知らない間に東京国立博物館(トーハク)・東洋館4階の中国書画の部屋の展示が替わっていました。
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国立西洋美術館が酷い混みようだったので、いつも通り、東京国立博物館(トーハク)へ行きました。……と言っても、何を観たいということもなく、トーハクも混んでいたこともあって、本館は避けて東洋館へ行くことにしました。
いつも通りに、まずは4階の中国書画の部屋へ。
エレベーターから降りた瞬間に……え? なんか多いな……と感じました。多いっていうのは、中国人観覧客がです。少し前に行った時には、ガラガラだったんですけどね……。これはなにかあるな……と思い、部屋に入ってみると、先日来た時とは展示品が替わっていました。
それで今季のテーマを確認したところ、『中国の絵画 人物と風俗』とあります。
■扇面に描かれた美人画の完成度がすごくない?
中国人の間でもトーハク東洋館の情報は行き渡っているようで、著名な作家の作品が展示されていると、ちゃんと人が入っているんですよね。そうじゃない時には、人も少なく、ササーッと見てまわる人が多いのですが、今回は人も多いし、作品ごとにしっかりと見てまわる人が多いような気がします。
わたしが最も時間をかけて観ていったのは、扇子の紙の部分に描かれた……扇面画でした。いずれも中国の美人が描かれているのですが、その女性の姿もですが、周りに描かれた樹木や花もすばらしいですし、金箔の使い方もとても上品だなぁと……おもわず見入ってしまいました。
**湯禄名《端陽佳人図扇面》**
この扇面に限りませんが、服のひだまで精緻に描かれていますし、描かれた人の動きが躍動感に溢れています。西洋画とは異なる写実的な描き方のような気がするんですよね。
作者自身が書いた自賛のあとに、「丁卯夏五月寫、為燿生道兄大人雅屬即正之。弟禄名」と記されているそうです。「丁卯年(1867年)の夏の5月に書きました。耀生道兄(輩の兄、大人)様のご依頼により、これを正します。弟 禄名」
**胡錫珪《夢蝶図扇面》**
作品とは関係ないのですが、解説を読んでいたら、司馬遼太郎の『胡蝶の夢』というタイトルを思い出しました。荘子が夢で蝶になったという話が、ちょこっと出てくる話……話自体のあらすじは全く覚えていないのですけどね。
今回の展示室を見ていると、中国で美人といえば、高貴な人よりも、高貴な人に仕える仕女や侍女なのが定番のようです。この絵も、そうした美しい侍女が描かれています。
**費丹旭《美人図扇面》**
作者は清朝後期の「美人画家」と、解説は記しています。つまりは、彼が描いた女性が、この頃の中国の美人の基準……と言って良いのでしょう。
そうしてみると、たしかに扇面に描かれているのと同じ系統の美人が、中国女性には多いような気がします。すごく小顔で色白で……といった感じです。陶器で作られた「加彩女子」にも通じる雰囲気を感じます……そういえば「加彩女子」も、高貴な女子ではなく、高貴な人に仕える女子をかたどったものでしたね。
これも自賛……意味は分かりませんが、別に自身の絵を褒めちぎっている……いわゆる自画自賛しているわけではありません。
自賛の部分で、読める漢字を拾って、その意味をChatGPTに尋ねてみました。(「●」は判読できなかった漢字)
「昨宵風雨●渓頭月断飛紅●水流拓●尋香雙●蝶一生花●不知愁丁未秋七月●芙江」
「昨夜は風雨が降り、渓谷の端で月が輝く。花びらは飛び散り、水は流れ、香りを求めて双つの蝶が一生花を舞う。愁いを知らず、丁未年の秋七月、芙江にて。」(ChatGPTの訳)
**費丹旭《採菱図扇面》**
「菱(ひし)の実」というと、忍者が使う「撒き菱(まきびし)」が思い浮かびますが、かつては漢方や薬膳などで食していたのか、お茶のようにして飲んでいたようです。調べてみると、日本の福島県の猪苗代湖では、菱の実が全盛を迎えるのが、9月下旬から10月上旬の数週間のことだそうです。
福島で、どうやって菱の実を採るのか分かりませんが、この扇面画のように、たらい舟を湖面に浮かべていたのかもしれません。
**費丹旭(费丹旭)について**
今回2作品が展示されていた費丹旭ですが、中国でも著名な画家のようです。生年月日は1802年1月29日 - 1850年12月4日。日本で言えば江戸の後期に入った頃で、歌川広重と5〜6歳くらいの差があり、椿椿山とほぼ同じ年……といった感じです。
いずれにしても費丹旭は清代の画家で、字は子苕、号は晓楼、環渚生、三碑郷人、長房後裔など……読めませんけど色々と名乗っていました。浙江省湖州市(旧・烏程県)の出身で、父は費珏という山水画家とのこと。そのため、幼少時から家伝の画技を受け継いだそうです。
費丹旭は、仕女画で名を成し、同時代の人気画家だった改琦(かいき)と共に、その名を一文字ずつ取って「改費」と称されるほど、その画風は高く評価されたそうです。
彼の仕女画は、軽やかな線と淡い色彩で女性の優美さを描き出し、その中でも特に《十二金釵図》が有名。また、肖像画や花卉・山水画も手掛け、その技法は優雅で自然な風格を持つといわれています。特に肖像画では、人物の内面を表現する力に優れていた……と、中国語のサイトには記されています。
彼は生涯、家計を支えるために絵を売り、江蘇・浙江の富豪に寄食しながら画業を続けました。晩年には「偶翁」などの号を名乗り、50歳で亡くなるまで多くの作品を遺しました。彼の画風は後世の仕女画や年画に影響を与えたと高く評価されています。
代表作には、故宮博物院や浙江省博物館などに所蔵されている《十二金釵図》や《果園感旧図》、さらには《東軒吟社図》などがあり、特に人物画の巧みな描写が特徴的。また、詩作や書にも長けており、その書風は恽寿平の影響を受けているそう……ですが、恽寿平とは誰でしょうかね。
**仲光勲《仕女図扇面》**
細い目が吊り上がるように描かれた美人。よく、黒人を含む欧米人が、中国人(アジア人)を蔑視するパフォーマンスで、指で目を釣り上げますけれど……目が細い女性でも美しい人は多いと感じますけれどね。欧米人とは美的感覚が元々異なるので、分かり合うのは難しいものです。
**王素《玉人和月折梅図扇面》**
**顧洛《洛神女図扇面》**
以下はその「洛神賦」を詠みながら観てみることにします。
**諸炘《春水吹簫図扇面》**
解説に記されていた「南末の詞人、姜き(きょうき)と彼に仕えた侍女、小紅の故事」というのが気になって調べてみました。と言っても、perplexityに、中国語で「您知道南宋末期的词人姜夔和侍奉他的侍女小红的故事吗?」と尋ねただけです。
perplexityの中国語での回答を、ChatGTPに日本語に訳してもらったのが下記になります。
ちなみに中国語でperplexityに質問するのは、中国語のサイトでの情報を知りたいからです。日本語で尋ねると日本語のサイトしか検索しないため、十分な情報が得られません。またperplexityの回答を、そのままperplexityで訳してもらっても良いのですが、なんとなくperplexityよりもChatGTPの方が、日本語訳が上手な気がしているので、ChatGTPを使っています。
この絵を観た時に、わたしは梅の花? でフレームが作られている、舟の棹を差している女性が美しく感じ、この絵の主人公だと思っていました……。でも、解説を読むと、上の写真の左側の…舟に座っている女性が主人公のようでした……あと、もっと左側にいる簫を演奏している男性でしたね……。再訪したら、そちらの2人をよく観てみようと思います。
自賛には、「最嬌小紅」という言葉が読めます……それ以外が判読できません( ; ; )……。
**筆者不詳の仕女図**
解説には、この《仕女図》が、「明時代の人気画家、仇英の様式に倣った美人図」だとしています。ということで仇英さんを調べてみると、彼は1498年に生まれ、1552年に亡くなったそうです。「明の四家」または「呉門の四家」の一人と言われるほどで、沈周、文征明、唐寅と並び称されるとしています。
人物画や青緑山水画などの分野で独自の才能を発揮し、多くの精美な作品を制作しました。彼の絵画技法は後世に深い影響を与え、沈硕、程環、尤求、沈完などが彼の画法を受け継ぎます。仇英の芸術的成果は、中国の絵画史において重要な地位を占めている……と、中国国内でも、かなり高く評価されているようです。
中国書画の部屋には、まだまだ魅力的な作品が多く展示されていました。
今回のnoteは以上ですが、心に余裕があれば、次回は、部屋に展示されていたほかの作品をnoteしていきたいと思います。