さようなら、また会えたね。赤いポット
「ごめん。割っちゃった」
ある日台所で、夫がしょんぼりと太い眉を下げた。
目で示したのは、私が独身時代から愛用していた「ニコアンド」の赤いポットだった。
洗い物の際、スープジャーをポットに落としてしまい、一部分が割れてしまったのだという。
派手に割れた訳ではないが、ふたの下の丸い部分が欠けていた。
「ここからどんどん割れていって、破片を口に入れてしまうと危ないから」
ものとの別れは、ときに突然だ。
きっかけはジブリ映画
私は物心ついた頃から赤いポットが好きだった。
スタジオジブリの映画の影響である。
「天空の城ラピュタ」のパズーの家、「耳をすませば」の雫の家には赤いやかんがある。
とりわけ好きなのが、「魔女の宅急便」に出てくるパン屋のおソノさんが、キキにコーヒーを淹れてくれるシーン。
背後にやはり赤いポットがあるのがお分かりだろうか。
おソノさんがそのポットでお湯を注ぐだけで、インスタントコーヒーがおいしそうに見えてくるのが未だに不思議だ。
私は立派なジブリ飯だと思っている。
台所に赤いものなんて風水的に良くない、と思うかもしれない。
しかしラピュタや魔女宅の世界に風水はないし、雫の家も多分お父さんお母さんは気にしていない。
2番目に好きなポットを買う
20代を過ぎ、妹と暮らしていた頃だっただろうか。
雑貨屋で眺めていたあるポットがあった。
ポットの値段は約4000円。
とてもポンと買う値段ではないし、当時はペーパードリップに目覚めておらず、もっぱらブレンディのインスタントコーヒーばかり飲んでいた。
妥協して買ったのが、2000円もしないニコアンドのポットだった。
ニコアンドのポットで楽しんできた飲み物は何だっただろう。
ルピシアの紅茶にルイボスティー、チャイ、ごぼう茶。思い出せないものもあるはずだ。
急須を買うまで、ずいぶんと和洋折衷な使い方を強いてきた。
つい最近まで、このポットにコーヒーミルで挽いたコーヒーをドリップして溜めておいたのに。
突然の引退ではあったが、10年以上使っていたし、仕方ない。
「今までありがとう」と胸に抱えてから、袋に入れて夫に処分を任せた。
思いがけない再会
夫が割った責任を取るため、新しいポットを買ってくれることになった。
まずは我が家ご用達のヨドバシカメラで探してみる。
赤いポットはほとんど見当たらない。
あってもフォルムが気に入らなかった。
それもそのはず、私の心は未だに、あの4000円の赤いポットを思い描く。
こういうときはAmazonである。
夫のPCを横から覗いていると、あのポットがあった。
私がかつて恋焦がれた、野田琺瑯の赤いポット。
「これがいい」。
むしろこれしか欲しくなかった。
ある水曜日、ポットは無事届いた。
艶のあるマットな赤、細口の注ぎ口、縦長のフォルム。
ニコアンドのポットも気に入っていたけれど、やはり本命は文句なしに全てが好きだと言える。
我が家では直火にかけず、あくまでコーヒーをドリップするときのみ使う。
最近飲んでいる、カルディのコーヒー「ノエル」も赤いパッケージだ。
20代の頃憧れたポットが今頃手に入るなんて、思ってもみなかった。
「おれもコーヒーがのみたいなあ」。
台所の傍らで言った6歳の息子にも、いつかこのポットでコーヒーを淹れて一緒に飲みたい。
※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。
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