あの時、そう思ったんだった。 2018年の夏に地元で起こった災害を知ったのは、渋谷でスクランブル交差点を歩いている時だった。テレビや新聞も見ない当時の私は、少し遅れてそのことを知った。 地元で起こっていることなのに、何にもできない自分に無力感を感じたという大切な当時の記憶を、私は悲しくも忘れていた。 今日、地元の方と話していて災害時の話が出た。その方から聞く当時の情景や、災害が無ければ行われる筈だったプロジェクトをあきらめずに持続し遂行されていた話を聞く中で、「当時自分
今年春から自然農や語学の強化の為に海外に行く予定でした。だけれどその計画も先延ばしになりそうです。 世界中の人が昨年から続くこの環境下によって、大事な計画を先延ばしにせざるを得なかったのではないかと思います。そしてその裏では経済状況に悩まされる人も増えたり、様々な社会問題が浮き彫りになったことでしょう。 様々な報道や、ネット上に溢れている誰が何処で何を調べたのか見えにくい情報など、何を信じたら良いのか分からない”事実”が見えにくい世の中だと感じています。そんな中で、一体何
東京での9年間に一先ずの終止符を打った。 東京で最後を過ごした家には1年しか住まなかったけれど、友人達が来てくれた思い出のある家で今の気持ちを記しておく。明日は虫の声が聞こえて、温かい気配を感じながら朝を迎えるんだと思う。 2020年も残すところあと2か月と少し。この一年は大変化の年だった。誰にとっても、この年は激動の1年だったのではないかと思う。 あらゆる事柄を手離し、着実に”本当は”決めてきたことを心が動くままに赴き、ただひたすらに突き進んできた。そこにはほんの少し
もっぱら、80代90代のおじいちゃんおばあちゃん達と話をする機会がこの頃は多くて、その方々が繋いできて下さった誇り高き歴史も、耳の痛い歴史も、細部まで刻み、後世に繋いでいく必要があると感じています。 身近すぎて気にもならなかった家の近くにある小さな神社はなぜそこにあって、毎年町をあげて行われるお祭りは何の意味があって、あの歴史館はなぜあの場所にあって…など、 考えもしなかった”意味”には私達の祖先が、この偉大な自然の中にある国で生きて行く術を教えてくれる一つだと思うのです
ヒュッゲという本を約一年前に友人から借りて、 今わたしに必要だった様で、初めて読んだ。 その本に問われて、考えた。 『わたしの子供の時の幸せな記憶は何だろう』 母を後ろからギュッと抱きしめて 母の香りを嗅いで、ほっとしたこと。 ドアに指を詰めて大泣きしてたら、 祖母が即座に駆けつけて、凄く凄く心配して 指があるか確認してくれたこと。笑 兄弟みんなで川の字になって寝てたこと。 兄弟みんなで狸寝入りをして、 父と眠ったか眠ってないかの謎の格闘をしてたこと。 祖父がず
こういう時、 あぁ、いつどうなるか分からないよな~って再確認する。 だから普段正直であればあるほど、 “瞬間を生きる“ってことが大事なんだなぁと腑に落ちる。 大事なひとや、ことや、ものに想いを伝えよう。 いつもありがとう 大好きだよ 愛しているよ 今生でまた逢えたこと、 そして人として生まれ育んでいるこの瞬間に。 明けた時、もっと素直な自分であれるように。 空は、 ただただ愛に包まれ、包んでいる世界。 言葉などもはやない。 心なのか、なんなのか分からないけ
“ただの消費者であることはとても怖いことだ” という話を食の講演会で話されていたのは、 鳥取県の智頭で、 自然の恩恵を預かってパン作りをしている方だった。 一体なにが怖いことなのか。 創り手になってみて分かったことがたくさんある。 発酵を勉強するようになってから、 神事を改めて学ぶようになった。 古事記や、日本書紀を始めとした 日本古代文学に発酵の起源を垣間見ることもある。 口噛み酒や、奄美大島に伝わるお神酒など、 発酵と神様は切り離せないものだということも分かっ
ただただつづける おにぎり結んでても お味噌汁作っても とにかく誰も来ない。(笑) 癖のある看板のせいだろうか。 ご近所の友人のお陰で、 フードロスにはならずに済んでいるけれど、 寂しい。(笑) このときの受け取ったメッセージは、 「それでもいずれ待っていた人が来る」ということ! 「発酵してますか?」のワードが、 そのときのあなたのアンテナに共鳴したとき、 それは扉を開けるタイミングがやってきたということ。 ただただ続けさせていただこう。 ーーーーーーーー
子供の頃、絵本の絵柄の紙箱に、その時の自分の宝物を大事に閉まっていた覚えがある。 それを私はどこかへ無くしてしまって、数十年経った今もそれは出てきていない。 中身はシールとか、食べたいお菓子だとか兄弟から隠しておきたかったものだったと思う。 何度も探したし、それは間違いなく2020年を生きている今の私の幼少期に起こった出来事。 もううんと長いこと、暫くずっと眠っていないような感覚がある。 私は大事なことをどこかへ忘れてきていて、きっとそれを思い出す為に巡っている。
"まずは自分なんだよ。" 『自由に生きて欲しい。ありのままに生きて欲しい。』と、大事な人に抱くという話をある方にした時に、言ってもらった言葉だった。 新たな扉が開かれようとするとき、決まって訪れるのは、 『どう生きたい?』と問われることだった。 いつだってブレる出来事は幾度となく訪れるけれど、私はもう既に私を知っている。 いつの間にか身に着けてしまった、"罪悪感"という名の幻想を抱く癖に、向き合って、少しずつ手放していこう💞 ここのところ不思議な出来事が起こっては
2020/2/10~無期限 まきよ、なんでも屋をはじめます。 各地へ飛び回りたい! ご縁紡ぎに日本各地と海外まで飛びます😊🌱 「まきよちゃん、普段は何してるの?」と よく聞いていただきます(笑) 現在は昼間は事務仕事をぎりぎりしながら(笑)、それ以外の時間は発酵関係の出逢いを紡ぎ学びに歩いたり、思いついてしまったあらゆる出来事を、形にするべく動いております🤲 "なんでも屋"を始めるにあたり、モラルに反すること以外、わたしができることからやらせて頂きます。 詳細は下記
そういう日があってもいいかなと思います。 最近父のことをよく思い出します。 父と母のもとに産まれたことにも、意味があると思っています。 意味を見出し、学びとして捉えるのも自分次第だとも考えています。 学生のころは、父と母の悪いところを、 全部自分が受け継いでしまった…って思っていました。 激ネガティブです。(笑) 小さい時は怒りっぽい父が家に帰ってくるのが、ぶっちゃけとても嫌でした。 でも、「嫌」って言えなかった。 なぜなら、「嫌」と伝えた時の父の気持ちを考えた
新年が明けて、幸に恵まれ食べ過ぎて、また今年も過去最大記録を更新致しました。 みなさんはどんなお正月を過ごされましたか? 七草粥の日に、誕生日を迎えました。 そして誕生日の日に、ご縁が繋がり、憧れてやまない蔵元様へ、2月の頭に1週間蔵体験に行かせて頂くことが決まりました。 ご縁の形は様々だと思いました。この“きっかけ“は、自分次第ではあらゆるものを産み出し、そして繋がっていくのではないかと思っています。 メッセージが返ってこないことに、臆病になり、どうしようかな・・・
クリスマスが終わり、年の瀬に近づいてきました。 年末年始は、みなさんは誰とどんな過ごし方をされますか? 自分が満たされていることで、伝えられることはたくさんあると思っています。 それは言葉での“伝える“ではなく、発するエネルギーの中に含まれる、 あなたが辿ってきた中で受けた、温かさ、愛、そして強さ…だったりでしょうか。 「あなたに出逢えて、私の人生はとっても豊かになった。」 そう思えた出会いはありますか? 私には今までそう思えるほどの心の余裕も無かったし、“感“に蓋
これ、“ダレタメ(誰の為)“なんだろうって、いつも書いていて思うのですが(笑)、本当に自己満です。露呈していてすみません。 今日は割と近しい過去のことをふと思い出したので書きました。 自分が繊細な人間であることを、以前はとっても嫌に思っていました。 ですが、以前岩手へ麴学を学びに行った際に、“麴学“を伝えてくださった、とっても温かくて大好きな方が 「私は繊細です〜…」とどなたかかとの会話の中でお話しされているのが聞こえてきて、 この方が繊細な方であるとするならば、「
最近、様々な形で今の社会に対して「why」を抱いている人たちに出会います。 抱いているということに出会うことは、自らも発信することで得られるということに気が付きました。 表題は寺田本家のご当主である、優さんがおっしゃっていた言葉で、私に響いた言葉です。 少ししかお話しはできませんでしたが、とても穏やかで温かくて、美しくて熱い目を持った素敵な方でした。 発酵という哲学。哲学という発酵なのか・・・?なんだか、「な」が多くてなにがなんだかわかりませんが、 とにかく、巡り逢