【広告本読書録:105】秋山晶全仕事 広告批評の別冊⑤
秋山晶 著 マドラ出版 発行
広告コピーに教科書というものがあるとしたら、間違いなくこの一冊。それが全仕事シリーズの中でもひときわ輝くカラーのブックカバーを纏った『秋山晶全仕事』です。
異論は認めませんし反論には拳骨で臨みます。
たぶん説明不要。この広告本読書録を読んでくださっている方であれば誰もが知るコピーキング、秋山晶さん。現役コピーライター最年長です。
そういえばいま何歳なんだろうか?
………
85歳ですって。相方のデザイナー、細谷巖さんは一つ上の86歳。
ヤバい。
このふたりがまだ現役で仕事している。
ヤバすぎる。
自分、コピーが書けないとか言ってる場合じゃない。しんどいとか感じている場合でもない。圧倒されるほど驚異的なアイコン。でも逆にいえばもしかしたら俺だってまだまだコピーが上手くなれるかもしれない、と勇気づけてくれる存在でもあります。
ぼくが駆け出しのころ、いちばん最初の会社で尊敬していたデザイナーは島尻さんという人でした。島尻さんとぼくはいつもライトパブリシティかサンアドの広告を見ては「いつかこんな広告がつくれたらなあ」と話していました。
正直に言うと島尻さんはすでにそのころ、シックなライト調のレイアウトをものにしていました。でもぼくはからっきしダメなコピーライターだった。どう考えても、どう転んでも秋山晶さんのようなコピーは書けませんでした。いまでも書けません。
今回取り上げるのは、そんな、秋山晶さんの全仕事。というよりとりあえず1985年時点での作品集になります。
最初の出版から36年。いまあらためて全仕事を編集したらいったい何ページ何巻の大作になるんだろう。どこか出版企画しているだろうか。いや、歴史的にも価値があるから絶対出したほうがいいとおもうんですけど。
デビューするのだ、デビュー感をもってデビューしなければスターにはなれない。
これは秋山晶さんが若き日の仲畑貴志さんに酒場でかけた言葉だといわれています。『弾丸は速く飛ぶ』と題された仲畑さんの寄稿にそう書かれていたので間違いないでしょう。
ぼくはこのフレーズが大好きで、いったいどうしたらこんなキザで、スマートで、かっこいい言葉がサラッと口から出てくるんだろうといつもおもっていました。願わくばいつかぼくも、こういった渋いひと言を後輩に送れるようなクリエイターになりますように、と。
星に願いをかけたんですが叶うことはなかった。
さて、秋山晶さんといえば、なんといってもキューピーマヨネーズのシリーズ広告です。
1968年からスタートしているので、なんと今年で53年目。ぼくが生まれた年にはじまったことになります。ロングランにもほどがありますね。
さらに有名どころでいえばパイオニア、キヤノン、大塚製薬、サントリーなどのロングキャンペーンが印象に残っているかとおもいます。
では、秋山晶さんの『デビュー』は何の広告か。
コピーライター界のスターである秋山さん自身は果たしてデビュー感を持ってデビューしたのだろうか。
出世作として知られているのは資生堂ホネケーキの『ホネケーキ以外はキレイに切れません。』(1964)です。石岡瑛子さんと組んだ仕事で、そのときのエピソードはまた石岡瑛子さんの評伝を紹介するときに書きます。
秋山さんはこの広告でTCC新人賞を獲得し、同時にコピーライターとしての頭角をメキメキと表すことになります。しかし、どうやらデビュー作ではないようです。
では、記録されている秋山さんの最初の広告作品はいったい。制作年度と作品にはさまれるコラムから類推して、おそらくはこれだろうと結論。
彼のためにあなたは生まれてきた(講談社『ホームライフ』/書籍/1962)
新しい暮らしの家庭百科事典の広告です。おそらく新聞広告だとおもうのですが、このときまだ秋山さんは講談社の宣伝部に在籍していました。こういった書籍に関する広告を数多く手掛けていたとのことですが、そのときの作り方からもうすでに秋山節の片鱗が見え隠れします。
書籍の広告はまた少し違って、500ページくらいの本をほんの短い文章で紹介するわけだけど、内容がある程度わかって、インパクトがあって、その文章自体も余韻がなきゃいけない。じゃ例えばこれを映画化したらラストシーンはどうなるだろうかとか、登場人物を日本の俳優に置き換えてみるとか、翻訳の場合はバックグラウンドを調べてみる。そうやって本の内容とは直接関係のない、広告だけの世界のコピーを書く方法を、その頃から考えていましたね。
一般の広告の作りかたが通用しない、というか、相容れないと考えられがちな書籍広告。その世界に足をつっこんで、ふつうなら腐ったり、斜に構えたりしてもおかしくない。なのにきちんと自分なりの方法論を確立しようとしています。
すでにこのときからコピースター秋山晶は軽くできあがっていたのです。デビュー感、あるじゃないですか。派手とか地味とかの問題ではなく。
ただ一度のものが、僕は好きだ。
ではここでぼくの好みと独断で全仕事内から『秋山晶ベスト10』を選ばせていただきます!
時代なんか、パッと変わる。(サントリーリザーブ/1984)
夏はハタチで止まっている。(サントリーカクテル/1983)
ひとつ歳をとると、ブルーはもっと似合う。(メルボ/1976)
苦い朝もある。(アオハタ/1976)
人間が本当に孤独を感じるのは、群衆の中だ。(パイオニア/1981)
17歳を記憶しますか。記録しますか。(キヤノン/1968)
ただ一度のものが、僕は好きだ。(キヤノン/1977)
アルカリ・ランチ。野菜をもっと食べましょう。(キューピー/1976)
午前10時 午後6時(キューピー/1971)
トロピカル ハイヌーン(サントリーウオツカ/1981)
いずれもキレがあり、コクがある珠玉のフレーズ。ビジュアルとの関係性も抜群なのでぜひグラフィックで見てほしいとおもいます。もちろんこの他にも名作・傑作は山のように。
たとえば仲畑貴志さんは先述の寄稿の中でやはり独断と偏見によるベストコピーをあげておられまして、上記のコピーのほかに…
メカニズムはロマンスだ。(キヤノン/1978)
考えてみれば人間も自然の一部なのだ。(キューピー/1972)
精神力だけでは、テープを切れない。(大塚製薬/1983)
などの傑作をチョイスしています。ほんとはぼくも選びたかったんですがあえて避けてみました。あまのじゃくですね…。
コピーは僕だ。の裏側
秋山晶さんが編集委員長を務めた1980年の『コピー年鑑』で掲げたテーマ、それが「コピーは僕だ。」というものでした。
このタイトルは各方面で物議をかもしました。曰く「経済活動の一環を担う広告表現が私個人の感想に堕ちてしまっては…」曰く「コピーは僕だ。は一部の作家性の強いクリエイターの傲慢である」曰く「モノを売らない広告が増えてきた背景にはこのような広告の私物化が挙げられる」等々。
一方好意的な見方でいうと商品が物性だけで売れる時代はとうの昔に終わり、物質的には豊かになった日本の広告のあり方を示している、といった意見が多くみられました。
要は人とモノのポジションが開きはじめた以上、いつまでもモノにくっついた、つまり広告主におべっかを使うような表現は通用しない。となるとコピー表現もより消費者側に立ったものになる。「コピーは僕だ。」にはその変化に対するコピーライター自らの宣言であるという見方です。
でもぼくは『秋山晶全仕事』に書かれているコラムにその答えを見つけました。「コピーは僕だ。」は秋山さんのそのストイックなコピー作法を言っているだけではないかと。
以下、長くなりますが引用します。
何かを見ると、必ずひとつは発見があるでしょう。そのときに、いつも自分をニュートラルにしておかないとダメですね。ハイキーにしたりローキーにしたりじゃダメ。自分をなるべくホワイトスペースにしておいて、そこに入ってきたものを、自分をフィルターにして表現していく。コピーライターは一種“無”であって、メディアに過ぎないと思っています。けれど、それなりの生い立ちはあるわけで、その精神構造はひとりひとり違うから、そうしたほうが自ずといろんな広告ができるんですね。
なるほど、コピーライターは一種“無”であると。そこにいろいろなものを入れて自分というフィルターを通して表現する。しかし生い立ちがいろいろあるから、それぞれの広告になっていく。
これは確かにコピーライターの傲慢ではないですよね。むしろ謙虚といっていい。それを差し引いても、2020年代の広告づくりは「私」が加速しています。
原野守弘さんが名著『ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門』で伝えているのも「個人的な」「好き」を大切にすることですし、そもそも広告はモノを売るのではなくブランディングに寄与するものであると。
時間を超えて、秋山さんがキューピーやキヤノン、アオハタ、サントリーなどで手掛けてきた広告クリエイティブがいかに正しいものだったか、証明されているなあ、と個人的に実感するものであります。
ともあれ、『秋山晶全仕事』ぼくにとっては「ノルウェイの森」の主人公、ワタナベくんがよく開いているドイツ語の教科書並みに、ふだんから開く頻度が高いコピーの強化書なのであります。
いつまでたっても秋山さんが書く『弾丸のような』コピーがものにできないんですけどね。やれやれ。