眞子内親王殿下のCPTSD(複雑性PTSD)について
眞子内親王殿下のCPTSD(複雑性PTSD)について
更新20211011
01
この判断を下した(もしくはこの発表をするように差し向けた者)は『発表した時点』で根本的な間違いを犯している。
どうにもヤケクソパニックが“中の人”で発生しているようにしか思えない。
『ここまで大騒ぎになったのはお前ら(国民、マスコミ)のせいじゃあ~~~、こうなったら死なばもろともじゃあ~~~~』→『発表』
…このパターンにまんまと引っ掛かったのが津田大介氏である。
脇から眺めるだけの傍観者はそつがない。
自分の物語の隙間に社会をねじ込むのは、その人の魂に寄り添う作業ではない。
覚悟は必要ないからだ。口が達者で語彙が豊富なら可能な作業でしかない。
まず明確なこと:『CPTSDである』と『発表すること』が根本的な間違い。
これは、むしろ間違い等というなまやさしいものではない。
『発表完了』時点で、黒い意志を感じるくらいの認識を持つべきだ。
皇室スキャンダル事案としてお気楽な視点に安住するのも自由だが、もし自分が虐待被害者で、まわりが『コイツは虐待被害者だー』と自分自身を指差して騒いだらどうなる?
こんな明快な不合理を想像出来ない愚か者が大挙してる、ということだ。
02
『公表しちまった ☠️ 』という時点で、すでに
国体棄損の危機が具体化している。
それが光の側の示唆か、それとも闇の罠か、その峻別は油断ならない。
皇室の存在は日本人のメンタルヘルスケアの根幹を成している。
空気がなければ生きていけないが、誰も『空気があること』に感謝はしない。
その空気にあたるものが皇室である。
空気=何もない、のではない。
空気は、生命存在の根源を支えるもの。
これは言霊を貶める観念遊戯を防ぐ楔。
その尊さを言葉にしようがない、というものだ。
連面と続く国家平安大乗利他の祈りにより、民人のメンタルヘルス未病を自然と予防してきた根源がある。
理屈観念で論を張ろうとも、釈尊の手の中から出ることが出来ない孫悟空のように、神聖なる霊的存在精神性を意識出来ない人間には犯すことが出来ない厳然たる存在がある。
『利他一切衆生平安の祷りを侵し、穢す輩』の出現。
皇室の不穏と毒親の増加。
生きながらにして地獄の餓鬼畜生なみの毒親が引きも切らないのは、全ては因果のからみで、犯してはならない部分を犯す者が増えてきた兆候の連鎖とみると腑に落ちる。
03
『これが皇室スキャンダルなのさ』などと嘯く大脳質量の軽そうな外野のセリフはすべて焼き払うべきだ。
彼らは『人はいかに生きるべきか』の問いに向き合っていない。
それ(向き合うこと)が義務強制ではないところに言論の自由があり、
それ(向き合うこと)が義務強制ではないところに言論の腐敗がある。
これは周知の事実。腐敗したものは、除去しなければ健康に害を及ぼす。
虐待毒親が間違いを指摘され逆ギレして起こす大騒ぎが、珍しくなくなってきていることと、殿下のCPTSDネタで盛り上がろうとするその下衆さ加減は同じものだ。
この腐敗毒は、心を疲弊させる。
この毒の害は『100万の言葉を並べても、苦しむ側に希望の光を与えることに無関心』を維持する所にある。
この毒は、治療を阻害する時間のムダの量産にひたすら貢献する。
毒親虐待防止の問題が現在認知されるようになるまで長い時間がかかってきたが、その経過は『親が“そんなこと”をするはずがない』という無知偏見を解消できずにいたからである。
その理由を観念遊戯の腐敗毒に関連付けるとわかりやすい。
殿下のCPTSDを『平気で公開する』ような所に、それが窺える。
『公開してもいい』と考える人間_苦しむ人間への共感的理解力の無い人間がいる。
04
彼ら(治療に関心なく自分の言いたい事だけを言う輩)がいる、ということは、
『許せない』
という事ではない。
『許せない人間』『いくらいっても話が通じない人間』はいて当たり前である。
そんな輩全てに論を張らねばならないと考えているのなら、それは単なる観念遊戯論者の戯言と同義になる。
CPTSDは、緊急措置が間に合わなければすぐ死が直面するような病ではないから、苦しんでいる人間の魂に寄り添う覚悟のない人間がすぐ湧く。
『反論威圧禁止抑圧前提による人格否定暴言が毎日欠かさず10~20年以上は余裕で続く事』
このような心理的永続的殺人状態が続くのが虐待である。
筆者は症状を抑えるために催眠療法を4年間、月4回の割合で継続した。
苦しむ人の魂に寄り添う覚悟の無い人間にはわからない。
CPTSDは、適応障害、抑鬱状態、愛着障害、解離性人格障害、半社会性向、犯罪性志向の合わせ技である。永続的な虐待で破綻した家庭内力道を甘くみてはいけない。
外面と内面の病的なまでのギャップの存在など感度の高い人間なら、心理療法の理論に素人でもすぐ気付く。
プロの臨床家に対応を求める時ですらファーストオピニオン、セカンドオピニオンが推奨されるくらいの深刻な事案である。
対面面接してない状態で結論など出せる訳がない。
05
CPTSDは社会に出た後で適応出来ずに、長い間、貧困に苦しみ続ける。
CPTSDの潜在化した最も難治を極める症状は『自分で自分の将来を具体的に考えられなくなること』。何故?という問いがあるならまず調べよう。
その工程すらしない人間に、この議題に加わる資格は微塵も無い。
熾烈な虐待ストレスにさらされて生きて行くには、ストレスによる魂への直撃を防ぐために、魂(自分の中心)とのアクセスを遮断して強固な仮面で自分を防御するしかなくなる。
人は生きるためなら、いくらでも自分に嘘をつき通すことが出来る。これが仮面の維持。
ここで破局的な事態に直面すると解離性人格障害が起きる。
この仮面は臨床家ですら見抜くのは困難だ。
ましてや、やんごとないご出身と、闇をまとった平民で、背後に何が控えているかも不明なチャラ男氏である。
仮面により、自分の根幹とのアクセスは切られたままなので、常時判断エラーが出続ける。
長い年月の間に容認しがたいレベルに到達する。ここで然るべき時に、
『自分で自分の将来を考えられなくなる』という遅延信管付爆弾が起爆する。
その具体的対処方は、社会に適応出来ない虐待サバイバーの救済、という課題で、未だ開拓中の分野である。CPTSD対応においては魂に向き合う覚悟の無い言葉は無能である。
心理療法理論のカタパルトの先にその展望の構築が急がれる。
皇室への尊崇があるなら、分析は、慎んで申し上げます、程度に押さえて、優しく展望を見据えた方がよい。
苦しんでいる人間が社会的に有名なら、まともな感覚からみても許せないとおぼしき輩のその数は激増する。
彼らは時事ネタで好きな事を言いたいだけであり、魂の欲するメッセージを見極めることよりも、容易に媚び諂いを優先する。言論の自由とはまことにおめでたい。
そのような人間をサンプリングして予防的に回避するフィールドとしてTwitterは有効だ。
臨床家が『相手の分析よりも自分の身の安全』を考えるに至っても致し方がない案件であり、まともな分析を歪ませるバイアスなぞいくらでもかかってくるような特殊案件である。
これは、CPTSDかもしれないしCPTSDではないかもしれない。
『CPTSDか否か』の二択で終わりにして良い案件ではないが、二択判断で終了とする分析の不全感は明記しておくべきだろう。
筆者は正規の医療従事者ではなくCPTSD体験寛解者。
職業として安定した医療従事者視点ははなから無縁であり、体験に基づいた実際のCPTSD現場水面下(被害者)視点から分析を進めることが出来る。
現在の症状まで緩和するまでに、およそ40年以上かかったことを、虐待CPTSD経験者後遺症復旧体験としてここに明記しておく。
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