〈非効率性〉は〈心〉を癒す大切なもの
今回は、〈詩〉ではありませんが、感じたことをまとめてみたいと思います。
ある方に指摘されたことがあります。
〈ワクチン後遺症〉の救済に動く有志医師たちは、身体的症状しか見えていない。〈ワクチン後遺症〉の人たちも深い心的外傷を抱えている。なぜなら国から裏切られたからだ。〈虐待の後遺症〉という深い心的外傷を救済することは〈ワクチン後遺症〉の人たちの心の傷の救済にも繋がる話ですという指摘です。
貴重なご指摘ありがとうございました。
有志の医師たちも、近代合理主義の中で〈心的外傷〉という時間と手間がかかり、効率的・合理的な治療では解決が難しい問題とは、向き合うことができていないと思います。それは、人間味のなさにもつながっている気がします。
近代・現代人が〈効率〉と引き換えに否定し、失ってきたものは、人間の精神性という〈半身〉を無視し、常に置き去りにしてことです。
遊びや文化的行事、伝統的な慣習という昔の日本人がもっていた〈無駄・余白〉という〈非効率性〉は、人間の〈心〉や〈精神性〉というものを癒す大切なものだったのではないでしょうか?
医者が患者の〈心の傷〉に対し、時間をかけ、その人の〈時薬〉にゆっくり寄り添って付き合うということも、〈非効率的な治療法〉です。そうした〈無駄〉を排除し、すべてを合理的・効率的にしてしまった結果、心を病む日本人が増えていったように感じます。
近代合理主義の中で、〈効率〉と引き換えに失った生活の中での〈無駄・余白〉は、〈心的外傷〉が癒されることのない社会を作り上げてしまったと個人的には思っています。
心と身体は繋がっています。人間は半分なくして生きられない存在です。
精神医学的な病状に関して、以下の書籍で、虐待の後遺症(複雑性PTSD)の典型的な症例としてまとめてあります。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き。