ぷらっと寄った法隆寺宝物館で、国宝!《灌頂幡(かんじょうばん)》がヤバいことに気がつきました…@トーハク
この前の週末に東京国立博物館(トーハク)へ行ってきました。実は月例講演会の開催日と勘違いして行ったのですが……開催は今度の土曜日でした……。ということで、そのまま帰ろうかとも思いましたが、せっかく来たので、なにか見ていこうと思い、しばし本館1階の近代絵画の部屋のソファに座って、10分くらい半ばボ〜っとしながら、人の流れや高村光雲さんのお猿さんや、河鍋暁斎さんの地獄絵などを眺めて過ごしました。
たまたま《老猿(ろうえん)》の横にあったソファに座りました。教科書にも載っているこの老いたお猿さんですが、トーハクでは4角い台の上に置いてあります。その台は明らかに部屋の入口に向かって置かれてあり、自然と「正面」が決まってしまっています。鑑賞者は当然のように、トーハクが決めた?……光雲さんが決めた?……「正面」に立って、作品を見ることになります。そうすると、3D作品なのに2D作品のように認識してしまうだろうな……と。でも、こういう立体の造形作品は特にそうだと思うのですが……360度を作り込んだ、本当は「正面」のない立体なのだけど……「正面」というのを意識した瞬間に、鑑賞者は「正面」に立って見てしまう。
そんなことを、たまたま座った場所から見た、イケオジ的な《老猿》を眺めながら思いました。ここのソファ……《老猿》さんと目が合いますね……本当は、こっちが「正面」なのでは?
そのまま《老猿》の横に座りながら、人の流れを観察しつつ、しばらく作品を眺めていました。河鍋暁斎の《地獄極楽図》は、展示室を入ってすぐのところにあるためなのか、作品の力がそうさせているのか、多くの人が作品の前で足を止めて鑑賞していました。結局……人のいない状態では作品を撮れませんでした。
実は金曜夜に、この《地獄極楽図》を小4息子と見に来たんです。「どう? 閻魔さんだよ」と話しかけると……「なんだか閻魔さん、忙しそうだね」と言っていたのが印象的でした……たしかにそうだな。
《老猿》の向こうには、前田青邨の、とても好きな作品……《竹取物語》が展示されています。作品が大きくないせいか、近代絵画の部屋の中ではポップ過ぎるからなのか、それともガラスの枠が邪魔してしまっているからか、通り過ぎてしまう人が多く、あまり足を止める人はいません……かわいそぅ……。
あとでゆっくりとnoteしようと思っている松林桂月さんの《山居(さんきょ)》。横に長い屏風一双なので、目の前を通る人たちの歩みが遅くなり、もう少しで歩みを止めそう……なのだけどそのまま通り過ぎてしまう人の多い作品でした。わたしはけっこう好きで、右隻の左端に描かれた家の中に吸い込まれそうになります。
しばらく人の流れと作品を鑑賞した後に、平成館を経由してタバコを吸いにいくことにしました。トーハクには二か所の喫煙エリアがあります。客層が中高年に偏っているため、こうして喫煙エリアが廃止されずにあるんでしょうね。トーハクを出たところで、上野公園内で喫煙できる場所は、近くにはないので、とても助かります。
そして、喫煙者しか見ないだろうなぁ……というのが、「法隆寺宝物館」と刻まれた石碑? です。おそらく昭和39年(1964)に先代の法隆寺宝物館の建物が出来てから、平成11年(1999)に谷口吉生設計による今の宝物館が開館するまでの間は、目立つ場所に置いてあったんでしょうね。
文字は、中村不折さんかな?……なんて紫煙をくゆらせながら思ったのですが……同館が開設した1964年には、すでに中村不折さんは亡くなられているので、その可能性は低そうです。
とりあえず暑いので法隆寺宝物館に入ってみました。1階のレストランにはズラリと人が並んで座っています。来てみたものの……「ここも混んでそうだから、帰ろうかなぁ」……と……特にアイデアもないまま、1階の展示を見てみることにしました。
まず最初に見るのは、いつも見ている《灌頂幡(かんじょうばん)》と《金銅小幡》、それに制作当初の姿を示した《模造の灌頂幡》です。いちおうこれって国宝だし、見た目もゴージャスなんですけど、あまりにも当たり前のようにいつでも見られるし何度も見ているので、ありがたみはありません(キッパリ)。
正直、なんの感慨もないんだよなぁ〜……なんて思いつつ、ぷらぷらと近づいてみたら(←完全に暇人の歩き方です)……この《灌頂幡》って、よく見ると「線刻」みたいに、絵が彫ってあるんですよね。
最近のわたし……とっても「線刻」っぽいものに目がないんですよ。それで改めて《灌頂幡》さんたちに「見飽きた…なんて言ってすみませんでした」と一礼して、細部をじっくりと拝見しました。
その前に……《灌頂幡(かんじょうばん)》ってなんだよ? っていう感じですよね。わたしもよく知りませんが、「灌頂(かんじょう)」って言ったら、密教のライセンス制度などと関係のあるすごいものかな? と推測しましたが、解説パネルには、それっぽいことは記されていませんでした。
基本的には、仏教の灌頂という儀式や寺院を荘厳に見せるための装飾的な意味合いが強いようです(仏堂荘厳具)。そう言われてみると、灌頂幡のようなものが天井からぶら下がっている寺を、今までに見たことがあるような気もします。
上の写真のように、1〜2階の階段ホールに模造の《灌頂幡(かんじょうばん)》が架けられています。長さは5.5mもあり、重さは40kg超……法隆寺は、これを天井から架けられるほど天井が高い建物があるんですから、すごいですね。
↑ と書いた後にWikipediaを読むと、上に記した長さ5.5mというのは現存部分のみ……ということで、製作当初は10m以上あったと推測されているそうです。そのため寺院の建物の中に設置したのではなく、野外に懸垂されていたのではないか……と書かれていました。
展示されている廊下のような展示室には、先ほどの写真の通り《灌頂幡(かんじょうばん)》の主要部が単独ケースに入れられていて、360度から見られます。そのほか壁際のケースにも、《灌頂幡》のパーツが、分割して吊るされているんです。
パッと見た感じでは、「すごく細かく透かし彫りされているなぁ」というくらいの感じですが、展示ケースに近寄って見てみると……「いやこれヤバいでしょ!?」と、無意識につぶやいてしまいそうになるほどの細かさで、毛彫りが施されています。
サーっと通り過ぎて行く人たちに、「その近寄り方だと見えませんよ。もっともっと、鼻がケースにくっつくくらいに近づかなきゃっ!」って言いたくなりますけど……まぁサァ〜っと通り過ぎてもらった方がこちらは鑑賞しやすいので言いません。あまり近づくと注意されてしまいますしね。
ちなみに展示室は、薄暗い……というか「暗い」ので、かなり見えづらいです。わたしは近眼なこともあり(いや、そろそろ老眼ですかね…)、写真で撮ったようにクッキリとは、肉眼では見えません。
下の写真が、吊るしてある本体部です。こちらは劣化が目立つような気もします。実際は、写真のように金ピカな感じではなく、使い込まれた10円玉のような色合いです。
文化財データベースによれば、「金銅の板金に忍冬唐草(にんどうからくさ)、雲、仏菩薩、飛天などを透かし彫りにし、線彫りを加えたもの」とあるので、この縁にある植物っぽいのが「忍冬唐草」ということでしょうか。
展示室内にあった解説パネルには「この展示室には献納宝物中のもう一つの金属製幡である金銅小幡を合わせて展示している」とありました。ほかの解説をきちんと読んだことがないので不明確ですが、たしかに「もう2つ」あるんですよね。それが以下の、横向きに架けられた小幡かもしれません。こちらも、作風がかなり近似しています。
下の写真は、その横に展示されている《小幡》の一部分です(画像は360度回転させました)。
上の写真の天人さんを、それぞれ拡大すると下のような感じです。
こうした小幡(しょうばん)……と呼ぶのか分かりませんが……が、いくつも展示されていて、それを初めて一つ一つ見入っていきました。「思っていたよりも、すごいぞ……これは……」なんて思いつつ。
本物の方をじっくりと見た後には、階段を上りながら複製……レプリカを見ていきました。いやぁ〜こちらも、ど偉い作りですって。
この複製は、本物を修繕する必要があったため、どんな作りをしているのか研究するためと修繕方法を考えるために作られたもの……なのだそう。制作者の名前もネットのどこかに記されていましたが、忘れてしまいました。いずれにしても、そうとうの技巧の持ち主ですね。
こんなのを手で一つ一つ作っていったなんて……わたしなら一生かかっても作れませんね。
とういことで、《灌頂幡(かんじょうばん)》を見た後は、《法隆寺金堂壁画》の複製を見てから帰りました。壁画については以前にもnoteしたことがありましたが、今回は、ちょっと違う感想を抱けたような気がするので、また機会があればnoteしたいと思います。
<あとで読む:参考にしていないけど詳細が記されている論文>
・東北歴史博物館・笠原信男『灌頂と正月の門松』