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吉原遊女の心情についても、考えてみてほしい


やっほー、瑠奈です。


わたくし、現在25歳。
昨年の3月に大学院を修了しておりまして、
大学院では「江戸時代における吉原遊女の心中」を研究しておりました‼️

そしてわたくし、大河ドラマ「べらぼう」について、最近めちゃくちゃポストをしておりまして。


その中でも、皆さんが割と反応してくださったポストがあるので。

今回は「大学院で吉原遊女の心中」を研究していた私なりの「吉原遊女に対する私の考え」を書いていこうと思います。

@hahalunamaster

ちなみにこのポスト。

「べらぼう」に対するポストを見る中で思ったことを率直に呟いたのですが。


皆さん、割と「吉原遊廓」に対して、
「女性を物のように扱って‼️」
「遊女に人権はなかった‼️」
「こんな悲惨で、劣悪な環境はありえない‼️」
と仰います。


私も「江戸時代における吉原遊女の心中」を研究する前までは、そう思っていました。


吉原遊廓とは、なんという悪所場だと。


でもね、それって現代を生きる私の視点でしか無いんですよね。



何回も言いますけど。笑
私は、遊女の心中を研究対象とし、
その中でも「吉原遊女から見る心中の実態」「吉原遊女から見る心中理由」について、研究をしていました。


私が研究していたことって
史実ベースではあるんですけど、
主に「遊女の心情」ベースなわけです。


心中理由なんて、気持ちでしかないですからね。



でも、そんな遊女がその時どう思ったのか、なんで心中しようと思ったのかなんて過去の文献や史料には載ってないんですよ。だから、当時の判決文を掘り起こして、心中経緯を見ていくわけですけど。



そんな風に心中を研究をしていく中で、
当時大学院生の私は、遊女の心中に対してこう考えていたんです。


「江戸時代であっても、命はみんなに平等に与えられていて、命の重みも平等であるから、不変的なもので、愛を示した」



心中に対して、こうやって考えていたんですね。


それを主査の先生に言ったら、


「瑠奈さん、それは違うよ。
江戸時代は士農工商えたひにんがあって、人権がない人が当たり前にいた。切り捨て御免だってあった。果たして、それは命の重さが平等だと言えるかな?それはあくまで、現代を生きる私たちの視点だよね。そこまで考えて、心中を研究しなさい。」



これを言われた時は、胸を突き抜かれたように痺れましたね。


ああ、現代を生きる私の視点でしか見れていなかったなと。



そこから考え方がガラッと変わりました。



大前提、吉原は幼い頃に売られてきた女性が春を鬻ぎ、過酷な労働環境で、物同然として扱われる。吉原から出ることも出来ず、自由もない。最低、最悪、劣悪な環境です。二度と繰り返してはいけない歴史です。

この前提があるのは間違えないで欲しい。



だけど、そこで生き抜いていた遊女は、ただの可哀想な女性たちとして一括していいのかと。決めつけていいのかと。


遊女は厳しい処遇を受けていて、自殺した遊女もいる。だけど、研究をしていく中で、そこから一歩先に進むには、遊女の心情まで考えた方がいいのではないかと思いました。


吉原の遊女は、どんな殿方と恋愛をしていたのか。振られた時はどんな気持ちだったのかな。

なんで心中しようと思ったのかな。
死んでもいいと決意するほど、
大好きだと思える人に出会えたってことかな。


そんな恋バナを他の遊女たちとしていたのかな。



浮世絵のモデルにもなって、有名人気分を本当に味わっていたのかな。

他の遊女たちと客の悪口で盛り上がったりしたのかな。

客を翻弄して、好きな男には翻弄され、泣いて笑って生き抜いていたのかな。

どんな風に励ましあっていたのかな。

他の遊女が泣いて落ち込んでいる時は、抱きしめ合ったりしたのかな。

喜ぶ時はみんなで一緒かな。


とか例を挙げたらキリがありませんが。


遊女たちが「今を生きている感じがするぜ」「幸せ」と思えた瞬間が少しでもあったなら、私はそれを否定したくない。


心中について研究をして、
そう思うようになりました。



そして、そこまで考えることが、
遊女に対するリスペクトであり手向けだと。



江戸時代の文化を作り上げた吉原遊廓、
それを支えた遊女たちなくして、
今日の日本はありません。


それは遊廓だけでなく、歴史すべてに共通するものです。

先人がここまで作り上げてくれたお陰で、今があるのです。



それをただただ否定することは、私はしたくない。吉原遊廓を現代の視点で見て「残酷だ、無惨だ」と決めつけるのではなく、不幸で可哀想な人として括るのではなく、吉原という、言葉で言い表すことができない劣悪な環境を生き抜いた遊女の心情まで少し想像してみることこそ、真の「吉原遊廓を考える」だと個人的に思っています。



私はこれをずっと伝えたくて、
これまで私が研究してきたことをnoteで散々書き散らかしておりました。。。


このnoteを読んでくださった方から
是非、吉原遊女の心に焦点を当て、吉原遊廓を考えていただけたら有難いです。


何度もいいますが、吉原遊廓という遊廓制度を肯定しているわけではありません。
自殺している遊女もいますし、決して肯定しているわけではありません。上記にある大前提を忘れないでほしいです。


ここまで読んでくださりありがとうございました。


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母がバツ2の女子大学院生。瑠奈
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