トーハクの高さ2メートルの河鍋暁斎の大作《地獄極楽図》は、一見の価値あり!
昨日noteした国宝《線刻蔵王権現》を、もう一度見に行こうと思い、今日は銀座で篠笛を習った後に、家族と別れて東京国立博物館(トーハク)へ寄ってみました。トーハクに着いたのは午後4時過ぎ。見終わって帰路につく人と、これから見に行こうという人たちが同館正門で交錯しています。
もうね……週末にゆっくりと作品を観ようなんて考えてはいけませんね。なにか作品を見ていると、男女を問わず必ず年配の方が横から顔を突き出してきて……先へ急げと言わんばかりに近づいてきます。といっても、その方がいつまでも同じ作品を鑑賞しているかと言えばそうでもなく……わたしが人の気配を感じたら、合気道のようにサッと作品から2〜3歩後ろに下がれば、そうした方々は満足するのか、一瞬だけ作品を一瞥して通り過ぎてくれます。そんなものですから、通り過ぎたら、またわたしは作品に近づいて見ればよいのです。
でも1割くらいの人は、「誰かがジ〜っと眺めている」ってことは「何か特別に重要な物を見ている」と思うようで、こちらが真剣に見ていれば見ているほど、横から顔を突き入れて、グイグイと体を入れて来るものです。これらは別に日本人に限ったことではなく、欧米も日本以外のアジアの人たちも変わりませんね。みなさん意外と「人の邪魔をする」ということには鈍感のようです。我が身を振り返って、そうしないように気をつけながら、これからも博物館や美術館で鑑賞していきたいと思います。
■河鍋暁斎の《地獄極楽図》……絵解き
さて、そのトーハクの本館2階で国宝《線刻蔵王権現》を見た後に、混んでいるから帰ろうかなぁと思いつつ、同じ本館1階の近代美術の部屋へも行ってみました。いま、河鍋暁斎の縦2メートル/横3メートルもある大作です。つうかあさんには釈迦に説法であると思いますが、この絵をギューッと圧縮して小さくした作品が、静嘉堂文庫に所蔵されている……いくつもの場面が描かれている……《地獄極楽めぐり図》の1シーンにあります。
展示室に誰もいなければ、この作品の前に一人で立って、作品のなんとも言えないパワーを浴びると良いように思います。ぐわぁ〜って感じで、何が? とは具体的に言えませんが、何かが迫ってきます。
そうして感覚的に作品を見た後には、「なにが描かれているか?」が気になってくる人もいるかもしれません。作品の下にちょこっと置いてある解説を読むと、あらかた分かるのですが、もう少し詳細を見ていきます。それを知るために面白い資料を見つけました……木下直之さんという方が書いた「明治維新期における地獄イメージの変容」です。
画面の上の方からは死者たちが地獄に落ちて……逆さまに堕ちてくる様子が描かれていますが、これは遠すぎて撮れませんでした。とにかく人が亡くなると地獄に真っ逆さまに降るように堕ちていくんですね。
そして(1)脱衣婆(だつえば)という地獄の役人とでも言うんでしょうか……読んで字のごとくですが、死者が来ている白衣を数人がかりで剥ぎ取っていきます。
服を身ぐるみ剥ぎ取られた後は、閻魔王の前に引き出されて審判されるのですが、閻魔王も理由も言わずに審判することはないようです。スピード違反でオービス(カメラ)で撮られた時に、警察に出頭(というのか?)すると「これはあなたですね?」とオービスで撮った写真を突きつけられて「ぐぅ」とも言えない状態になるのと同じように、(2)浄玻璃鏡という鏡に映された生前の所業を突きつけられるわけです。
浄瑠璃鏡に映る、自身の悪行を見せられた死者は……「へぃ……わたしでございます」と返事をするしかありません。改めて閻魔王の前に引き出されると、閻魔王から死者へ地獄行きの沙汰(審判)が下されます。
(4)死者に裁きが下ると、獄卒の鬼(?)たちが、情け容赦なく彼らを引っ立てていき、地獄へと突き落としていきます。すでにここは地獄なので、さらに下へと落とすということは、奈落の底へ突き落とす……ということかもしれません。
この情景を、河鍋暁斎は最も力を入れてというか、わくわくしながら描いているようにも思えます。とにかく落とされる死者たちの苦しそうな表情と、獄卒たちの楽しそうな表情との対比が大きいですよね。獄卒たちは「おらぁ! おのれら早くせんかぁ〜!」「この人でなしがぁ! こうしてくれるわぁ〜!」と叫びながら突き立て、死者たちの阿鼻叫喚が聞こえてきそうです。河鍋暁斎さん……楽しんでるなぁ〜。
そうして地獄へ落されていく死者がいる一方で、噂どおり(5)地蔵菩薩によって助け上げられている死者も、少しですがいるんですね。どのくらい救ってくれるものなのか、ちょっと気になるところです。地獄に落されないように生きている間に善行を積むか……それとも地蔵菩薩さまを拝み倒しておくか……それとも南無阿弥陀仏と一心に称えるか……どれにしようかなぁ……。
■河鍋暁斎の《地獄極楽図》……ではなく、《地獄変相図》では?
先ほど挙げた木下直之さん著の「明治維新期における地獄イメージの変容」ですが、トーハクの《地獄極楽図》だけでなく、ほかに3つの河鍋暁斎作品を挙げながら、地獄イメージの変遷について語っていておもしろいです。
そして冒頭部分では、河鍋暁斎と弟子で建築家のジョサイア・コンドー(コンドル/暁英)が、鎌倉を旅したことについて触れています。
2人で出かけた鎌倉・円応寺の閻魔堂で見た、高さ2メートルに近い閻魔王や十王……それらを囲むように座る役人や獄卒、奪衣婆などから強いインスピレーションを受けたのかもしれません。木下先生が挙げられている『暁斎画談』には、確かに十王の絵が3点確認できました(これを1点と数えて、ほかにもあるのか?)。その十王が、《地獄極楽図》にどのくらい反映されているかと言えば、直接には分かりませんけどね。
ところで、小見出しにも記しましたが、トーハクの《地獄極楽図》という画題を見て「なんかしっくり来ないな……」と思いますよね? だって、「地獄」しか描かれておらず、「極楽」の様子が描かれていませんもの。
その画題についての説明については記されていませんが、木下直之「明治維新期における地獄イメージの変容」では、同図を『地獄変相図』としています。現在、《地獄極楽図》と呼ばれているトーハクの河鍋暁斎作品が、かつては『地獄変相図』と呼ばれていたのか……もしくは、そもそも木下先生が語られている対象作品が今展示されている《地獄極楽図》ではなく、ほかに『地獄変相図』という作品がトーハクにあるのかは不明です(いちおうググった限りでは他になさそうです)。またもしくは、木下先生が歌川国芳の《地獄変相図》と混ぜこぜにしてしまった可能性もゼロではありません。なにせ、記されている内容については、歌川国芳のものも河鍋暁斎の作品も同じような感じですからね。
でも、やはりトーハクの画題《地獄極楽図》だと、どうしたって「極楽」も同じような大きさの作品がなくてはいけません。でもそれもなさそう……。ということで、やはりトーハク所蔵の《地獄極楽図》は、木下先生が記しているように「地獄変相図」と題した方が妥当なような気がします。
おそらくですが、《地獄極楽図》という画題は、前述した静嘉堂文庫蔵の《地獄極楽めぐり図》から引っ張ってきてしまったものではないでしょうか。静嘉堂文庫版については、しっかりと「極楽」も描かれていますからね。
ちなみに木下先生の論文では、トーハクの《地獄変相図(地獄極楽図)》のほかに、ビクトリア&アルバート美術館蔵の作品や『暁斎楽画』における地獄のイメージについて語り、最後に静嘉堂文庫蔵の《地獄極楽めぐり図》について詳細を記しています。
ちなみに静嘉堂文庫蔵の《地獄極楽めぐり図》と、トーハク蔵の《地獄変相図(地獄極楽図)》は、パッと見た感じはサイズ以外は全く同じです。気になる方はグーグルで検索すると見られるので、調べてみてください(その掲載って、著作権的にOK? と思うので、リンクは貼りません)。
■美術館のWebで見られる河鍋暁斎の作品
・The British Museum(大英博物館)
・MFA Boston(ボストン美術館)
・Smithonian(スミソニアン博物館)
・The MET(メトロポリタン美術館)
・ライテン民俗博物館(検索サイトが開かない……)
・Victoria and Albert Museum, London(ビクトリア&アルバート博物館)
・国立国会図書館デジタルコレクション
・国立国会図書館イメージバンク
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