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わたしはきっと『血』に飢えている

前回の続き。

すべてを燃やし尽くしてくれればいいのに。

でなんとなく思い出した『オペラ座の怪人』

「私はオペラ座の怪人。思いの外に醜いだろう?この禍々しき怪物は地獄の業火に焼かれながら、それでも天国に憧れる」

『オペラ座の怪人』より


「それでも」と続くのがいい。
それでも憧れるんだ。天国に。

どんなに醜くても。


そういえば昔、「人間になりたい」と、人間の姿になって、人間になりきって、人間のように良い行いをしたあの三人は、最後人間になれたんだっけ?

どんなに人間になりたいと願っても、妖怪は妖怪。
人間になることは叶わずに彷徨い続ける。

彼らもまた、地獄の業火に焼かれながら。


それでも人間に憧れるんだ。



わたしはいつも、そんな彼らと大して変わらないな、と思う。

人間のようで人間になりきれないわたし。


わたしは『透明』じゃないから『透明』になりたくて、いつも光と影がある『透明』なものに憧れる。


だからちょっと、みんなの中に入りにくい。
というか入ったらダメでしょ、普通に。
なんで入れると思ったの?(笑)と思ってしまう。

美しい世界にわたしは入れない。
写真でそんな世界を見て、入りたいと憧れるけれど、わたしはそれに『いいね』も押せない。

そんな劣等感もわたしのエゴでしかないと思うのだけど。


だけどそれでもわたしは本当は…
〇〇の世界に入りたいと、今でも思ってる。

センスも覚悟も何もないのに。

この年になって本当に情けないのだけど。

そしてもし、今、何か見せてよと言われても、何も見せられないし、何もしてこなかったのがバレてしまうんだ。
本当情けないと思う。

妄想だけがいつも先走って現実に落とし込めない。


『情熱』の炎を燃やすためには『血』と『酸素』が必要なんだと思う。
だけどわたしは両方、それが不足している。

もう思うように動けなくて
思うように起き上がれない。

わたしは今『血』に飢えているのだと思う。


血液は腸で作られるらしいけど、やっぱり腸って大事で、心とからだは切り離せないんだ。


からだには、今までのすべての『情報』が刻み込まれるんだと思う。

それは、わたしの記憶。

取り込んだもの、経験したこと、感じたものすべて。


そうやって『わたし』という存在が作られる。
まるで彫刻の像のように。

ひとつの芸術でもあり物語でもあり。

わたし自身が『表現』そのもので、出口でもある。


古来の日本は、『陰翳』に美しさを見出してきた。

美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎


ただツルッと光り輝くだけよりも、陰翳がある方に美しさを感じるのは、建築やデザインなどに限らず、人の心とからだもそうなのかもしれないと思う。

その陰翳をわたしの心とからだでどう表現できるんだろう、といつも考える。

美しい彫刻のような。


考えているから言葉に出てしまったのか、出逢ったばかりの方からこんなことを言われて驚いた。

言っちゃえば「私」そのものがアートなんじゃね?
的なところがあるんじゃないですかね!

本当の美しさを本当の意味で理解できるのは、もしかしたら死ぬときなのかもしれないとも思う。

それまでに錆びついたものや、トゲトゲと毛羽立ったものを削ぎ落として磨き上げたいとも思う。

陰翳が際立つように。



ちなみに不整脈や動悸は、今まで原因はどこにも見当たらず、『健康ですよ!』と太鼓判を押されていた。


元気そうに見えるけど?
強いね
大げさなんだよ
気にしすぎ!

そんなふうに言われることにも慣れてしまって、
「なんでもない、大丈夫、健康だから」と思うことにも慣れた。


本当に体調が悪いと感じていても元気そうに見えるので、きっとわたしが大げさなだけで気にしすぎなんだろう。


だから気にも止めなくなった。

やっぱり慣れは怖いな。


自分の中のストレス。
内的要因、外的要因、いろいろある。

そういう目に見えないものが、まとわりついてきたり、中に入ってきたり、まるで生き物のように。


そういう目に見えないものが、レントゲンとかCTとかに写って見えたらおもしろいのに、なんて思ったりもする。


それと、『血に飢えている』というのは心だけではなく、やはりからだの『血』も実際に足りていないらしい。

要は『貧血』との診断。

やっぱり心とからだは正直だ。

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