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安土桃山時代のパーティーピーポーを描いた国宝《観楓図屏風》……の複製 @トーハク

東京国立博物館(トーハク)の通称・国宝室では、おそらく今週末くらいまで、狩野永徳の《檜図屏風》が展示されていて、大胆な構図と鮮やかな彩色が分かりやすいこともあってか、大人気です。日本人はもちろん、外国人にも「この部屋はちょっと違うな……」と、そのピリッとした雰囲気が分かるだろうし……足を留めてしまいますよね。

もちろん、ポケモンGOのレアキャラをゲット! みたいな作品の見方も、楽しみの1つだし、スタンプラリーが好き過ぎてかつて四国八十八箇所を巡ったわたしも、博物館で「国宝があるって?」って分かったら……「どこどこどこ!」ってなるものです。

でも、作品の細部までをじっくりと、一人っきりで堪能したい……っていう人には、トーハクの国宝室って、金と土曜の19:50以降の10分間以外は、良い環境とは言い難いです。

そんなこともあって、模本や複製が好きです。

現在は、狩野秀頼さんの国宝《観楓図屏風》の複製が本館1階に展示されています。これって、先月…9月8日まで開催されていた特別展『神護寺』に本物が展示されていました。しかも同展での作品番号は「1」……一番最初に展示されていました。

複製を、その時期から展示してくれていたら、あらかじめ複製を見て、チェックポイントを整理してから本物の観覧に臨む……みたいなことができたのになぁ。

で……なぜ特別展『神護寺』に《観楓図屏風》が展示されていたかと言えば……まずこの《観楓図屏風》は、《高雄観楓図屏風》とも呼ばれているんです。高雄って……京都の高雄山のことで、高雄山といえば中国・唐から帰ってきた空海がしばらく本拠地にしていた「高雄山寺」があり、のちに「高雄山 神護国祚真言寺」という寺名を与えられました……つまりここで言う「高雄」とは「高雄山エリア」や「神護寺」のことです。

特別展『神護寺』の解説パネルには、同図の概要が次のように記されていました。

高雄を流れる清流清滝川の川辺で紅葉を楽しむ人びとを描く。反橋の先に山門が見え、雲間にのぞく多堂塔と伽藍が神護寺である。橋のたもとに亀霊が現われ、その先が聖なる場であることを示す。

解説パネルより

高雄山寺→神護寺が創建されたのは、奈良時代の最後期から平安時代にかけてのことです。まだ都が遷る(移る)前に、その後に内裏などが建てられる平安京(当時は今の二条城の近く)の西北の、高雄山に寺が建てられました。そしてその高雄山寺は、最澄や空海が出入りしていました。

狩野秀頼が、この屏風を描いたのは、室町時代の最終期……戦国時代が終わる頃の永禄年間(1558~70)だと推測されています。ちなみに永禄年間は、室町幕府の権威が失墜していた頃で、将軍は不在……京が荒れ果てていた頃です。そこへ永禄11年(1568年)9月26日に、織田信長が足利義昭を奉じて京都の東寺(真言宗)に入京します。徐々に京に秩序が戻っていきました。

そして、屏風の右上に描かれているのが、真言宗の神護寺の多宝塔や、そのほかの伽藍ということになります。

その神護寺のすぐ下を流れる清滝川の川辺で、パーティーピープルが集まってワイワイしている姿も見られます。売茶翁ではなく、縁日や名所などで抹茶一服を一銭で売っていた、「一服一銭」と呼ばれる商人が描かれています。今でいう祭りの屋台やキッチンカーのような人が居るってことは、「紅葉狩りに来る人たちもいた」というレベルではなく、紅葉の季節になると多くの人が集まっていたことが分かります。

一服一銭

改めて屏風全体を見てみると、中央には清滝川に架かる橋が描かれています。

その橋の上では、なんだか尺八(縦笛?)や横笛を吹く人がいたり、赤く染まった楓(かえで)を眺めている女の子も描かれています。そして分かりづらいのですが、写真の右下の川面には亀がいるんですけど、これが神聖な亀っぽいです。

この橋を渡った向こう側が神護寺の聖域であり、こちら側が俗のエリアという考え方もあるようです。聖俗の両界を結ぶ橋……ということです。そして橋の手前にいる、なにか女性とも男性とも定かではないような雰囲気の、前髪をイチョウ形に垂らせている……これは渇食(かっしき)という、禅寺で住職などの世話をする子どもなのだそうです……なんか怪しい……。それに神護寺は禅寺じゃないからなぁ…。

そして下の写真の右下にいる2人の僧が、その喝食の師匠ということになるのでしょうか。

さらにその左側には、今度は男たちだけが集まって宴会をしているようです。鼓(つつみ)の拍子に合わせて、この集団のリーダーらしき男が良い気分で踊っています。先ほどの女性の集団などもそうですが、彼女彼らが着ている服の柄まで、すごく細かく描かれていますよね。

頭上には雁(かり)が飛び立っているので、秋っていうことが強調されているようでもあります。

それにしても楓の葉の一枚ずつが、同じような朱色なのに、とても細かく描きこまれています。

その左手には、鷺(さぎ)が降り立っています。これは、このエリアが「冬」に近いているってことでしょう。

鷺(さぎ)の上を望むと、雪をかぶった山や鳥居が見えます。その参道を歩く人たちも見えますね。ここは神護寺の後ろの山にある愛宕神社を表現していると言われています。

GoogleEarthで、愛宕神社の裏側上空から京都市街を望んだ風景です。こうしてみると神護寺よりも高い場所に愛宕神社があることが分かります。全国に約900社ある愛宕神社の総本社という、由緒ある神社です。

ということで、以上の写真の中には、実は本物の《観楓図屏風》を撮ったものも含まれているのですが……わたしも分からなくなってしまいました。本物と模本(というか複製)を比べたら分かるのかもしれませんが……画像をデータ化したものを比べても、分かりませんね……。

<参照サイト>
1089ブログ『国宝「観楓図屏風」公開』
↓《観楓図屏風》について最も詳細を解説しているサイト
狩野秀頼《高雄観楓図屏風》太平の記録、母性の記憶──「鈴木廣之」

ということで今回のnoteは以上です。

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