盲目の棋士・石田検校

将棋をやっている人は「石田流」という戦法をご存じだと思います。
石田流は江戸時代(元禄期)の石田検校という人が創案したと言われています。
江戸時代、「検校」(けんぎょう)は盲人に与えられる最高の位でした。
将棋界にその名を残した石田さんは目が見えない人だったのですね。
ちなみに、「群書類従」(ぐんしょるいじゅう)を編纂したことで有名な国学者、塙 保己一(はなわ ほきいち)も検校でした。
さて、目が見えなくても将棋が出来るのか、と私のような凡人は疑問に思ってしまいます。
でも相当に将棋が強い人は、棋譜だけで頭の中に盤面を描いて戦うことができるようです。
「棋譜」とは将棋の内容を記録する方法です。
たとえば「先手7六歩」と言えば、
「先手が7六の位置に歩(という駒)を動かした」
という意味になります。
訓練をすると、この「棋譜」を読むだけで、頭の中に将棋の盤面を思い浮かべることができるようになるそうです。
さらにプロの棋士になると、対局後すぐの時点では、自分が指した将棋の手順をすべて暗記していて、必ず感想戦という反省会のようなことをします。
対局が終わったその場ですぐ駒を並べ直して、「ここでああすれば、こうなっていたかも」と討論するのです。
将棋のようなゲームでは何手も先まで相手の出方を予想して構想する能力が求められます。
プロのレベルになると、何通りもの長いシミュレーションをして頭の中に盤面をイメージする訓練をしているので、そういう能力が高度に発達しているのでしょう。
しかし、たとえそのようなプロ棋士であっても、盤面や持ち駒を目で確認できないと、かなり不便だと思われます。
いまの盤面を目で見て手がかりにしつつ、先を予測する方が、思考の労力はかなり少なくて済むはずだからです。
しかし目が見えなかった石田検校は、まったく目で確認することもなく、すべて頭の中だけで将棋をさしていたのでしょうから、その能力はやはり大したものだったと思います。
ちなみに江戸後期には石本検校という強い棋士もいたそうで、よく混同されますが石田検校とは別人です。
この「石田流」という戦法ですが、これがまたじつに天才的かつ独創的なものです。
まず将棋の戦法で個人の名前が冠されているようなものは、かなり少ない。
スタンダードなものでいうと「四間飛車」、「相矢倉」、「横歩取り」、「棒銀」といったものがほとんどで、人の名前が付けられた戦法はそれだけでかなり異彩をはなちます。
また、基本的な性格としては、実に攻撃の切れ味がするどい、すごみがある戦法です。
私のような下手の横好きにとって、石田流は一番恐ろしい戦法で、ひとつ対応を間違えるとあっという間にずたずたに自陣を切り崩されて負けてしまいます。
さらにこの戦法がすごいのは、300年たった現在でもプロのタイトル戦などで頻繁に使われているというところにあります。
過去に何度も「石田流はこれで封じ込める」という対策が考案されて、廃れてしまうこともありました。
しかし、そのたびに誰かが「いや、こうすれば石田流でまだいけるぞ」という手順を発見して、復活するということが繰り返されてきました。
そして、300年経った今も現役バリバリの戦法として活躍している。
いかにこの石田流の着眼が天才的で理にかなったものであったかと思わされます。
By MI
※こちらは過去にssブログ(2013-02-06 13:00)に掲載されていた記事です。再掲にあたり、一部修正致しました。