私は自分勝手に生きると決めた
※自傷行為の話が出てくるので、引っ張られやすい人は自己防衛してください。
とある日。
私は救急車に乗っていた。
私なんかがごめんなさい。
生きててごめんなさい。
サイレンがなる中そんなことを思った。
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色々なことが重なって、ストレスが溜まってたんだと思う。
そう私は自覚していなかった。
むしろ調子がいいとまで思っていた。
朝起きると頭が重い。
心が痛い。
起き上がれなかった。
今日はダメだ…そう思い授業を休んだ。
午後になり、そういえば学生相談の予約が入っていたなと思い出す。
行かなきゃ。でもこのままじゃ行けない。
何を思ったか、起き上がり、薬を取り出した。
そこからは一瞬だった。
二十錠程の薬をぷちぷちだした。
自分が自分では無い感覚だった。
一気に流し込んだ。ぼーっとした。
時間になり、行かなきゃそう思い家を出る。
学生相談で薬を飲んだことを伝えた。
話すだけでしんどい。ふらふらしていた。
心理士さんは昨日飲んだと勘違いしたのか、
話を続けてくる。
何を話したか覚えていない。
30分ほど経ったところで、
「いつ飲んだの?」
「1時間前くらい」
驚かれた。
「病院に電話するよ」
そう言われた。
病院に電話したが、救急がないため受け入れられない。主治医から救急車を呼ぶよう言われたらしい。
大事になってきたぞ…焦る。
父と兄に「やらかした」などとLINEを送っていた。
これは誰にも言ってないけど、学生相談室でさらに薬を足した。
救急車到着。もう既に1時間ほど経っていて、日が暮れ出した。
救急隊員に肩を抱かれ救急車に乗り込む。
病院が見つからずそのまま大学で1時間ほど。
やっと病院が決まり。サイレンがなった。
仕方ない。と思いつつ。
こんな私が。気も失ってないし。
迷惑なやつだ。と思った。
(それならやるなよって笑)
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病院から帰ると地元から新幹線で駆けつけた父と合流した。
次の日には、父と一緒に実家に帰省した。
いわゆる強制帰還というやつ。
火曜日が通院日だったため、その日まで実家で休養した。授業も休んだ。
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今世紀最大にやらかした。
でもその後から私のことを心配してくれる人が増えた。増えたというかもともと心配はされてたか。声をかけてくれる人が増えた。
主治医も相当心配したみたい。
通院間隔が1週間に1回になった。
(夏休みを挟んで2週間に1回に戻ったけど)
そして病院のカウンセリングを受けるようになった。
そこでは自傷とトラウマの治療をしている。
心理士さんと相性がいい感じ。
(この辺は今後記事でかけるといいな)
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2年生は健康に過ごすはずだったんだけどな。
何を間違ったんだろう。
そして私はこう綴った。
もう少し自分勝手に生きようと思う。
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