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すごすぎる! 人間国宝・平田郷陽による、血が通っているかのような人形…@トーハク

東京国立博物館(トーハク)では、2024年7月17日 ~ 9月1日まで、『人間国宝・平田郷陽の人形』という特集が、本館の1室で組まれていました。その展示室に入って人形を見た途端に……「あっ、この人形……あの人の作品だろうな」とピンッときました。

いや…人形なんて詳しくありません……というか全く知りません。でも、前回の新収蔵品点で「なにこの超絶技巧は!」って、かなり驚いたので、「上手な人形=あの人の作品」と、わたしの記憶細胞さんに刻み込まれたんです。

あの人っていうのは、二代平田郷陽さん。一代目がどんな仕事をされていたのか知りませんが、トーハクにあるのは二代の平田郷陽(ごうよう)です。

■太平洋戦争“前”の作品

《婦女》1-4505
二代平田郷陽作|昭和7年(1932)|木、胡粉、絹ほか
平田多惠子氏寄贈
《婦女》

昭和7年(1932)の第5回白澤会展に出品された衣裳人形です。丸帯をお太鼓結びにし下着や襦袢を重ね、長い髪を後ろで低くまとめ簪で止めた、昭和初期時の若い女性の姿をそのままに映しています。正座を少し崩した足裏や耳、手指など写実的な表現が細部にまで行き届いています。

《婦女》解説パネルより

いわゆる日本人形と言われる作品って……いや西洋の写実的な表現の人形もですが、なんとなく「似ているけど、なんか違う……見ていると怖い」雰囲気をわたしは感じます。それって、人に似せて作られた人型のロボットで言われる「不気味の谷」だと思うんですよね。でも平田郷陽さんの作品は、その不気味の谷を越えている気がします。

展示室には、太平洋戦争よりも以前に作られた作品も多く展示されていましたし、どれも魅力的だったのですが、おそらく今後も見る機会が、少なくないんじゃないかなと思います。もっと見たいという人は、素敵なパンフレットがPDFで配布されているので、ダウンロードして見てもらえればと思います。

パンフレットにもありますが、太平洋戦争を挟んだ後には、作品の様相がガラッと変わります。

■太平洋戦争“後”の作品

《秋韻》1-4515
二代平田郷陽作|昭和28年(1953)|木、胡粉、絹ほか
平田多惠子氏寄贈

昭和28年(1953)の第9回日展に出品。従来の創作人形とは異なり、体型を大胆にデフォルメし、衣裳も写実性を排除し、今後の郷陽の作品の大きな特徴の1つとなったヨレ貼りの衣裳をまといます。これまでの写実主義から脱却した新しい作風が評価され北斗賞を受賞しました。

世界の……というか欧米での芸術運動なのでしょうが……その影響を強く受けたようです。素敵ですね……という言葉しか出てきません。

人形もですが、「秋韻」という言葉が素敵だなぁと思いました。思ったものの、その意味は分からず……調べようとしたら、解説パネルの英字タイトルを見て、なんとなく察しました……「Sounds of Autumn」。

人形の右側にちょこんと置かれているのは「秋韻」の粘土原型なのだそう。この粘土の原型というか、絵でいう習作とでもいうのか……とにかくこの粘土原型にも解説パネルが付されていました。

粘土原型では右手を台座に付き、膝に置いた手に冊子のようなものを手にして物思いにふける振袖の若い女性の姿です。完成品は左手を胸の前に挙げ、人差し指を立てた姿に変わっています。

「秋韻」の粘土原型の解説パネル
《朝霜》1-4517
二代平田郷陽作|昭和30年(1955)|木製、胡粉、彩色
平田多惠子氏寄贈

ややデフォルメされた体型を木彫にし粉彩色した後に、衣裳の一部分にヨレ製を貼って彩色を加えます。

《朝霜》解説パネル
《抱擁》I-4522
昭和41年
平田多惠子氏寄贈
《流れ》1-4519
二代平田郷陽作|昭和37年(1962)|木、胡粉、絹ほか
平田多惠子氏寄贈

昭和37年(1962)の第9回日本伝統工芸展に出品。正座して左手で顎を支え左に首を傾ける若い女性が正座した姿を表わします。この頃には郷陽作品の特徴ともなった量感のある体型に形作り、抽象化した模様の形を木目込にします。昭和30年代は帯に正倉院模様の錦を好んで用いました。

《流れ》解説パネルより
《香り》1-4523
二代平田郷陽作|昭和44年(1969)|木、胡粉、彩色
平田多惠子氏寄贈
《香り》

昭和44年(1969)の第16回日本伝統工芸展に出品。この時期の郷陽作品には珍しくデフォルメ化を避け、香をかぐ京舞妓の丸みを帯びた顔や、肩上げした着物、だらりの帯の織留に入った置屋の家紋、ぽっちりと呼ばれる大きな帯留や花簪まで、舞妓の特徴が彫り込まれています。

解説パネルより

話は少し逸れますが、先日(2024年8月30日)、美術家の横尾忠則さんが、トーハクへ自作の絵画102点を寄贈したというニュースを読みました。102点というのは、昨年9月〜12月にトーハクで開催された特別展……ではないけれども、別途料金が必要だった『横尾忠則 寒山百得』展で展示されていた作品群です。すべて寒山拾得をイメージした作品です。

少し驚いたのが、まだ活動中の作家の絵画作品がトーハクに収蔵されたということです。先述した経緯があるとはいえ、トーハクは明治・大正くらいまでの作品を対象とした博物館です。明治・大正以降の作品については、江戸城の北の丸にある国立近代美術館の担当のはずなのに……。

もちろんトーハクが収蔵するなんておかしい! ダメ! と、思っているわけではなく、トーハクが収蔵しても……トーハクで展示できる機会って、あるのかなぁ……と。1-2点なら、例えば『寒山拾得』展で、江戸時代以前の作品と並べて展示することもあるでしょうけど……102点ですからね。

横尾忠則さんの作品と同様に、平田郷陽さんの人形作品も、国立の博物館・美術館の役割分担的には、収蔵されるべきだったのはトーハクではなかったような気もしなくもないです。今回は新たに収蔵された後のお披露目会のような意味合いだったと思いますが……次に同館で展示されることがあるのか? と考えると、かなり怪しい気がします。

ただまぁトーハクであれば、管理がしっかりしていそうですしね。それにトーハクが所蔵すれば、こうして写真に撮っていろんな人が自由にブログで紹介できますし、同館の画像データベースを誰もが自由に使えるので(商用でなければ)、個々の作品が最も世に広まりやすいという意味では……やはりトーハクに収蔵されるのが、一番良いかなぁと思います。

noteはもちろんネットで調べても、奈良や京都、九州の博物館で、“何が”見られるのか分かりませんからね。限られたメディアだけが展示品を撮影して紹介できるという制度のために、どれだけの名品が、国立の博物館の中に閉じ込められるているか……計り知れないロスをしているなぁと……異なる意見もあるでしょうが、そんなふうに思ってしまいます。

と、むにゃむにゃと特に結論もなく書いて今回のnoteは終わります。

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