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特別展『大覚寺』に合わせた? 楠木正成の佩刀《小龍景光》ほか国宝・重文の刀剣が目白押しのトーハク収蔵品展
東京国立博物館(トーハク)では、3月16日までの会期で、特別展『旧嵯峨御所 大覚寺』が開催されています。なのですが……
通常、特別展が開催されると、その特別展に関連するトーハクの所蔵品が総合文化展(所蔵品展)で展示されるんですよね。でも今回は、そうした関連展示が見当たらないなぁ…なんて思っていました。そうして刀剣が集まっている本館1階の13室を見ていたら、国宝《小龍景光》が展示されているじゃないですか!
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景光は、鎌倉時代後期に活躍した備前国(岡山県南東部)長船派の刀工です。本品は景光の代表作の一つで、刀身の手元にある倶利伽羅龍王の彫刻から小龍景光と呼ばれ、明治天皇の愛刀の一つでした。
大覚寺展では、前回noteでも記したとおり、京都・大覚寺蔵の《太刀 銘□忠(名物 薄緑<膝丸>)》と、京都・北野天満宮蔵の《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)》の兄弟刀が展示されています。
この2振の太刀は、伝承では…平安時代に清和源氏2代の源満仲の発注により同じ鍛冶師によって作られ、源氏の嫡流の証(あかし)…とも言われているものです(あくまで伝承ですよ)。その後、京都・北野天満宮蔵の《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)》については、時代が下って新田義貞の手に渡ります。
新田義貞…教科書に出てくる鎌倉末期〜南北朝時代の、清和源氏の武将ですね。大覚寺統=南朝の後醍醐天皇の挙兵に呼応して、サザンオールスターズの『稲村ジェーン』でおなじみの稲村ヶ崎から上陸し、鎌倉幕府…北条氏を滅亡させた英雄の1人です。
■大覚寺統(北朝)の楠木正成が佩刀していた国宝《小龍景光》
そんな新田義貞が佩刀していたという《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)》が、特別展『大覚寺』に展示されているわけですが……その新田義貞と、仲が悪かったと噂されているとはいえ共闘したのが、大覚寺統=南朝の楠木正成です。そしてですね、楠木正成さんが帯びていた太刀が……現在、トーハクの総合文化展(収蔵品展)で展示中の、国宝《太刀(小龍景光)長船景光》なわけです(諸説あり)。
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なぜか新田義貞さんはいまいち人気がないわけですが、これは足利尊氏と同じく清和源氏だから…なのかもしれません。一方で、楠木正成さんは、出自が定かではないという意味で…どこの馬の骨かもわからないような人です。でも、大覚寺統=南朝の後醍醐天皇に忠節を尽くしたと言われ、明治の王政復古的な雰囲気を作り出す過程で、神様的な扱いを受けたわけです。そのため、東京の皇居前という好立地に銅像が建てられていますし、おそらく戦前から昭和の半ばくらいまでの人たちにとっては、超英雄なんだろうと思います。
この太刀については、1964年に人物往来社から発行された『武将と名将』という本の中で、著者の佐藤寒山さんが詳細を記しています。佐藤寒山さんは、元トーハクのスタッフで、昭和時代の刀剣研究家の権威の1人のようです。
その中で佐藤寒山さんは「この太刀は、もと大楠公正成の指料と伝え、「楠公景光」とも称し、また、磨上げられて、佩表(はきおもて)の棒樋(ぼうひ)の腰元に竜の彫物が、僅かに鎺(ハバキ)の上に首を出してのぞいているというところから、「のぞき竜景光」とも称せられている。小竜の号もこの彫物によって名付けられたものであることは分明である。」と記しています。現在のトーハク解説パネルでは、「楠木正成の差料(指料)だった云々」は記されていないことから、学術的には否定されつつあるのかもしれません。
佐藤寒山の描写を続けると「棒樋の腰もとに、小振りながらよく締った俱利迦羅を浮彫にし、裏の方は同じく樋の中に梵字を浮彫にしている。」とあります。今回は表側しか観察しませんでしたが、次に見る時には忘れずに裏も見てきたいと思います。
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ただ、楠木正成が使っていなかったとしても、モノとしてそうとうに良いものだと評価されているようで、京都・大覚寺蔵の《薄緑<膝丸>)》や京都・北野天満宮蔵の《鬼切丸<髭切>)》が重要文化財なのに対して、《太刀(小龍景光)長船景光》は国宝です。
実際にこの太刀を、よぉ〜く見てみると……ぞわぁって鳥肌が立つような何かを発している気がします。「そりゃまた大げさなぁ(笑)」と思われるかもしれませんが…まぁ大げさかもしれませんが、嘘ではありません。その雰囲気を写真で撮るのは難しいのですが、ちょっと見てくださいよ…という感じです。
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前述の佐藤寒山さんによれば「長さが約二寸以上も磨上げられて、現在は二尺四寸四分、反り九分五厘と高く、腰反りである。」としています。さらに「小板目の肌がよく約んで、あざやかに乱映りが立ち、広直刃調に逆がかった互の目を焼き、丁子足が見事で、殊に鎺元の乱れは盛んである。」と記しているんですけど、この文章を読んだだけでは、なにを言っているのかさっぱりわかりませんが…まぁ実物のとおりに描写されているはずです
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なぜ同じような写真を載せるのかと言えば、アングルを少し変えるだけで、光の当たり方が異なり、小板目肌なのか互の目なのか丁子足なのかよく分かりませんが、見え方も変わってくるからです。
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そして太刀の先端…鋒(きっさき)付近に関しては「帽子は、父長光の作風をそのままに、特色ある浅い湾れ込みで、先は上手に小丸に返り、心憎いばかりに一分の隙もない。」としています。この方の他の刀剣の評価について読んだことはありませんが、最大級に褒めています。
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そして、わたしの場合は肉眼でも写真でも読めませんでしたが、「茎(なかご)は二寸余を切詰めて区(まち)を送り、目釘の孔三つ、表の茎先棟寄りに備前国長船住景光、裏に元亨二年五月日ときっている」そうなんです。
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いつの頃なのか分かりませんが、長かった太刀を二寸余(約3cm)切り詰めて(磨上げて)いるんですね。
そして元亨二年……「1322年に作られた」と刻まれているそうですが、佐藤寒山さんは「すなわち大楠公(楠木正成)当時の備前刀工景光の新作ということになるが、名刀の数多い景光の中でも出来が最も優れ、他に肩をならべるものがない。」としています。もう手放しの大絶賛ですね。でも実際にその輝きを見ると、そのくらい褒められてもいいんじゃないかと、素人のわたしは思いました。
■髭切や童子切と同じ鍛冶師が作った《太刀 伯耆安綱》
トーハクの刀剣の部屋には、何十振も展示されていますが、その中で、特別展『大覚寺』といっしょに見ておきたいもう1振が《太刀 伯耆安綱》です。この太刀銘を見て「あっ」と思った人はなかなかの通ですね。
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平安時代・10~12世紀 文化厅
現在トーハクの総合文化展(収蔵品展)に展示されている《太刀 伯耆安綱》は、特別展『大覚寺』に現在展示されている、京都・北野天満宮蔵の《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)》や、トーハク所蔵の国宝《太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱)》と同じ鍛冶師が作ったということになります。こちらは本当に兄弟刀と言ってよいでしょう。
こうなったら『大覚寺展』の期間に、トーハクが所蔵または寄託されている《童子切》などの安綱を、一斉に展示してくれたら良いのに……減るものでも褪色するものでもないので、可能だと思うんですけどね。
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こちらの文化庁の安綱は、解説パネルによれば「細身で反りの高い刀身、大板目の地鉄、変化に富んだ小乱の刃文など、安綱の典型的な作風を示しています。」とのこと。
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また、Wikipediaで調べたところ、文化庁が所蔵するこの《太刀 伯耆安綱》は、島津家に伝来したもののようです。おそらく「安綱」と銘が切られている(彫られている)太刀は多く遺っていて、その姿が変遷している様子が確認できるため、「安綱」という名前は、何代か引き継がれたという説があります。その中でも優れたものに関しては、重要文化財や、そのなかでも国宝に指定されているため、このトーハクに寄託されている文化庁所蔵の《太刀 伯耆安綱》については、特段のエピソード…伝説が残っていないにも関わらず指定されているということは、専門家が見ても「良い作り」ということなのだと思います。
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◎国宝3振が同時に展示されています
特別展『大覚寺』に関連する刀剣は、わたしが気づいたのは以上の2振ですが、今季はそのほかにも2振の国宝指定の刀剣が展示されています。トーハク本館1階の13室には、必ずと言ってよいくらい、最低1振の国宝が展示されていますが、同時に3振が展示されているのはマレなことだと思います。それら国宝の刀剣を含む、その他の展示について、ざざっとnoteしておきます。
■国宝《太力 古備前友成》
上述した国宝《小龍景光》の隣に展示されているのが、国宝《太力 古備前友成 F-20188》です。
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銘 備前国友成造
平安時代・11~12世紀 山本達郎氏寄贈
友成は、平安時代末期に活躍した備前国(岡山県南東部)の刀工です。本品は友成の作風をよく示す代表作の一つです。刀身は細身、腰反り、小鋒の優美な姿で、樋の中に不動明王を表わす素剣を彫り、淡く映りが立つ目の地鉄に、小乱の刃文を焼入れています。
解説を改めて読むと、「樋(ひ)の中に不動明王を表す素剣が彫られている」とありますね。気が付きませんでした。「樋(ひ)」とは、実用における役割は分かっていないそうですが、刀身に彫られている細長い溝のことです。その中に不動明王を表す素剣が彫られていると…どういうこと? なのですが、実際に見てみるとこんな感じです。よく不動明王が持っている剣の形をしているということですね。
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また「淡く映りが立つ目の地鉄に、小乱の刃文を焼入れています」と記されていますが、なんのこっちゃ? なので、実際に写真をみていきます。
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平安時代・11~12世紀
山本達郎氏寄贈
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銘 備前国友成造
平安時代・11~12世紀
山本達郎氏寄贈
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銘 備前国友成造
平安時代・11~12世紀
山本達郎氏寄贈
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■熱田神宮に奉納された国宝《短刀 来国俊》
もう一振の国宝が《短刀 来国俊(らい くにとし)》です。よく見たら、熱田神宮の所蔵とあります。わたしが名古屋や行ったことがほとんどないからかもしれませんが、なぜか熱田神宮って、そんなに知名度が高いように感じません。同神宮は最近の話だと織田信長が桶狭間に駒を進める前に必勝祈願を行なったところですし、古くから三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を御神体として祀っているので、伊勢や出雲と並んで身近な名前だとしても不思議ではないんですけどね。わたしが関東出身ということもあり、よっぽど鹿島神宮や香取神宮の方が(わたしのなかでは)メジャーな神社です。
とまぁ草薙剣を御神体にしているということは、皇居にあるのは何かと言えば、形代(かたしろ)です。分かりやすく言えばレプリカ…複製ということになるかと思います。
大覚寺展では、(あくまで伝承ですが)後宇多天皇が政務を執り行なったという大覚寺・正寝殿の一室「お冠の間(おかんむりのま)」が再現されています。
この「お冠の間」の背後の襖を開けたところが「剣璽の間(けんじのま)」と呼ばれ、(あくまで伝承ですが)草薙剣を含む三種の神器が保管されたとされています。この後醍醐天皇が吉野へ持っていった三種の神器も、大覚寺での南北朝講和で、後亀山天皇が北朝の後小松天皇に渡した三種の神器も、三種のうちの八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)以外……草薙剣と八咫鏡は、本当の本物はそれぞれ熱田神宮と伊勢神宮にあります。もちろん、源義経が《薄緑<膝丸>》を振るって平氏を滅亡させた時に、安徳天皇と海中に沈んだ三種の神器も勾玉以外はレプリカだったはずです……この時に、必死の捜索にもかかわらず草薙剣だけが見つからず、仕方がないので、熱田神宮にあるオリジナルの本科(ほんか)から、改めてレプリカの形代(かたしろ)を作って現在に至る……と記憶していますが……いま刀剣ワールドを確認すると、熱田神宮ではなく……「伊勢神宮から草薙剣の形代が献上された」とありますね。どうなんでしょう…。
長くなりましたが、熱田神宮は、そういうところなので、織田信長に限らず多くの武将が信奉したでしょうし、実際に先日来、話に出てくる京都・北野天満宮蔵の《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)》も、源義朝が熱田神宮に奉納しています(源頼朝が熱田神宮から返還されています…伝承によればですけれどね)。
また話が脱線してしまいましたが、今回、熱田神宮所蔵の国宝《短刀 来国俊》が展示されています。
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銘 来国俊 正和五年十一月日
鎌倉時代・正和5年(1316)
愛知・熱田神宮
国後は、鎌倉時代後期に京都で活躍した来派の名工です。本品は国俊の代表作の一つで、「熱田の来国俊」と称される名品です。刀身は短としては身幅が広く堂々とした姿で、表裏に素剣を彫り、精美な小坂目の地鉄に、冴えた直刃の刃文を焼入れています。
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上述した「素剣」については、こちらの方がわかりやすいですね。樋(ひ)とは別に、少し眺めの「素剣」があります。
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長さ二十五・一センチ、元幅二・六センチ。平造、三つ棟、反りはなく、身幅はやや広く、重ねは厚い。地は小板目がよくつまり、一面に地沸えて映が広がり刃文はのたれまじりの中直仕立てで、下半は小乱れがまじり、刃縁はほつれて小足がはいり、上半は直刃となる。切先は掃掛けて二重刃となり、先は尖って深く返る。彫物は表裏同形で、棟寄りに刀樋と、下半の地の中央に彫りの深い素剣があり、ともに区際で角にとめる。
茎は生ぶで、わずかに反る。なかほど斜に目釘孔が二個、その下にやや太ぷりの三字銘に来国俊と、行書体で正和五年十一月目と裏銘がある。鍼目は切である。
作者は来一類の代表工であって、長寿でもあつたが、太刀、短刀、薙刀、など数多くの名作を残している。黎明会蔵の太刀に、正和四年歳七十五と、銘が切つてあるのを見るとこの短刀は七十六歳の作であることが判る。出来ばえがすぐれ、地刃がもつとも健全であり、彫物も来派の特色をよく示している。
■来国俊の弟子…了戒の熱田神宮奉納太刀
上の国宝《来国俊》と並んで展示されているわけではありませんが、来国俊さんと作風が似ていると評判の了戒さんと、その息子の九郎左衛門尉久信さんとが共作した太刀も展示されています。
以前は、来国俊さんと了戒さんは親子じゃないか? 説もあったようですが、下に記した愛知県教育委員会の図録には「弟子」と記されているので、諸説がまとまって「弟子」ということで確定したのかもしれません。
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銘了戒 嘉元三年三月日
山城国住人九郎左(以下切)
鎌倉時代・嘉元3年(1305)
愛知・熱田神宮
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↓ すごい白飛びしていてショックなのですが、また次回に行ったときにでもちゃん撮っておきたいものです。
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長さ八ニ・七センチ、反り三センチ、元幅三・ニセンチ
鎬造り、庵棟。少し磨上げているが腰反りが強く踏張りがあり、先は幅が落ち小切先となる。鍛えは板目流れで柾がかかり、地沸は細かくつき棒映が通る。刃文は小乱れ刃で、切先の刃は細かく少し返る。茎は少し磨上げ、中程から中心先にかけて表裏に長銘を切り、目釘穴は二個、棟には二ヶ所の切込痕がある。
作者了戒は、京都に鎌倉時代中期におきた来派の刀工で、来国俊の門人であり、師の作風を継承して、太刀・短刀の作にみるべきものがあり、鎌倉時代の末頃に活躍した。
この来派の一般的な作風は、その祖である国行に代表されるように、鍛えは板目がよくつみ、地がよくつき、地映りがあらわれるものがあり、刃文は直刃を基調として、小乱・丁子をまじえ、沸がよくつき、刃中には足・葉など変化に富んでいる。
■本阿弥さんの折り紙付きの《刀 来国次》
きれいな日本刀だなと思ったら、こちらも来(らい)さん……来国次さんによるものでした。
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金象嵌銘来国次 本阿(花押)
鎌倉~南北朝時代・14世紀
個人蔵
国次は、鎌倉時代末期に京都で活躍した来派の名工で、相州伝の影響を受けた荒々しい作風が特徴です。本品は、本阿弥家12代・光常が来国次の作と鑑定したもので、がっしりとした力強い刀身、精美な板目の地鉄、沸づいた刃の刃文など、国次の作風をよく示しています。
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もともとは無銘だったんですかね。金象嵌銘で表に「本阿」と、裏に「来国次」と、本阿弥光常さんによってかかれています。「これは来国次だな」と鑑定されたということ。葵の紋が入っていますけど、どこの家にあったんですかね。
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■もうひとつ本阿弥さんの折り紙付きの《刀 伝筑州左》
これまたきれいな日本刀だなと思ったら、本阿弥さんの折り紙付きでした。今回は11代の本阿弥光温さんの鑑定です。
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解説パネルを読むと分かりますが、《刀 伝筑州左(でん ちくしゅうさ)》というソードネームは、築州=筑前国(福岡県)の刀工で、左衛門三郎さんという方が作ったんじゃないか? と言われていることに由来します。左衛門三郎さんを「左(さ)」って1文字に略しちゃうところがすごいですね。
左は、左衛門三郎の略とされ、左文字とも呼ばれます。南北朝時代に筑前国(福岡県)で活躍した名工で、相州伝の影響を受けた作風で知られます。本品は本阿弥家11代・光温が左の作と鑑定したもので、刀身は大鋒(おおきっさき)で力強く、板目の地鉄に、沸づいた直調の刃文を焼入れています。
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■裏と表で異なる雰囲気の重文《手搔包永》
刀工の「手搔包永(てがいかねなが)」と言えば、わたしは昨年、静嘉堂美術館で国宝の《手搔包永》を見ました。だからだと思うのですが、トーハクで《太刀 手搔包永》を見た時に「あれ……手掻さんって、なんかすごい人だった気がする」と思い「いちおう撮っておこう」ということで、撮ってきました。
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大和国 鎌倉時代(13世紀)
刃長 73.0cm 反り2.6cm
附菊桐紋蒔絵鞘糸巻太力拵
江戸時代(18~19世紀)
※(念のため)トーハクには展示されていません
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重要文化財《太刀 手搔包永》
銘 包永
鎌倉時代・13世紀
個人蔵
水戸徳川家伝来「児手柏(こてがしわ)」という名物の太刀があったそうです。「児手柏」が面白いのは、刃の表が薄れ刃で裏が乱れ刃だということ。
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羽皐隠史 著『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形』,嵩山堂,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/951684 (
刃の表面に表れる紋が表と裏で異なる太刀があるなんて知りませんでした。
そして、今季トーハクに展示されている《太刀 手搔包永》は、そんな独特の「児手柏」と同様の作風なのだと解説パネルに記されています。えぇ〜、知っていたら裏側も見たのになぁ。まったく「ちゃんと解説を読めよ!」ということなのですが、わたし…観覧時にはあまり読まないんですよね…反省です。
本品は、包永の代表作として名高い水戸徳川家伝来「名物 児手柏」と同様の作風を示しています。刀身はがっしりとして力強く、地鉄は精美な板目で、刃文は荒く沸づき、表が薄れ刃、裏が乱刃で、表裏で異なります。
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そういえば水戸徳川家伝来の「児手柏(こてがしわ)」は、いまどこにあるんだと調べてみたところ、水戸市の徳川ミュージアムに所蔵されているそうです。なのですが……残念ながら「児手柏」は、関東大震災の時に被災してしまったそうです。被災って……どんな状況なんだろうかと思いググってみたら、文化財オンラインに痛々しい姿の写真が見られました。そうかぁ…残念だな…ということで同館では、児手柏のレプリカを製作し、オリジナルと一緒に展示することもあるとか。今度、行く機会があったら見てみたいものです。でも、同館は撮影禁止のようだからなぁ……迷うな。
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銘 包永
鎌倉時代・13世紀
個人蔵
■反りが浅くスマートな姿形の刀を発見! 《刀 井上真改》
展示室を巡っていたら、すぅ〜っとまっすぐで美しい姿の刀がありました。 すごく好みで解説パネルを見てみると……重要美術品《刀 井上真改》と書いてありました……まったく聞いたこともありませんでした。
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延宝二年二月日
江戸時代・延宝2年(1674)
個人蔵
井上真改は、江戸時代の大坂鍛冶を代表する名工の一人です。父で師の和泉守国貞の二代目を継承し、後に真改と改名しました。本品は、反りが浅くがっしりとした刀身、精美な小板目の地鉄、厚く沸づいた直刃調の刃文など、真改の作風をよく示しています。
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ちょっと時間オーバーでちゃんと見られなかったので、また機会を作って見に行きたいと思います。
それにしても、こうして振り返ってみると、今季の刀剣の部屋はたいへん充実したラインナップですね。国宝3振に重要文化財が5振に、重要美術品が1振……こんなに豪華なラインナップは、ほかではそうそう見られないのではないでしょうか?(トーハク以外の博物館をよく知らないのですけどね)
ちなみに本館2階にも、《太刀(般若太刀)》など重要文化財指定の刀剣が4〜5振はあるようです。次は2階の刀剣も久しぶりに見に行きたいと思います。
ということで今回のnoteは以上です。
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