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クライマックスに感動! トーハクで観られる橋本雅邦の《瀟湘八景》

東京国立博物館(トーハク)に通っていると、いろんな絵師や画家が描いている、共通の画題がいくつかあります。「四季山水図」や「寒山拾得」、「白衣観音」などが代表例ですが、今回noteしたいのは「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」です。

「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」は、トーハクの本館であれば日本人によるものが……東洋館では中国人が描いたものが……時折展示されていますよね。そして今季は、本館の近代絵画の部屋で、主に明治から大正時代に活躍した橋本雅邦さんの《瀟湘八景》が見られます。

正直いうと、これまで「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」を見て「素晴らしいな!」なんて思ったことはなく、「よくある墨で描いた風景画(山水画)だよね」と心の中でつぶやきつつ、展示品の前を通り過ぎるのが常でした。

それが……先日、橋本雅邦さんの《瀟湘八景》を見たときに、なぜか分かりませんが「いいなぁ」って思ってしまったんです。

なぜ良いと思ったかは置いといて……ちょっと今は言語化できないので……まずは「そもそも瀟湘八景って何なの?」っていうのと「なんで名だたる画家たちが描いているの?」という2点を記していきます。

解説パネルやWikipediaを読むと、「瀟湘は中国湖南省の地域を指し、具体的には洞庭湖(どうていこ)の南側、瀟水(しょうすい)と湘江(しょうこう)を含む場所のこと」とあります。そのエリア一帯で、特に景色がキレイな場所を8箇所選んで描いたのが「瀟湘八景」ということになります。

より詳しく書くと、瀟水(しょうすい)と湘江(しょうこう)とは、洞庭湖に流れ込む2つの河川のこと。これらの河川が合流する一帯を瀟湘(しょうしょう)と呼び、古くから風光明媚な水郷地帯として知られていたそうです。そうした……中国人の原風景のような景色のうち8つの場所を、北宋時代の高級官僚・宋迪そうてきが描いたのが『瀟湘八景』の初めだとされています(宋迪そうてきの瀟湘八景は現存しません)。

そんな宋迪そうてきが描いた山水画が、詩画をよくする人たちの中で大ヒット。実際の景色ではなく、いわば宋迪そうてきの描いたバーチャルな『瀟湘八景』に、心を揺さぶられて書いた詩が、これまた高く評価されました。その詩を読んで感動した人が、その詩をもとに『瀟湘八景』を描き……またその絵が高く評価されて……という、絵と詩が続々と生まれて……という現象が中国で起きて、そのムーブメントが、日本にも伝わったようです。

いつ日本に伝わったのかは定かではありませんが、鎌倉時代にすでに「瀟湘八景」が伝わっていて、色んな画家が「瀟湘八景」を描くとともに、各地で日本版の八景図が描かれるようにもなったそうです。「近江八景」や、横浜の「金沢八景」……からの「八景島シーパラダイス」などは、その代表例でしょう。

そうして中国の伝統的な山水画の画題となった「瀟湘八景」は、8つの名所を指しています……が、それぞれの場所でしっかりとテーマ縛りがあります。例えば、「山市晴嵐(さんしせいらん)」であれば「山間の町に晴れ間の霞がかかる風景」だし、「遠浦帰帆(えんぽきはん)」であれば「遠くの港に帆船が帰ってくる光景」、「烟寺晩鐘(えんじばんしょう)」であれば「霞がかかる寺から聞こえる夕暮れの鐘の音」という具合です。知らず知らずに「型」ができていき、以降の絵師たちは、これらのイメージの基本ルールに準じつつ、独自性を発揮させていきました。

ということで、絵巻の右側から見始めていきます。


1.山市晴嵐(さんしせいらん):山間の町に晴れ間の霞がかかる風景

橋本雅邦筆|明治時代・19世紀|紙本墨画

どこからどこまでが山市晴嵐(さんしせいらん)を描いたもの……という仕切りのようなものはありません。なんとなく山市晴嵐になり、なんとなく次の画題に移っていきます。

山間の街は、かなり小さく描かれていますが、拡大していくと行き交う人が描かれていて、そこが宿場街であることが想像されます。特に、水墨画でよく見かける、ニョキッと突き出した棒の先に旗が描かれて建物がありますよね……これはお酒が飲める店を表しています。

2.遠浦帰帆(えんぽきはん):遠くの港に帆船が帰ってくる光景

湖の対岸近くに浮かぶ舟が何艘か見えてきます。このあたりからが「遠浦帰帆(えんぽきはん)」ということです。帆を張った舟は、霞んで見えることから、そうとう広い情景だということが想像できます。

3.漁村夕照(ぎょそんせきしょう):漁村に差し込む夕日の光景

小さな漁船が港に帰ってきている様子が描かれていますね……このあたりからが「漁村夕照(ぎょそんせきしょう)」ということです。「夕照」という雰囲気は、墨の色だけでは判然としませんが、この絵巻が「瀟湘八景」であること……そして舟が帰ってきていることから、鑑賞者は、このシーンが夕陽に染まっていると脳内で想像するのでしょう。

4.瀟湘夜雨(しょうしょうやう):瀟湘の地域に降る夜の雨

サ〜っと、カーテンのような雨が降っています……ということから、このあたりから「瀟湘夜雨(しょうしょうやう)」であること……つまりは夜だということなども分かります。雨の音以外には何も聞こえてこない、静かな情景ですね。

5.烟寺晩鐘(えんじばんしょう):霞がかかる寺から聞こえる夕暮れの鐘の音

霞む山の上に寺がポツンと描かれています……「烟寺晩鐘(えんじばんしょう)」です。堂宇が見えるか見えないかの雰囲気なのでしょうが、時を告げるものなのか、鐘の音だけが聞こえてくる……というシーンです。

6.洞庭秋月(どうていしゅうげつ):洞庭湖に映る秋の月

湖辺に建つ別荘でしょうか……そこで過ごしていると山の上から月が現れました……ということで、ここは「洞庭秋月(どうていしゅうげつ)」ということになります。日本人も月を愛でるのが好きでしたが、もちろん中国人も好きだったのでしょうね。

7.平沙落雁(へいさらくがん):砂浜に雁が降り立つ様子

広い広い砂浜と空……編隊を組んで飛ぶ鳥たちが見えます。砂浜に降り立った鳥=雁も見えるところから「平沙落雁(へいさらくがん)」を描いています。

8.江天暮雪(こうてんぼせつ):川と空が一体となる夕暮れ時の雪景色

なんでなのか本当に分からないのですが、雪に埋もれた情景を見たときに「この絵巻……いいなぁ」って思ったんです。橋本雅邦さんの作品なんて、今まで良いと思ったことなかったのに(悪いと思ったこともないです)……。なぜ良いか? は、これを書いている今も結局は分かりませんでした。

実はさっきも見てきたのですが、やはり「良いなぁ」という気持ちは変わりませんでした。

■Perplexityとのやり取り……恵洪が詠んだ『瀟湘八景』

以下のPerplexityの回答は、たしか台湾の《瀟湘八景》について記した下記Webサイトの内容について、どんどん突っ込んだ質問をしていった過程で出てきた回答だった気がします……。なぜかPerplexityに履歴が残っていなくて……Geminiでも同時に調べていたので、もしかするとそちらの回答かもしれません。ということで、下記するAIの回答が、どれだけ正しいかは全く未知です。ただ……個人的にメモっておきたいのでnoteしておきます。内容を鵜呑みにしないよう気をつけてください。

___以下がAIの回答___

前回のやり取りで、蘇軾は宋迪の「瀟湘晩景図」に触発されて詩を詠んだものの、その詩は出典に含まれていないことを確認しましたね。

一方、恵洪は宋迪の「瀟湘八景図」を見て、二組の詩を詠んでおり、こちらは出典に記載されています。 彼の詩は、宋迪の絵が持つ「帰思」を巧みに表現していると評価されています。

第一組の詩

恵洪は、宋迪の絵の素晴らしさに感動し、「宋迪作八境絶妙、人謂之無聲句、演上人戲余曰:“道人能作有聲畫乎?”因為之各賦一首」と述べています。これは、「宋迪の絵は、まるで音が聞こえない詩のようだと人々は言う。そこで、ある僧が私に言った。「あなたなら、音のある絵を描けるか?」と。そこで、私はそれぞれの絵に詩を詠んだのだ。」という意味です。

恵洪の第一組の詩は、以下のように、各景の情景や心情を生き生きと描写しています。

平沙落雁: 湖容秋色磨青铜,夕陽沙白光蒙蒙。翩翻欲下更嘔軋,十十五五依芦叢。西興未帰愁欲老,日暮無雲天似掃。一声風笛忽驚飛,羲之書空作行草。

遠浦帰帆: 東風忽作羊角轉,坐看波面纖羅卷。日脚明邊白島横,江勢吞空客帆遠。倚欄心绪風絲亂,蒼茫初見疑凫雁。漸覺危樯隠映來,此時増損憑詩眼。

山市睛嵐: 宿雨初収山氣重,炊煙日影林光動。蚕市漸休人已稀,市橋官柳金絲弄。隔溪誰家花滿畦,滑唇黄鳥春風啼。酒旗漠漠望可見,知在柘岡村路西。

江天暮雪: 潑墨雲濃帰鳥滅,魂清忽作江天雪。一川秀發浩零亂,萬樹無聲寒妥帖。孤舟卧聽打窗扉,起看宵晴月正暉。忽驚盡卷青山去,更覺重携春色歸。

洞庭秋月: 橘香浦浦青黄出,維舟日暮柴荊側。涌波好月如佳人,矜誇似弄嬋娟色。夜深河漢正無雲,風高掠水白紛紛。五更何處吹畫角,披衣起看低金盆。

瀟湘夜雨: 岳麓軒窓方在目,雲生忽収圖畫軸。軟風為作白頭波,倒帆斷岸漁村宿。燈火荻叢營夜炊,波心應作出魚兒。絶憐清境平生事,蓬漏孤吟曉不知。

煙寺晚鐘: 十年車馬黄塵路,歳晚客心紛萬緒。猛省一聲何處鐘,寺在烟村最深處。隔溪修竹露人家,扁舟欲喚無人渡。紫藤瘦倚背西風,帰僧自入烟蘿去。

漁村落照: 碧葦蕭蕭風淅瀝,村巷沙光潑残日。隔籬炊黍香浮浮,對門登網銀戢戢。刺舟漸近桃花店,破鼻香來覺醇酽。舉籃就儂博一醉,卧看江山紅緑眩。

第二組の詩

恵洪は、上記の七言絶句の八景詩とは別に、七言律詩の八景詩も詠んでいます。

山市晴嵐: 朝霞散綺仗天容,無際山嵐分外濃。風土蕭條人跡静,林蹊花木自鮮濃。

洞庭秋色: 秋霁湖平徹底清,滄浪隠映曜光輪。寒光炯炯為誰好,倚岸凭欄興最清。

江天暮雪: 長空暝色黯陰雲,六出飄花堕水濱。萬境沉沉天籟息,溪翁忍凍獨垂綸。

瀟湘夜雨: 岳麓甍檐蒼莽中,蕭蕭江雨打船蓬。一声長笛人何去,蒻苙蓑衣宿葦叢。

漁村落照: 目斷青帘在水湄,臨風漠漠映斜暉。漁郎笑傲芦花里,乗興回家何處帰。

遠浦帰帆: 水國烟光映夕暉,誰家仿佛片帆帰。翩翩鷗鷺西風急,凝盼滄洲眼力微。

煙寺晚鐘: 輕烟罩暮上黄昏,殷殷疏鐘度遠村。略彴横溪人跡静,幡竿縹缈插山根。

平沙落雁: 寂寞蒹葭亂晩風,江波斂滟浸秋空。横斜倦翼帰何處,一點漁灯杳靄中。

恵洪の詩の特徴

恵洪は禅僧でありながら、彼の詩は禅的な視点よりもむしろ文人の心情を表現している点が興味深いです。これは、彼が蘇軾の影響を強く受けていたためだと考えられています。

彼の詩は、宋迪の絵そのものについての情報はあまり多くありませんが、絵を見た人がどのような印象を抱いたのか、作者がどのような意図で絵を描いたのかを知る上で貴重な資料と言えるでしょう。

■フィラデルフィア美術館のよく似た《山水画》

《Landscape》1903年

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