【広告本読書録:006】大貫卓也全仕事
広告批評の別冊 マドラ出版発行
今回の広告本書評は、広告批評(2009年4月号にて休刊)の別冊として刊行された『全仕事』シリーズからアートディレクター、大貫卓也さんの作品集を取り上げます。
このシリーズ、ぼくの手元にはほかに『仲畑貴志全仕事』と『糸井重里全仕事』がある。最初に就職した代理店には『秋山晶全仕事』が、三社目の制作プロダクションには『土屋耕一全仕事』があった。それぐらい当時の広告業界はこの『全仕事』に注目していたのだ(といまにしてみればおもう)。
そんななか、比較的あたらしい部類(広告批評の別冊はたしか8か9までしかないはず)の全仕事がこの『大貫卓也全仕事』です。
「史上最低の遊園地」の衝撃
あれは上京して3年目の春だから、ちょうど就職した年だったか。いや社会人2年目だったか。1990年4月1日のことである。当時のぼくはコピーライターたるもの新聞ぐらい読んでおかねば、と読売新聞をとっていた。と、いってもなかなか全ページ目を通すような生活はしておらず。ほとんどの新聞は一度も開かれないまま古新聞への道をたどっていた。
しかしその日はなぜか、朝から律儀に36面からめくっていったのである。日曜日だった、ということもあるだろう。コピーライター2年目を迎えて、そろそろ転職しようと気合を入れていたこともあるかもしれない。とにかく、そこに書いてあることを正しく理解できているかどうかはともかく、雰囲気だけでも味わおうというかんじでタバコを吸いながら紙面に目を落としていた。そのときだ。
最初「…ん?」ってかんじ。で、一瞬間があって「んん??」となり、じわっと時差を経て「うわーーーーーーーーっ!!!なんじゃこりゃああーああああああーーーーーーーーーーー!!!!」ってなりました。
いまこのへんてこなものを知ってるのは世界で俺だけ?みたいな気になって誰かに話したい、見せたい、すごいよって共感しあいたい!まだインターネッツなんて生まれる前ですし、携帯電話もない時代。日曜日の午前中に誰かと広告の話なんてできる状況ではなかった。なので自分の中の「うわー」感がどんどんどんどん凝縮されて、濃厚なものになっていきました。
なんというか、この、強烈な違和感。正の情報だけで構成されている新聞紙面の中に放り込まれた負の異物。すごい勢いの印刷ミス?んなバカな。なにかのテロ?まさか。「今日は4月1日です。今日はエイプリルフールです。」そうだよ、だけどもさ!というツッコミを心の中で何度も繰り返しました。
すげーな、やられたな。こんなん絶対マネできないし。先やったもん勝ちだし。でもよくとしまえん許したな。あと読売新聞。他の新聞にも載ってるかな。明日、会社に持っていこう。そしてライター仲間やデザイナーの先輩ともこの広告をネタに話そう。そうだ、夜飲みにいってそこで…
そのとき、ふとおもったんです。これが広告の力か、と。もちろんこの広告を見て「よし!いますぐとしまえんにいかなきゃ」とはなりません。でも少なくともとしまえんのことはしっかり頭に叩き込まれたし、なにより明日の会社の話題になる、いや、するということは確定しています。人が動く、とひとことでいえばそれまでなんですが、その動き方ってのはいろいろあるんだな、と学んだのです。
コピーよりデザインに惹かれる
そんな「史上最低の遊園地」を作ったクリエイターって誰なんだろう、と調べてわかったのが岡田直也さんと大貫卓也さんの博報堂コンビだということ。それまでノーマークだったとしまえんの広告を漁るようにチェックし、なんてあたらしい広告表現なんだ、とビックリしたことを憶えています。
それまでの広告の文脈をことごとく壊していく、ナンセンス広告の数々。マーケットでのポジションが二番手以下じゃないと成立しない。「どう見られるか」に客観性を持てる企業じゃないと承認されない。なによりクライアントとの信頼関係がなければ実現できない表現たち。ぼくはどんどん惹かれていきました。それも、コピーライターにも関わらずコピーではなく、デザインのほうに。
正直、コピーはそれ単体を抜き出して、置かれる場所をひとつ間違えるとスベりそうだな、とおもったのです。としまえんの広告を、そのクオリティへと昇華しているのは、ほかでもないデザインの力だな、となまいきにも確信していました。いくつかコピーだけを抜き出してみますね。
これでもか、これでもか、としまえん。
240名様、昇天。
あんた、夜間が、湧いてるよ。
のりもの大量。
狂った雨樋、16本。
プール冷えてます。
のりもの大量。なんてキャッチは大漁旗のデザインなんですよ、と解説しないと意味がわからない。プール冷えてます。は確かに上手いこと言ってるとは思いますが、やはりあの脱力デザインとセットでないと弱い。絵に対する依存度が高いんじゃないか、とおもっていました。でも当時は“としまえん風“の広告が流行るぐらいのブームだったこともあり、どのコピーも絶賛して受け入れられていましたけどね。
ただしぼくの中では、としまえんはデザインの力で成立しているんだ、というおもいがどんどん強くなっていったのです。と、いうより一つの広告をつくる上でコピーライターとデザイナーが協業することの素晴らしさですかね。どっちが何を担当したか、なんてもう当時の博報堂宮崎チームでは関係なかったのではないでしょうか。
なので、それから2年ほど経って出版された『大貫卓也全仕事』は、ぼくにとって“広告のアイデアを盗む本“としてマストバイでした。いまだに横においてアイデアを練ります。いまだに悩んだときの指針です。
『大貫卓也全仕事』の楽しみかた
さて、いよいよ本編ですが(長い枕でズビバゼン)この『大貫卓也全仕事』非常にたくさんの楽しみ方があります。いくつか紹介します。
①80年代~90年初頭のポップデザイン画集として
とにかく、もう眺めているだけで楽しい。カドカワノベルズの印刷物からとしまえんの一連のシリーズ、西武やラフォーレのポスターなどなど。どんなに毒を盛ってもポップ。どんなに真面目なアプローチを試みても、やっぱりポップ。それはきっと「広告」だからでしょう。としまえんのサビニャックのポスターなんて、かわいくって部屋に飾っておきたいぐらいです。
②没アイデア集を含む制作秘話集として
多くの作品にはキャプションとしてそのデザインが生まれたきっかけだったり背景だったりが書き下ろされています。また巻末には没アイデア集が。貴重な大貫さんの手描きラフがまた楽しい。「イッセイ・ヒヤケ」「イッセイ・ヒヤケ・オム」とかね。「としまえんにゴクミがやってくる!」といって1年5組のおともだちを出す、なんて最高だとおもうんですが。
③単純に読み物として
ぼくが持っている残り2つの『全仕事』シリーズと比較しても、読み物ページが多い。仕事の同僚を中心に、コラムニストや作家、編集者など各界の著名人のインタビューが充実しています。ちなみに数えてみると53ページ。糸井重里全仕事が17ページ、仲畑貴志全仕事が26ページ。いかに多くの紙面を割いているかがわかります。つまり、読み物としても成立する。大貫さんの広告哲学を読み取ることは少なからず“こういった仕事“に携わる人にとっては有益ではないかと。
広告表現をインプットする素材として良く挙げられるのが『TCC広告年鑑』ですが、それとはまたちがった、ひとりのクリエイターの表現の変遷をたどっていけるマニアックな資料だとおもいます。音楽にも似てますよね。たとえばぼくならYMOで音楽に目覚めると、次は各メンバーの前のグループ(はっぴいえんどやミカバンドなど)を聴き漁り、さらにそのグループが影響を受けた音楽へとどんどん深く掘っていく、みたいな。
有言実行、あるいは予言者
最後の頁に大貫卓也さんご自身の手による次回予告(?)みたいなのが載ってて、そこには「大貫卓也全仕事2」発刊予定!?なんて書いてあります。当時はきっと、なんか照れ隠し的な要素があったんだとおもいます。ぼくひとりでつくったわけじゃないし、とか。その結びの文が「大貫卓也は『大貫卓也全仕事2』を目標にまた一からはじめるのもいいな、なんて思ってます。」なんですね。
最初に、いやその後もずっと、ああ、きっと大貫さんご本人ってこういうことを口にする、なかなか爽やかな、かわいらしい感じの方なんだな、ぐらいにしかおもってませんでした。
そうしたら、出てた。
こんな記事も。
いやあ、やっぱりすごい人です。大貫卓也さん。好きなデザイナーはたくさんいますが、ぼくの中ではナンバーワンの憧れデザイナーです。コピーだ、デザインだ、という狭い枠ではなく「広告とはコミュニケーションのこと」と教わった気がします。
表現のおもしろさ、奥深さ、本質的なことを知りたいとおもった方にはぜひ、ご一読いただきたい書物なのでした。