143. 世界を変えられるって本気で思い込めるのなら、本当に世界を変えられるんだよ。〜スティーブ・ジョブズ〜
みなさんこんにちは。
今回は、アップル社の共同設立者の一人で、アメリカ国家技術賞も受賞しているスティーブ・ジョブズさんの格言について紹介します。
以前にスティーブ・ジョブズさんの違う格言についても紹介していますので、
是非読んでみてください。
スティーブ・ジョブズとは
1955年、シリア人の父とアメリカ人の母との間でサンフランシスコで生まれましたが、生まれてすぐにアメリカ人の家庭に養子に出されています。
そのため、幼少期から、
「自分は何者なのか」
という葛藤があったそうです。
1961年、6歳の時にモンタ・ロマ小学校に入学、
幼少時代はとても手間のかかる子で、
ヘアピンが電位を通すのか確かめるためにコンセントに差し込んで感電したり、
盗聴器で親の部屋を盗聴したり、
小学校で授業中に花火をしたり、
教師の椅子に爆弾を仕掛けるなど、
エピソードに事欠かない少年でした。
1965年、4年生で快活で機転の利く女性教師と出会い勉強が好きになります。
知能検査を受けると並外れた知能を持っていることが分かり、
1年飛び級してクリッテンデン中学に入学しました。
しかし、飛び級して入学した中学では周囲からいじめられ、
7年生の半ばには両親に環境の良い学校への転校を要求し、
クパティーノ中学校に転校しました。
1971年、16歳の時、友人の紹介で当時21歳のスティーブ・ウォズニアックと知り合い意気投合しました。
その年にウォズニアックの母にもらった雑誌に掲載されていた、
ブルーボックス(不正に無料で長距離電話をかけることを可能にする装置)について記事を読み、
急いで図書館に向かい技術資料を見つけ出し、それを元にウォズニアックがオリジナルのブルーボックスを作りました。
ウォズニアックは装置を作ることで満足しましたが、
ジョブズは装置を生徒たちに1台150ドルで売り捌き、
最終的に200台販売し利益を上げましたが、
銃で脅され身の危険を感じたため販売をやめました。
このブルーボックスでの商売の経験がApple社を作ったと語っています。
1972年、オレゴン州のリード大学に入学、
学費が高額な私立大学で親の金銭的な負担は大きかったものの、
リード大学以外には入らないと断言していました。
しかし、
「価値を見出せず、両親の貴重な学費を価値のない教育に使いたくなかった」
として、半年で退学しました。
1974年にはインドに渡りたいと思い、
実家に帰った日にアタリを訪問し、雇ってくれるまで帰らないと宣言して、
トップに認められたため採用されました。
新製品の「ブレイクアウト」の回路の部品減らしを命じられ、
自身にできないことを瞬時に悟ったジョブズはウォズニアックに改造を依頼し、
4日間徹夜し20〜30個の部品を減らしました。
この部品を減らすという経験がこの後のApple ⅠやApple Ⅱの開発に役立ったといいます。
1975年、Apple Ⅰを開発し、ウォズニアックは回路図を無料配布しようとしていましたが、
ジョブズはこのマシンを利用してビジネスを始めるべきだと提案しました。
アタリに商品化を断られた後、
ジョブズとウォズニアックは自分達で新事業を立ち上げようとし、
ジョブズは愛車のワーゲンバスを、
ウォズニアックはHP製のプログラム電卓を売り払いました。
1976年、ジョブズとウォズニアック、ロナルド・ウェインの3人で「Apple Computer Company」を創業しました。
世界を変えられるって本気で思い込めるのなら、本当に世界を変えられるんだよ。
何かにど集中している時、本当に自分で世界を変えてしまうかもしれないと思う時があります。
みなさんはそれぐらい何かにど集中した時期ってありますか?
今やっていることを達成しようと踏ん張っている時、
必死こいてそのことばかり見ていると、
これを達成したら自分はとんでもなく凄いことになるんじゃないか?
もしかしたら世界があっと驚くような自分になってしまうんじゃないか、
自分のやることの先に世界を変えてしまうんじゃないかと思う時があります。
そこまで必死に努力して、本当にこの世界は変えられるって思いこむほどど集中しているなら世界は本当に変えられると思います。
自分がやりたいことはなんなのか、
その先にどうなって行きたいのか、
そこにたどり着くための必要な努力だけに向き合って、
そこだけを見ているなら世界はその思い通りになると思います。
やるべきことに一点集中で、仕事も遊びも本気で楽しめる人生がいいですよね。
最後に
今回は、アップル社の共同設立者の一人で、アメリカ国家技術賞も受賞しているスティーブ・ジョブズさんの格言について紹介してきました。
物事を率直に伝え、好奇心が強く、周囲に同調せず、反抗的な態度が目立つことでも有名だと思いますが、
それが事業を拡大させてきた要因でもあると思います。
周囲の意見ばかりを聞くのではなく、本当はどうしたいかを自分が一番理解しており、
そこに効果的なもの以外は受け付けない、
どうやったら成功するかだけ考える、
そんな考え方を続けてきたからこそ成功したきたのだと思います。
地位や権力には興味がなく、リスクを恐れずに行動する根底には、
そのような考えを持っていたのだと思います。
「自分は何者なのか」という葛藤がありましたが、
導き出した結論は「自分は他人と違っていてもよい。むしろそれが新しいものを生み、世の中を変えることにつながる」ということでした。
つまり自分が他人と違うことはなんだろう、
その結果、世の中に何を残していけるかを考え、想像し、
その努力をすれば、世界は変えられるということが分かりました。
色んな情報がありふれた世界で、
自分と自分を信じてくれる人だけは信じ抜いてそのために努力をしていけば、
少なくとも自分の世界は変えられると思います。
それではまたどこかで。
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