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税理士になる前は、『マンガ家』を本気で目指していた話。
ある日、中学時代の友人からこんなLINEが来ました。
『ルックバックって映画、観た?』
『カンタロウ、小学生の時めっちゃマンガ書いてたじゃん?心に刺さる何かがあると思うから、ぜひ観てみて!』と・・・
そうなんです。
実は私は、かつて朝起きてから寝るまで、ひたすらにマンガや絵を書き続けていた時期があったのです。
映画『ルックバック』は、漫画『チェンソーマン』の作者・藤本タツキ先生の短編作品で、マンガを書くのが大好きな二人の少女の物語であり、映画としての評判が良いことは耳にはしていたものの、なんとなく視聴していませんでした。
1時間でサクッと見れる映画だということで、期待半分、そんなに面白いのか?と疑い半分で、映画『ルックバック』をAmazonプライムで観てみました。
マジで心に刺さりました。
いや〜これ・・・
小さい頃に本気でマンガや絵を書いたことがある人なら、必ず心を震わせられる映画だと思います。
1時間という短い上映時間の3分の1くらいは、主人公の少女がただ「マンガを書いてる背中」のシーンが描かれています。
私はそのひたすらにマンガを書いてる背中が、マンガを書くことが好きで好きでたまらなかった、少年時代の自分と重なってしまい、自然と涙が溢れてきました。
本当に寝る間も惜しんで、何時間でもマンガを書き続けていた熱い気持ちがかつて自分の中にあったことを、この映画を見て30年ぶりに思い出したのです。
もしマンガを書いたことがない人でも、人生で一度でも何かに一生懸命打ち込んだ経験がある人なら、きっと感動して頂けるのではないでしょうか。
しかしそんなマンガが大好きだった私も、高校生になるとマンガを書くことをやめてしまいました。
なぜ私はあんなに夢中になっていたマンガを書くことをやめてしまったのか? 改めて考えてみました。
マンガ家への夢のはじまり。
私の父はマンガが大好きでした。
特に手塚治虫が大好きで、家には『火の鳥』や『ブッダ』などの様々な手塚作品が全巻常備されていました。
そんなマンガ好きの父に影響され、私もドラえもんやドラゴンボールなど、ありとあらゆるマンガを読みあさっては空想にふけり、自然とその絵を真似して書くようになりました。
小学生の頃は絵が上手いと、学校の皆が「わぁ~!カンタロウ絵が上手い!もっと書いて!」と褒めてくれ、当時デブのエリート階級だった私でもみんなの人気者でいれました。
私が書いた四コマは学級新聞に載ったり、ノートに書き溜めたマンガは同級生や妹などの固定読者がいて、『カンタロウ!次の話はいつ?!』と心待ちにしてくれていました。
私は自分のマンガを読んでくれる、身近な読者の喜ぶ顔が見たくて、ただひたすらにマンガと向き合いました。
絵が上手くなるために水彩画教室に通ったり、マンガの書き方の本を買ってマンガの基本を必死に学びました。
そして私はいつしか『将来はマンガ家になる!』と夢を持つようになり、その夢に向かって本当に寝る間を惜しんでマンガを書き続けました。
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読者が止まったら、ペンも止まった。
なぜ高校生になって、私はマンガを書くのをやめてしまったのか・・・。
映画『ルックバック』を観て、改めて冷静になって考えてみました。
というのも、自分がマンガを書くことをやめた明確な理由や、印象的な出来事が思い出せなかったからです。
しかし大人になった今になって思えばですが、その理由は恐らく『読者がいなくなったから。』なのかなぁと思いました。
今まで私のマンガを楽しみにしてくれていた読者たちは、高校生になると私のマンガよりも楽しいことを見つけ、私が書いたものを誰かに見せる機会、誰かが喜んでくれる機会は失われていきました。
それとともに私の中の、マンガを書くことに全てを捧げる、というバイタリティーも知らぬ間に失われていきました。
今日現在のようにSNSで個人が手軽に自分のマンガを発表できる環境だったら、自分のマンガを見せる機会を求めて書き続けていたのかもしれません。
しかし、当時マンガを本気で続けるには、出版社に自分のマンガの原稿を持って売り込みにいかないといけなかったのです。
高校生だった私には、そこまでやる勇気も知識も熱量も、無かったのかも知れません。
『自分のマンガを楽しみにしてくれる人がいる。』
それこそが私がマンガを書くための原動力だったのに、私のマンガを見て、喜んでくれる人がいなくなってしまった、だから私はマンガを書くのをやめてしまったんだろうなぁ、と。
少しノスタルジックな気持ちとともに、自分の中でそう結論付けたのです。
「自分にしかできないこと」を求めて。
そう考えると、どんな仕事も『喜んでくれる人』がいないと続けられないのではないかと感じました。
つまり、「自分の存在に意味がある」と思えるからこそ、全ての仕事は続けられるような気がしました。
私の税理士という仕事は、人に喜んで頂ける仕事でもあります。
企業の決算、個人の確定申告や相続手続などの仕事をお手伝いさせて頂くと、お客さまから終わった後に非常に感謝されますし、やりがいも感じられます。
実際私自身、感謝されることがモチベーションにもなり、今までこの仕事を続けられていると思います。
しかしこの税理士という仕事は『自分にしかできない仕事か?』と聞かれると、私個人の個性を抜きにすれば、税理士という仕事は他の税理士さんでもできる仕事ではあります。
最近、ちょっとその『自分にしかできないこと』に興味が湧いている自分がいます。
自分にしかできない、もっと夢中になれて、人に喜んでもらえる活動が他にもあるんじゃないかなと。
映画『ルックバック』を観て、ただひたすらに大好きなマンガを書いていた自分を思い出したせいか、その気持ちがより強くなった気がします。
現在、私は41歳。
『心と身体が元気なうちに、自分の好きなことがやりたい』と考えているわけですが、今このタイミングで『ルックバック』を観たと言うのも何かの縁を感じている自分がいます。
『自分にしか描けないマンガ』、もう一度挑戦してみようかな・・・
後書き
これは小さい頃マンガを書いていた人あるあるだと思うのですが、当時マンガを書いていた私にも、同級生に意識せざるを得ない、絵の上手な「ライバル」がいました。
ライバルに絶対絵で負けたくない、絶対みんなを笑わせたい、面白いって言わせたい、そのために誰も見てないところで、孤独なアスリートのようにひたすら努力しました。
今思えば、ライバルの存在があったからこそマンガを書き続けられていた部分もあったと思うので、ライバルの存在って大事だなと思いました。
彼は今何してるかな?
まだ絵を書いているのかな・・・
いつか『ルックバック』の感想を、二人で語り合えたら楽しいのに・・・