(短編ふう)見習い悪魔 と 落第キューピッド
「何をしているの?」
見習い悪魔は、野原に向いた庭でなにやら作業している司書ドロイドを見つけ、窓から首を出して尋ねた。
「虫干しです。本が劣化しないように、陽に当てて、風を通して、湿気やカビから守っているのです。」
芝の上に広々と広げた真っ白な綿のシーツの上に、本を広げていく。
置いた傍から、やわらかい風がパラパラとページをめくるが気にしない。
見習い悪魔は、窓の桟をよじ登って、庭の側へ飛び出た。
近寄れば、からりとした秋の陽と本たちの乾いた紙の匂いが鼻の先で混ざった。
なんだか幸福だ。
「52番書庫の殺菌消毒装置が故障していたのです。」
近頃、図書室は、故障が目立つ。
それにしても、今日は死神もうたた寝しそうな良い天気だ。
庭の先は、緩やかな上り坂の野原が地平まで広がっている。地平の向こうから秋空が立ち上がり、左から右へ、大きな雲が千切れ雲も誘って流れている。
仲間からはぐれたような一本のナラの木が見える。葉がワサワサと風に裏返る音が、ここまで聞こえてきそうだ。
木陰のひと休みはどんなに気持ちいいだろう。
「キューピッドたちのようですね。」
後ろから、手を休めた司書ドロイドが言った。
しかし、見習い悪魔には、ひとりは確かにキューピッドのようにみえたが、もうひとりはとてもそうはみえなかった。美しく均整のとれた身体の青年だ。体格に比し、少し翼は小ぶりに見えた。
腰に布を巻いただけの半裸は、美しいが、近くで見たら、きっと気恥ずかしいだろう。
幼馴染の見習い魔女が言っていた通りかもしれない。
「キューピッド学校に編入!? いつもすっぽんぽんの露出狂の仲間になりたいの? クレイジー!」
確かに、いつも裸だもんな。
司書ドロイドの聴覚センサーは、木陰で寛いで見えるキューピッドたちの会話を拾うことができる。
「そんな落ち込むなよ。」
腰巻の青年の方が言っている。
「落ち込むよ。また落第だ。」
キューピッドは、美しく引き締まった筋肉をした、長い手足の友人を見上げる。
うらやましい。
試験の記憶が繰り返し蘇る。
コーヒーカップに口つける時、彼の下唇はカップのふちを一足先に迎えるようにちょっと前に出た。
ただそれだけで彼女の情熱は、一瞬に冷めてしまった。
それまでのうっとりとした微笑みが、にわかに色褪せた無表情な仮面に代わった。
採点用のタブレットを手にした試験官ドロイドの横で、弓がゆっくり手から離れて落ちるのを感じた。
彼の弓は、普段、10のうち1矢も当たらない。
しかし、今回は、街路樹の枝にチップしたものの、スタ〇のテラス席で友達と談笑していた彼女の胸に命中した。
チップイン、あり?
冷や汗したが、試験官ドロイドは何も言われなかった。
注文をとりに来たUber 〇▽の青年と目が合って、矢の刺さった彼女はそのまま恋をした。青年は、わけもわからず、ラッキーな予感に胸が高鳴った。
もしかするともしかするかもしれないぞ。
キューピッドも、期待に鼓動が早まった。
何か手違いがあったらしい。
彼が取りに来た注文は、いつのまにかキャンセルされていたようだ。
無駄足だ。
しかし、むしろラッキー。彼は、店がお詫びにくれたコーヒーをもって、彼女の視界に入る空いた席に腰を降ろした。
何気なく彼女に視線を送る。
ふたりの視線が交わった。
これはもう成立である。どこからか桃色の甘い粒子が集まってきて二人の間の空気をつないだ。
なんと言って声をかけようか?
その前にひとくち。
コーヒーの香りに、青年の下唇が少し前に出た。
そこで、カエル化現象。
あんなのイヤ。
彼女の胸に刺さっていた矢が、ほのかな光の粒子になって霧散した。
「霊力不足ですね。」
同情を帯びたドロイドの音声が告げた。
むろん本人たちの最初の“縁”もある。
だから、キューピッドは、元来の“縁”の強さを見抜く眼も鍛えなければならない。
その上で、つがえる矢の精度と霊力を高めなければならない。
当たらなければそもそもはじまらないし、霊力が低ければ、ふたりの恋は短く終わる。ひと夏で終わったり、早々の離婚となったり。逆に、霊力が高ければ、ふたりは、死ぬまで添い遂げたり、婚姻のいかならる制度にもかかわらず、思い合う関係で死ぬまで、つながりつづける。
「慰めるなら、まず、その姿やめてくれよ。」
「ああ。ごめん。ごめん。」
エロスは、霊力を解いて、キューピッドの姿になった。
キューピッドは霊力を高めると、エロスの姿にもなれるのだ。霊力で自在にどちらも選択できるようになる。
「キューピッド止めて、悪魔、目指そうかな。。」
さっきから、悪魔学校の庭で、なにやらドロイドの作業にくっついて回っている見習悪魔の様子が眼に入っている。
何してるんだろう?
「なんで?」
キューピッド姿となって、同じ目線になった友人が尋ねる。
「悪魔は“縁”を気にしないだろ? 誰かれ気にせず不幸にしていいんだ。」
「17回試験に落ちたくらいで、自棄になるなよ。不幸にするのが、気分のいいはずがない。」
なめらかな秋風がふたりを洗い、ナラの葉をサワサワと鳴らす。
「そんなこと言っちゃだめだよ。」
「……、うん。知ってる。」
「それに、あいつら、いつも黒い服着てない? 真夏は、相当、日光吸うよ? クレイジーだよ。」
それもそうか、と落第キューピッドは思う。
司書ドロイドが、微笑したように見えた。
「何? どうしたの?」
「いえ。なんでもありません。」
「教えてよ。」
「そうですね。では、ひとつ。ギリシア神話とローマ神話は、別の物でありながら、とても似通っているところがあります。キューピッドとエロスは共に、矢を持った“愛の神”として描かれています。でも、知っていますか? キリスト教絵画には度々、愛らしい幼い天使ふうの幼児が描かれていますが、あれはキューピッドではありません。よく似ていますが、プッティと言って、キューピッドともエロスとも全く関係ありません。キリスト教ですから、関係ないのは当たり前ですが、実は、キリスト教の教義とも無縁です。芸術上の装飾的象徴にすぎないんです。」
ドロイドは手の平の上に、空中ディスプレイを広げて、キリスト教の宗教絵画を写してくれた。
キューピッドにそっくりだ。
ひとは、教義に関係ないプッティをなぜ必要とするのだろう?
“愛の神”の“愛”ってなに?
見習い悪魔は、まだまだ、知らないことが多い。
―了―
見習い悪魔が登場する記事は他にもあります。
こちらです(5編)。↓
どうぞお時間のある時、併せてお読み頂けれるとうれしいです。