繊細さはアートなのかもしれない
これ、“ダレタメ(誰の為)“なんだろうって、いつも書いていて思うのですが(笑)、本当に自己満です。露呈していてすみません。
今日は割と近しい過去のことをふと思い出したので書きました。
自分が繊細な人間であることを、以前はとっても嫌に思っていました。
ですが、以前岩手へ麴学を学びに行った際に、“麴学“を伝えてくださった、とっても温かくて大好きな方が
「私は繊細です〜…」とどなたかかとの会話の中でお話しされているのが聞こえてきて、
この方が繊細な方であるとするならば、「繊細さ」は邪魔なものではなく、アートであるというか、大切にして良いことなのだと、
“邪魔”という微細なつっかえを、まるっと受け入れられた瞬間がありました。
心で感じたことや、食べたものが、ものの見事に体によく現れるような思春期を過ごしていました。
胃腸科外科は学校の次によく行っていたのでは…と思い出されるほど、よく行っていました(笑)
そして誰でもあると思うのですが(あって欲しい)、思春期を過ごした故郷での集まりには、両手を挙げて参加するタイプではありません。(笑)(片手も挙げません。)
沢山傷つけられ、そしてそれ以上に沢山傷つけてきた恥ずかしい思い出は、できれば閉まっておきたいものです。
ですが、その過ちと解釈している思い出も、今の自分をつくっている価値のある影だと思っています。
「体が強くないから」とよく心配され、チャレンジしたい事柄を挑戦せずに見逃してきました。
今振り返れば、死に至らない程度であれば、振り切ってやってみればよかったと思ったりします。
私が元気になり始めたのは、上京してからだと思っていますが、何が良かったのだろうかと振り返ってみると、3つの要素が考えられます。
それは、【個性を理解してもらえる場に居た】【植物と動物を愛でる時間があった】【心理的に育ってきた環境から、断ち始めた】ことだと、今は考えています。
学生時代は大叔母の家でお世話になりました。食卓には、ぬか漬けやお味噌汁はもちろん、庭に咲いたハーブや花を用いて家に飾り、生け方をよく教えてくれました。
不思議と東京のど真ん中あるお家の中であっても、植物は不思議とよく育ち、そして猫も犬もメダカもとても長生きをしていました。
お料理も特別なことは何もしていないのに、なぜおいしいのだろうか?と思っていました。
それは「大叔母が纏う微生物のお陰なのかなぁ」なんて、今は感じたりしています。
ぶっちゃけますと、最初の頃は、
猫の毛が舞う部屋の中で紅茶を飲むことや、庭から摘んできた草花についた蟻に出会うことや、
「洗剤を使いたくない!」と洗剤を使わない大叔母の生活スタイルが、嫌で仕方ありませんでした。
そして約4年を過ごした大叔母の家を様々な事情や葛藤もあり、社会人になると同時に出ることになります。
その時にもう少し「ありがとう」を伝えて出ていたらなと振り返ったりします。でも、何度「ありがとう」伝えても伝え足りないかもしれません。
発酵を知る時間をつくっている中で一番向き合うのは、「自分」だなと感じています。
自然と触れ合ったり、何かを仕込んでいたりする中で、“過去”を思い出す時間がこの一年は多くありました。
私の”知りたい”は、声のないものの歴史や、その声に向き合ってきた人たちの歴史であるようです。
その歴史の中には、体験したことのない出来事や、それに伴う感情や視点があります。
年々、想いを馳せられるくらいに心を通わせられる大事な人が増えていく人生にしたいです。