扇に描かれた…扇に描いた…江戸文化と美人 @東京国立博物館
東京国立博物館の浮世絵の部屋では、「扇」が描かれた浮世絵が集められています。メインとして展示されているのは、葛飾北斎の『扇面散図』。この作品の展示は修理後、初だということです。
<2022年9月27日〜同年10月23日>
ちなみに、同じく本館2階の「書画の展開」の部屋でも、酒井抱一などが扇面に描いた作品も見られますので、合わせてじっくりと見ておきたいです(今回のnoteでは浮世絵のみを紹介)。
■葛飾北斎『扇面散図』
■勝川春章『東扇』
初代中村仲蔵は、伝説的な歌舞伎役者。2021年末にNHK BSプレミアムで放映されたドラマ『忠臣蔵狂詩曲№5 中村仲蔵 出世階段』では、現代の中村勘九郎が演じています。壮絶ないじめに耐え抜き、人気役者と成長していくというサクセスストーリー。
「この扇を紙なりに切り抜いて、折り筋の通りに折って、なにかをして叩いて、上下を揃えて……うんぬん」と記されています。また「屏風や襖に貼り混ぜにしていくのも好いですよ」といった感じですかね。
初代の中村里好は、上方(京都)で修行した歌舞伎役者。若女形として成長し、宝暦11年に江戸に下って、「松江」と改名。以降は江戸で活躍し、里好と名前を改めたのは安永2年のこと。「里好」の名は2代目までしか続かなかったけれど、その前の名の「松江」は若女形の名として現代の5代目まで続いている。(『日本庶民文化史料集成』6巻より)
■喜多川歌麿『青樓仁和嘉女藝者之部』
■鈴木春信『見立源氏夕顔』
■北尾政演『扇地紙売』
■『舞妓図(伝・右近源左衛門)』/『衣通姫図』/『蜀山人像』
月岡雪鼎は、大阪を拠点に活躍した浮世絵師。法橋の位を得たそうで……江戸時代の法橋は、どれほどすごいことなのか分かりませんが、まぁ絵師として認められた証なのでしょう。解説パネルには「美人画や古典人物画、春画も評価されています」とあります。大阪画壇に大きな影響を与えたそうです。
蜀山人とは、大田南畝のこと。天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。辞世の句でも狂歌師としての本領を発揮している。ただ、辞世の句として伝わっているものには二句あり、1つは 「今までは人のことだと思うたに 俺が死ぬとはこいつはたまらん」、もう一つが 「生き過ぎて七十五年食ひつぶし 限りしられぬ天地の恩」。
一方、絵を描いた鳥文斎栄之(1756-1829)は、御家人よりもランクが上の、500石取りの旗本。500石と言えば、なかなかに偉い部類に入るでしょう。解説パネルには、狩野栄川院典信の門人とあるが、画風に関しては、美人画を得意とした鳥居清長に学んだと記されています。鳥文斎栄之は、同年代の喜多川歌麿に対抗する美人画家として活躍しました。
大田南畝の交友関係は広く人気者だったのでしょう。肖像画については、何人かが描いています。また同世代の鳥文斎栄之も、友だちの一人だったのでしょう。鳥文斎栄之とのコラボ作品も少なくありません。
■葛飾北斎『馬づくし・駒下駄』
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■溪斎英泉『山城名所名物 京扇』
■歌川豊国『永寿堂店先』/
■鳥居清満・清経『高麗煎餅見世先』
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