって当時、勉強会でそんな話をした。と思い出したのでつい余談しちゃいました。ズビバゼン。

文句を聞き流さないこと

人々がまだ言葉にできていない欲望を先取りして言語化する力を手にいれるには、果たしてどうすればいいのか。

それは「文句」だそうです。

同じ文句が10人分あれば、そこにはビジネスチャンスが生まれます。そこでその欲望を受止める装置をつくれば企画はワークする、と嶋さん。

だから、誰かがつぶやく文句を日常会話として聞き逃すことなく、きちんとキャッチアップすること。その中に、すごいインサイトが隠れている可能性だってあるのです。

文句という形になっていなくても、日常の違和感に気をつけることも大事。たとえば吉野家に最近、ひとりで食べにくる女子が目立つな、とか。軽自動車なのに白いナンバーが多いぞ、とか。ベビーカーを押すパパが増えてるようだ、みたいなことです。

日常に潜む違和感。これは新しい欲望の発露なのかもしれません。それをうまく言葉にして、形やサービスにできれば「実はこれがほしかったんだよね」という都合のいい欲望を満たすことができるはず。

まさにこの感覚、考え方は、広告づくりにもそのまま役立てることができるのではないでしょうか。特に最近、コピーライターはコピーを考えたり書いたりするだけの存在ではなくなりつつありますよね。

さまざまな世の中の動きや流れのなかで、ヒトやモノやコトを動かすために必要なビッグアイデアを見つける必要があります。そのためにも、この嶋さんのメソッドは十分取り込む意義があるものだ、とぼくはおもいました。

ううむ、ますます広告クリエイティブは編集に近づいてきているなあ。あ、もともと同じだったのかな。言語化されていなかっただけで。

と、いうことで広告、編集に関わらず、プランニングでもマーケテイングでもなんでも考える稼業の方はぜひ手にとってほしい一冊なのでした。

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