もし
大きな檻の中いっぱいに詰められたビキニ姿の女の子達。
私と同じ歳くらいか、もう少し若い子もいる。
激しいビートの洋楽が鳴り響く中、そんな彼女を舐め回すように見て、品定めをする観光客。
女の子の着る水着には、番号札が付けられており、男性客は気に入った番号をスタッフに伝える。
番号を呼ばれれば、知らない人と一夜を共にすることになるし、呼ばれなければポツンと檻の中に取り残されてしまう。
ここは、タイ バンコクのゴーゴーバー。
2年前、シンガポール・マレーシア・タイ・ラオスを巡る大学のプログラムに参加した。
プログラム半ば、引率の教授が、
「良い経験になるから、ゴーゴーバーへ見学に行っても良いよ」と告げた。
ゴーゴーバーとは、ガールズバーと風俗が一体化したような場所である。
日本の風俗とは違い、本番行為もOKとされているため、一種の観光スポットにもなっているのである。
班のみんなでゴーゴーバーへ行ってみようという話になったが、私は不安や恐怖が先行しあまり乗り気ではなかった。
それを見かねた班員が、
「女の子もプロとして働いているし、やりたくてやってるんだから、そんな顔をして入るのは失礼だよ」と注意をした。
確かにそうかもしれない。
ちゃんと尊敬の気持ちを持って入るべきだ。
そう気持ちを切り替え、バーの中へ入るとそこは想像を遥かに超えた空間だった。
檻の中で音楽に合わせて踊るほぼ裸の女の子達の目はとても暗く、「ここで働くしかない」という心の声が聞こえてくるようだった。
入る前に言われたことは真実なのか?
本当に彼女達は、望んでこの場にいるのだろうか?
私には、とてもそんな風には見えなかった。
タイの貧困問題は深刻である。
性風俗の仕事は、莫大な給料を得ることができる。
日本の一般業と風俗業の給与差とは比べ物にならない。
未成年の女性達の多くは、実の親や親戚が斡旋業者を通して風俗店に子供を売っているのである。
生きていくために、貧困層や農村の親は子供を売るのである。
そして彼女達は、家族を養い生きていくために、風俗業界で働くのだ。
もし、私も彼女達のようなタイの貧困層に生まれていたとしたら。
もし、彼女達が私と同じような貧困とは無縁の環境で育っていたとしたら。
そう想像した私は、ショーの最中涙が止まらなくなってしまった。
世界には、どうしようも出来ないことがある。
それを目の前に突きつけられたのだった。
自分の無力さや限界を知っている人は、無敵だと思い込む人よりも強い。
私は、自分の定められた人生を、自分らしく、懸命に生きよう。
そうすることしか、私に出来ることはないのだから。