もし砂漠でモンテッソーリをやるなら。
難民キャンプや刑務所で、モンテッソーリを実践する人がいる。教具はない。美しい部屋もない。ただ、できることが一つある。それは、こどもを本当に見ること。この「観察」こそ、モンテッソーリ教育のおへそだと思う。
今回は、モンテッソーリとマインドフルネスをかけ算した、私なりの「観察」について書いてみる。
大人の2つのタスク
こどもと関わるって、結局のところ何をしているのだろう。お世話をすること、話を聞くこと、遊び相手になること、見守ること。やることはいくらでもあるけれど、タスクは大きく2つの系統に分けられる。
① する
世話を焼いたり、一緒に遊んだり、口と手を出したりする。
② 見る
手も口も出さずに、距離をとってこどもを観察する。
大人は、「する」自分と「見る」自分のあいだで揺れながらバランスをとる。そして、「見る」自分がちゃんと活動していることが、こどもにとっても自分にとっても、けっこう大事だったりする。
観察の効能効果
ただ見るって、けっこう難しい。たぶんそれは、何かをしてあげる方が満足感があるから。けれど、一見なにもしない「観察」には、こんな効用がある。
① こどものことがよくわかる
② こどものニーズに合った環境を提供できる
③ 自分のイライラが減る
そして、自分がラクになる。自分がラクだと、こどもへの関わりが変わる。そしてこどもがよく育つ。
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ある晩、寝ない人を観察してみた
ある夏の夜。絵本を読み、電気を消して、ベッドに入る。と思ったら、当時3歳だった娘が、突然起き出して何やらガサゴソしている。とても眠かった私は「早く寝なよ!」と言いかける。が、思い直してひと呼吸し、様子を見てみる。
すると、シーツの端をベッドにぴったり合わせようと奮闘している姿が。片方が合うともう片方がずれて、それをもう一回ぴったり合わせて……を延々と繰り返す。そういえばこの人、タオルをたたむ時も折り紙を折る時も、端と端を「ぴったり」「きれいに!」するのにすごく熱心だったよなあと思い出す。
こだわりたいお年頃の様子。ごゆっくり。母は寝ます。
「手伝ってほしかったら教えてね」そう言い残してウトウトし始めるワタシ。
おそらく10分ほど経った頃、やっと満足した様子でベッドに入ってきて、あっという間に眠りに落ちる娘。この観察で私は、娘の秩序へのこだわりを再認識し、さらにはゆったりした気分で眠ることができた。
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観察の対象
観察って何を見るのかというと、基本はこのふたつ。
① こども
② 自分
もっと視野を広げたいときは、こどもと自分の関係、環境、さらには社会全体なんかも見てみると気づきが多い。
観察の大原則
手も口も出さない。
距離を取る。こどもと物理的に距離が取れないときは、少なくとも心理的に距離を取る。
自分を見るときは、ななめ後ろから見るようにするとやりやすい(と私は思う)。
ありのままを見る。判断しない。
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観察の具体的な手順
私は人に依存されることがとても苦手で、娘の甘え行動にしょっちゅうイライラ……。そんな折に実践した観察を例にとって、観察の手順を見ていきます。
① こどもの行動をただ見る
数分おきに抱っこを求めてくる。自分でできることも「まきちゃん、やってー」と、母にやってもらおうとする。
② 自分の反応を見る
ため息。娘を振り払いたい衝動。「あっち行け!」「自分でやれ!」と言いたくなる。
③ 自分のニーズや信念をさぐる
自分の時間がもっとほしい。自分のスペースを守りたい。人間たるもの自立すべき!
④ こどものニーズをさぐる
娘の立場に立ってみると、彼女の声が聞こえてきた「だってまきちゃん好きなんだもんー。」
そうか、大好きな人ともっと一緒にいたいのね。そして甘えたい、安心したい。
⑤ あらためて自分を見る
自分の中にもそういう部分、あるな。ただ、人に甘えたいニーズは私よりも娘の方が高い。このニーズをもっと満たしてあげた方がいいんだろうな。
⑥ 自分の対応や環境を変える
好きあらば娘をハグして、好きなだけ甘えさせることにした。抱っこは腰にくるので、ソファを抱っこスポットに指定。「できる」が「やりたい」にならないときは、それをただ認めることに。
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おわりに:続けること
今回まとめてみて、あらためて観察ってすごいツールだなと感じました。自分と子育てを変えるチカラが、ここにある。続けたら、こどもと自分にじわじわと深い変化が起こりそうです。
私自身もまだ観察をサボりがちなので、これを習慣化して、こどものいる生活をもっと楽しもうと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。あなたのお子さんとの関係が、ほんの少し豊かになりますように。