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「これ、ホンマにおもろいんか?」問題
多分すべての創作者の悩み
「これ、ホンマにおもろいんか?」
これが分からなくなって
僕はブログを辞めては消してきた。
意気揚々とブログを始め、
いくつかの記事を書き続け、
ふと思う。
「これ、ホンマにおもろいんか?」
「これ、誰か楽しく読んでくれてんのか?」
大多数の人は、
有名人でもなければ、
何書いても皆が能動的に読んでくれるゾーンの人間ではない。
毎度毎度、反応があるわけでもない。
ただただ、ネットの海に文章を垂れ流す日々に疲れ
気づけば辞めてしまう。
そんな承認欲求と戦いながら
文章を書き続けるのは
並大抵の覚悟がないと出来ない。
「いやいや、これは日記だから」
「誰のためとかじゃなく自分のためだから」
「アクセス数とかフォロワーとかじゃねえから」
「いいね、スキ、とかに囚われるのは良くないよ」
もちろんそう。そうなんだよ。
頭では分かってるし、
何度も何度もそれを心に持ちながら書いてきた。
でも、消えない。
「誰かが読んでくれたらうれしい」という気持ち
「誰かが面白いと思ってくれたら」という気持ち
ものを作って出す以上は、
受け取り手がそこにいるわけで。
受け取ってもらえたかどうかすら分からないという
見えないゴールを走り続けるのは、
なかなか出来ないものだよ。
面と向かって話すなら
相手の反応が見えるし、
良かったのか悪かったのか分かる。
ただ、こういったネットの中では
受け取ってもらえたのか
面白かったのかあんまりだったのか
興味深かったのか癒やされたのか不快だったのか
それすら分からない。
だから人は
より承認欲求に囚われてしまい
沢山の反応や称賛を浴びている人を
羨んで、
「ああ、俺はもうダメだ」と辞めてしまう。
最近は、色んな人のnoteを読むようにしている。
みんな面白いし、興味深いし
笑ったり泣いたり悩んだり
それを記録している。
僕はこの世に「面白くない人」なんて
いないと思っている。
それが合う合わないは別問題として。
みんなそれぞれ、違う人生を生きているのだから。
でも、「面白い人」の条件として
「その人自身から出てきた言葉で話してるか」
ということは常々思っている。
人と言葉がリンクしているかどうか。
誰かの言葉をそのまま話していないか。
テクニックだけになっていないか。
言葉や話し方が少し苦手だったとしても
その人自身から出た言葉ってのは
すごく面白い。
それが「熱量」をともなっていたのならなおさら
好きなこと、ハマっているもの
今日嫌だったこと、すごく怒ったこと。
悲しかったこと。嬉しかったこと。
それが「人間」として生きてるってことだと思う。
つらつらとなにも解決しないまま
書き続けてしまったけど、
結論は
noteの中で、文章を書いている人たち
みんな面白いから
色んな感情をぶつけながら
気にせず書き続けような!
って事です。
自分に言い聞かせるように書きました。
フォロワーもアクセス数も
何にもない僕ですが
みんなが面白いってのは分かるよ。
自分の文章だけじゃなくて
色んな人の文章を読みに行って
自分の蓄えにしようと考えた日。
なんか真面目でありきたりな
これこそ面白くない文章書いちゃったので
人間臭いこの曲でお別れ。
ビューティフルに
生きて死ぬ為の僕らの人生。
そこに優劣なんかないよ。
また、明日ね。