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横山大観、観山、未醒、紫紅が旅して写生していった『東海道五十三次絵巻』⑤舞坂〜吉田・豊橋……@東京国立博物館

1915年(大正4年)、横山大観たいかん47歳、下村観山かんざん42歳、今村紫紅しこう35歳、小杉未醒みせい34歳の4人は、京都を目指して旅に出ました(各年齢は、生年と製作年とで単純計算したものです)。

その4人が東海道を旅しながら順繰りに描いたのが、東京国立博物館(トーハク)に所蔵されている『東海道五十三次絵巻』です。トーハクの1階の近代絵画を展示する部屋で、不定期的に何度も展開されている絵巻。毎回異なる場面が見られますが、今回は巻六……その中でも舞阪から吉田・豊橋を描いたものになります。

先日、「『雪舟・山水図屏風の系譜』みたいなトーハクの展示構成 伝周文&雪舟から狩野山楽&探幽…そして呉春」というnoteを書きました。その流れで今回の『東海道五十三次絵巻』を見ていくと……あっ‥て、気がつくことがありました。気が付いたというよりも、あぁそうか‥という感じです。

まぁ色々と前段が長くなるのがわたしの悪い癖なので、そうか…と思った点については、最後に記そうと思います。まずは、特に書くこともない、見ているだけで楽しい4人の東海道中を見ていくことにします。


■『東海道五十三次絵巻』

舞坂……下村観山
舞坂……下村観山
浜名湖……たぶん下村観山
荒井……今村紫紅
ここから左が、白須賀……小杉未醒
汐見坂
ここから左は下村観山
二川……下村観山
ここから左は横山大観
吉田・豊橋……横山大観

■『東海道五十三次絵巻』と『山水画』

雪舟等楊は、48歳から50歳の頃に、当時はみんだった中国への外交使節に随行し、寧波ニンポー北京ペキンの間を往復したそうです。その時に旅で見た情景を描いた……のかもしれないね……と言われているのが、トーハク所蔵の《中国真景しんけい図巻》または、京都国立博物館所蔵の《唐土勝景しょうけい図巻》です。

作品というよりは、ネタ帳みたいなものだと思うんです。旅でキュンとした情景を、心に留めるように、または心に残っているものだけを描いておいた。後に……特に作品または商品としての山水画を描く時に、このネタ帳のなかの情景を基に描いていく。

横山大観たいかん、下村観山かんざん、今村紫紅しこう、小杉未醒みせいの4人も、毎日歩いた後にひとっ風呂浴びて食事をした後に……「今日は誰が描く?」と横山大観が皆に聞くと……「大観さん、今日は私に描かせてください」と他の者が名乗りを挙げる……すると大観さんが「それじゃ、今回は紫紅《しこう》さんにお願いしよう」……みたいな感じで描いていったんでしょうね。

誰かが描いた後に、その誰かの絵の続きを返歌(アンサーソング)のように描いていく。「おぉ……今日の紫紅《しこう》さんの筆はノッてるなぁ」なんて感心したりして、その誰かの絵に触発されて「大観さん、明日の汐見坂を越える場面は、ぜひ私に描かせてくれ!」と小杉未醒さんが手を挙げる。「いいねぇ未醒さん。それじゃあ明日は未醒さんにお願いしようじゃないか!」みたいにワイワイやってたんだろうなぁと。

とても羨ましい旅だっただろうと思います。

そんな4人の作品は、いつだってトーハクに展示されていますが、今季も『東海道五十三次絵巻』の他にも、いくつかが展示されています。それらは次回にnoteしていきたいと思います。

■これまでの『東海道五十三次絵巻』


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