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トーハク展示の国宝《線刻蔵王権現像》を撮ってきたのでnoteしておきます

東京国立博物館(トーハク)の展示は、すべての所蔵品が撮影可能です(特別展の時などは除く)。そのため、これまでも色んな作品を写真付きでnoteしてきたわけですが……展示品のすべてが撮影可能なわけではありません。なかには、寺社や個人から寄託されているものがあり、そうした作品の半数くらいは撮影禁止です。

「なんでなんで! なんで撮らせてくれないの!? 著作権なんてとっくになくなっているんだから、いいじゃん撮らせてくれたって!」って思ってしまうのは、作品を撮影したい派の、わたしのような人の悪い癖です……でも、そう思ってしまうんですよね……。ただ、所有者が嫌だっていうものは……特に個人蔵の作品については、仕方がないと思います。

でまぁ今回は撮影禁止の是非についてのnoteではありません。今回は、トーハクで長らく撮影禁止だった、ほぼ常設されている国宝《線刻蔵王権現像》を撮ってきたので、noteしておきたいと思います。

《線刻蔵王権現像》は、平安時代の長保3年(1001年)に作られたもので、現存する蔵王ざおう権現ごんげん像の中で最も古いものの一つなのだそうです。古くて状態が良いから国宝に指定されたのでしょうね。

像と言うと、木像や画像などを思い浮かべますが、こちらは銅板に細い線を彫っていった蔵王権現の像です。名前にある「線刻」とは、そのまま(銅板に)線を刻んで描いたという意味であり、「蔵王権現の像」ということになります。ということで正式な登録名称は「鋳銅刻画蔵王権現像」というようです。また、昭和初期の資料を見ると「銅板毛彫藏王權現像」と記されています。

この銅板が発見されたのは、寺社などではありません。奈良県吉野郡天川村の金峯山から出土したそうです。出土……というくらいですから、畑から出てきたとか、そういう感じなのでしょうか。(←違いました。寺社の敷地から出土しました)

今回、ネットで調べてみた限りでは出土時期については分かりませんでした。ただし、なぜか明治38年(1905年)に真言宗豊山派の五智山遍照院総持寺に寄進されました。正式名称を聞くと「どこその寺?」っていう感じですが、関東では有名な「西新井大師」のことです。年末になると、よくテレビのCMや電車の車内広告でよく見かけるようになる、あの寺ですし……東武鉄道の大師線や大師駅、舎人ライナーには西新井大師西駅なんていう複雑な名前の駅が、西新井の西の方にありますね。

なんで西新井大師(総持寺)に寄進されたのかネット上では分かりませんでしたけど、出土したのが「金峰山(きんぷせん)」で、描かれているのが「蔵王権現」だということにつながりがありそうです。

「蔵王権現」を調べると、例えばWikipediaには「蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。(中略)インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる」と記されています。さらに「蔵王権現は、役小角えんのおずぬが、吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある」ともあります。

現在わたしは、トーハクで開催されている特別展『神護寺』についてもnoteでメモ書きみたいなことをしています。その過程で最澄や空海に思いを馳せているのですが……彼らもまた山を歩き回って修験道をしていたようなんですよね。

「神仏混淆(神仏習合)の動きと、仏教の一派である密教(天台宗・真言宗)で行われていた山中での修行と、さらに日本古来の山岳信仰とが結びついて、修験道という独自の信仰が成立していった」

Wikipediaには、そう書かれていますが……修験道は、天台宗や真言宗ともつながりの深いんですね。それでまぁ、今回の《線刻蔵王権現像》が、真言宗豊山派の西新井大師に寄進されたとしても、それほどズレた感じではないのかなぁと。なぜ出土地に近い金峯山寺に寄進されなかったのかは謎ですけどね。

《線刻蔵王権現像》の裏面
梵字が大きく刻まれています

……と、ここまで書いたのですが、あとから分かったことがあったので追記します。

この蔵王権現像の銅板の裏側を見ると、「長保三年辛丑四月十日辛亥内匠寮史生壬生...(以下欠失)」と刻まれています。これにより、平安時代の長保3年(1001年)に作られたものと分かります。そのさらに左辺の周縁に「明治三十八年五月十日釈明照西光信士俗名栗谷吉次郎」と刻まれています。そこから栗谷吉次郎さんを調べてみると……村山修一著の「神仏習合の聖地」に、以下のような一文がありました。

明治三十八年五月十五日、日本橋地金問屋栗谷吉次郎寄進の札がついており、同氏が扱った地金屑の中に交じっていたのを見付け、菩提寺に寄進された事情が判明している。

村山修一著「神仏習合の聖地」
上と同じ写真を、少し色みを変えて、識字しやすくしようとしました

つまり……金峯山きんぷせんのどこで出土したのかは分かりませんが、掘られたものが、鉄くずとして売られて売られて、それを日本橋の地金問屋だった栗谷吉次郎さんが、たまたまなのか買ったら銅板の《線刻蔵王権現像》が混じっていたと……もしかすると《線刻蔵王権現像》が混じっていたから、栗谷さんは買ったのかもしれませんけどね。そして、明治38年5月10日に菩提寺に寄進したと……菩提寺が西新井大師だったんでしょうね……たぶん。

とはいえ、いつ誰が土の中から発見したのかは不明ですし、昭和初期のほかの資料を読むと「モト金峯山金剛蔵王ノ宝殿ニ奉納セラレタモノト伝ヘラレ」とも記されています。宝殿に奉納されたものが、鉄くずとして売られていたことになるので……もしかすると「宝殿ニ奉納セラレタモノ」というのは、後から学者が推定しただけかもしれません。

とにかく西新井大師に寄進されてから、いつ頃にトーハクに寄託されたのかも分かりませんでした。ただ、トーハクに寄託されたのは、同じく奈良県吉野郡天川村金峯山出土した遺品などが収蔵されているからではないかと推定できます。トーハクでは、それらが平成館の考古室に展示されています(後載)。

改めて《線刻蔵王権現像》を見ていくと、展示ケースから2〜3歩離れた場所から見ると、もうとにかく反射と映り込みが多くて、線刻画を見るのは至難です。最近は、トーハク本館にあるかなり多くの展示ケースが、新しいものに変更されましたが……残念ながら《線刻蔵王権現像》の展示ケースは、映り込みが激しい以前のままです。ということで、鼻がガラスに当たらないくらいに、ギリッギリまで近づいていくと、やっと線刻画がハッキリと見えてきます。

写真は上に載せましたが、もう本当にエッジの効いたハッキリとした細い線で描かれていることに驚きます……これが平安時代に彫られたものなのかと。

まず中央に描かれているのが、向かって右側を向いている三ツ目の忿怒相(ふんぬそう)の蔵王権現です。右足を蹴り上げて立つその本尊は、左手を腰に置き、三鈷(さんこ)を持った右手を高くかかげています。頭には豪華な宝冠をいただき、体には瀟洒な装身具をまとっています。

「国華」第1094号の当該の線刻図について、有賀祥隆さんが記した文章には「面貌は二目を大きく見開き、三目を額にすえ、鋭い下牙2本を上唇に出し、頭髪を逆立たせ、極忿怒の形相を示す」とあります。

蔵王権現と、その右側に描かれている十九尊です

その主尊の(向かって)左側には十三尊が、右側には十九尊の計32軀の眷属(けんぞく)が確認できます。ただし、これは欠損しているためで、製作当初は40軀近い侍者が配されていたと考えられているそうです。

本尊左側に描かれている十三尊です

また「国華」によれば、「眷属の中には四ツ目を有するもの、獣耳や鳥の嘴をしたもの、下牙上唇を咬むもの、上牙下唇を咬むもの、怒髪のもの、顎ひげをたくわえるもの、鼻筋の通った鼻の高いもの、鼻の穴をのぞかせる鼻の低いもの……(中略)……花模様をあしらった高い頭巾を被るもの、花冠を付けるもの、身は皆上半身裸で、装身具をつけ、肩に白布や獣皮を巻くものがいる」といった、色んな眷属が描かれています。

そのほか「国華」には、技法的に「奈良時代以来の毛彫から平安後期の○彫の中間に位することが指摘されている」など、一部読み取れませんが、かなり詳細に美術的な考察がなされているようで……冒頭には「本稿はいままでの研究成果を踏まえながら、線刻蔵王権現像を絵画あるいは白描画の立場でみることに主眼を置いた」とも記しています。

裏面の梵字は、阿弥陀や如来、菩薩などを表すそうですが……詳細は不明

今まで《線刻蔵王権現像》は、撮影禁止だったと言いました。ただ今回、Wikipediaを見ると、普通に画像が添付されているんですよね。で、ほかの人が書いているブログにも、ちらほらと撮影画像が上がっています。となると、ず〜っと撮影禁止だったわけではなく、時々は「撮影可」になるということのようです。今回は、いつまで撮影できるか分かりませんが、もう少しきれいに撮影しておきたいなぁと思っています。

ちなみに今回「あれ? 撮影禁止の札がない!」と思ってからも、なかなか撮る気になれませんでした。だって、ずーっと撮影禁止だと思っていたから、「実はどこかに撮影禁止の札があるんじゃないか?」と、展示ケースを一周して、作品ではなく撮影禁止の札を探してみたりもしました(笑)。間違ってでも、撮っているのを監視員に見つかると、こっぴどく怒られるので……(過去経験あり)。それでも見つからず、いよいよ「撮影OKなのか?」と思ったものの確証を得られず、監視員が通りかかるのを待ちました。そして「すみません……この作品は、今まで撮影禁止でしたけど、今は撮っても良くなったんでしょうか?」と聞いてみたんです。そうしたら、その監視員の方がニコッと笑いながら「いつもありがとうございます! そうなんです。こちらは撮影禁止ではなくなりました」というようなことを教えてくれました。トーハクの監視員にしては、かなり優しい方だったなぁ……。

<全部読んでいないけど参考資料>
「国華」第1094号『鋳銅刻画蔵王権現像雑攷』有賀祥隆

■蔵王権現像・眷属の詳細画像(2024年8月25日追記)


上の写真データを色み調整して線描を視認しやすくしています

以下は向かって左側の眷属たち

以下は、向かって右側の眷属

けっこう薄っぺらい板です

■平成館の大峯山寺が所蔵する『蔵王権現像』

広義の吉野……金峰山や大峰山から出土した遺品。

《押出蔵王権現像 E-19973》
奈良県天川村 大峯山頂遺跡出土
銅板製鎚出 鍍金
平安時代・10〜12世紀
《蔵王権現像》
奈良県天川村 金峯山出土
金銅製 平安時代・10~12世紀 奈良・大峯山寺

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