コア人材が育つ環境を作る~業績責任と任せるバランスに悩む!その①~
事業をはじめて結果が出始めて、人が増えてくると組織成長的な課題にぶつかる事が多いですね。自分も過去に何回かそういった経験があります。よく30人の壁、100人の壁、300人の壁とか言われますね。現状私の会社は170名ほどなので、次は300人の壁でしょうか。特に業績責任と人の成長機会の創出については相反する場面も多いのでよく悩みました。その人に任せきった方がよい経験になるとは思うものの、結果が不安で自分で手を出してしまい、結果的にその人材の成長機会を奪ってしまうような事ですね。
会社はじめて、最初の10年くらいはバブル崩壊後の時代や私の力不足もあり社員数は10名から10数名くらいで推移していました。そしてインターネットバブルなどのきっかけを得て、私の会社も社員数が10数名から50~60名まで拡大しました。これは事業がうまく言ったから拡大出来たのか、組織拡大がうまくいったから事業が軌道に乗ったのか、今思えば両面あったのだと思います。事業的なチャンスがあっても組織拡大がうまくいかないと結果的に事業の成長にブレーキがかかってしまう事もありますね。
私自身のマネージメント経験で言えば、前職のリクルート時代に20代でマネージャーになった事が大きいですね。私が就任した横浜の営業所は当時、その事業部で全国にあった営業所の中では最も規模が大きくて、営業が12~13名、制作マンが5~6名、進行スタッフが3名くらいで、庶務(事務職)も2名いました。総勢25名くらいでしょうか。他の営業所は、だいたい所長1名に営業マンが5~6名くらいのところが多かったので、新任マネージャーが任される規模としては珍しかったと思います。私自身が横浜出身で、その営業所でアルバイトから始めて、→正社員→リーダークラスみたいな感じで上がって来たので、そのままそこを任せてくれたんだと思います。10名以下の人数の営業所だと、実質営業所長がトップ営業で、みんなを引っ張るという感じになる場合が多いのですが、私の場合は下にリーダークラスの人材がいて、また営業だけでなく制作や管理部門のリーダーもいたし、横浜支社の他事業部門との連携もあったので、最初から現場の営業はほとんどしませんでした。私一人が営業として頑張っても、営業所の目標を達成できる規模ではないので、初めからメンバーマネジメントに集中する感じになりましたね。
当時ちょうどリクルート事件の真っただ中で、横浜に私より偉い責任者がいない時に、右翼の人がなんか申し渡し状みたいのを持って乗り込んできて、私が対応する事になり、怖がりながら受け取った記憶があります。現代の課長職がプレーヤー兼務前提の方が多い事を考えると、今では部長職レベルの役割りだと思うのですが、そこを新任マネージャーで、最初に経験出来たのはよい経験だったと思います。当時のリクルートは結構大胆で、1週間前に君は来週からマネージャーになるよと言われ。で、翌週には前任のマネージャーはいなくなり、突然マネージャー業務が始まる。解らないまま、みんなに判断を迫られ、なんとかやっていって、後からちょっとずつマネージャー研修で学びました。そんな中でも、リーダークラスのメンバーの一人ひとりを理解する事や、ちゃんとした信頼関係を構築する事を一番大切にしていたと思います。彼らとは同じ営業所で、ちょっと私が先輩という感じで一緒に成長してきた仲間でした。彼らは営業マンとしてはある意味私より優秀と感じでいて、業績結果も私よりよかったと思います。一方私は、チーム運営とか広告企画とかが得意で、年齢がちょっと上だった事もあり、そういったテーマではよく彼らから相談されていて兄貴分みたいな感じでしたね。仕事的に全部私が勝っているという感じでなく、それぞれに得意分野があって、でもなんとなく私がリーダーみたいな雰囲気にマネージャーになる前からなっていました。マネージャーになった後は、そういった意味で自然に彼らに任せられたのがよかった思います。またマネージャーになった時に、同期でまだマネージャーになってない親友に、萩原はマネージャーだからとかじゃなくて、今までどおり同じようにちゃんとメンバーと接すればよいんだよ!と言われたのも、変に力の入らなかったきっかけになりました。チームに分けて、運営していたので、彼らがそれぞれチーム会とか開いてメンバーをマネージメントしていました。時折彼らからマネージメント上の相談を受けたり、個別のメンバーとは必要に応じて彼らの了解をとった上で飲みに行って深いコミュニケーションをとったりしていました。そして、その営業所の責任者を2年ほど勤め、規模も大きくなってメンバーもたぶん30数名になり、売上も毎年30%くらい伸びていて20億くらいになっていたと思います。当時PL計画も作成しており、営業利益率20%は超えていたと思うので、今のマザーズ基準で言えば上場できる業績ですね。まあこれも当時のバブルの時代性とリクルートの強い商品力とリクルート特有の人材の力だと思います。そろそろ一つの営業所としての規模として限界ではという感じになり、内示的に二つの営業所にわかれるという話があり、その最後の四半期に目標が大きくなりすぎて、達成が難しそうな中で、最終週に奇跡的な売上を上げて、達成したのがよい意味で自分の成功体験になっています。特に最終日に、みんなの頑張りについていけない、ちょっとしゅんとしているアルバイトの若い営業マンがいて、彼のリーダーが彼に機会を作ってあげようとして、インバウンド営業案件を彼に渡して、その彼が受注したのが最後の達成になり、帰ってくる彼をみんなで迎えて、彼が泣きながら喜んでいた時にみんなの達成感が最高になりましたね。このプロセスでも、リーダークラスの人たちが、業績を作りみんなを引っ張っていってくれたと思います。私は最後まで達成するという旗を降ろさず見守っていました。
(次回に続く)
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