『森の思想が人類を救う』 - 梅原猛
〇今日の読書
『森の思想が人類を救う』 - 梅原猛
〇なぜ読むのか?
純文学とはなんだろうかと考えてみた。文学において「純」な文学とは。
和歌や俳句を詠んで「あはれなり」と思わせる情感が純文学には込められていると思う。文学に純を感じることは、文化の根底を探ることなのかもしれない。そう考えた。
では、日本の文化の根底にはなにがあるのだろうか。日本人について、神道や仏教、土着の信仰について探ってみれば見えるものがあるのだろうと思った。
そんな折に出会ったのが『森の思想が人類を救う』である。仏教から日本の文化を掘り下げてみようと思っていたが、梅原猛の書籍を見ていると、この本を見つけた。仏教と神道、そしてアイヌや沖縄の民族から、日本の文化を掘り下げていくと、そこには森の思想があると語る。花鳥風月に情緒を観る日本の文化観。そこに「純」なものがあるのかもしれない、そんな切り口から読んでみることにした。
〇要旨
日本の宗教について
日本の宗教はなかなか一筋縄には理解できない。日本の宗教というと、それはだいたい伝統的に日本人が信じてきた神道と仏教をさす。神道にはキリスト教でいう聖書にあたる経典がない。仏教には経典があるがいくつもの宗派に分かれていて、それぞれの経典が違っている。また、日本の宗教というものは、概念であるよりむしろ習俗になっているのである。そして日本の宗教の中には、仏教も神道もあるいはキリスト教までもが渾然一体となって入っているのである。
神道
まずは神道について。神道はほとんど聖書らしいものがなく、それは生活の中にうまく溶け込んでいて、習俗化している。それだけに、思想的にどういうものかということが捉えにくい。
日本の神道は歴史的に大きく変化している。
一つの変化は明治以降の近代国家成立期にある。
もう一つは七、八世紀の律令国家成立期である。
日本の文化の根底を探るにはこの二つの宗教改革において、何が壊され何が残されたかということを考えねばならない。
近代国家成立期にあるのは、国家神道である。国学者の平田篤胤がつくった神道が明治以降には国家の神道として採用されてきた。日本は神の国であるという、国家主義的に偏向した形で受け継がれている。「国家というのはリヴァイアサンという一つの怪物だ。」自らに絶対の崇拝を要求する怪物のようなものであるという国家主義的な考え方がヨーロッパにおいては支配的であった。そのような時期に開国した日本は、その思想の影響を受けざるをえなかったであろう。
聖書にあたるものはないとは言ったが、神道は「古事記」や祝詞を持っている。これによって語られる神道は、古くから日本にあった信仰というよりは、律令時代に国家神道化されたものと考えられる。
その中心思想は祓いと禊ぎ。穢れを祓って清い心にする、あるいは穢れを祓うために禊ぎをするというのが、重要な思想であると考えられる。七世紀頃からこの禊ぎ祓いの習慣が宮廷儀式に取り入れられていき、大宝律令の発布により法令化されるのである。これは道教思想を取り入れた結果ではないかとも考えられる。
本来の日本の土着の信仰を明らかにするためには、国家神道と律令神道を差し引いて考えなければならない。そうすれば、あとに残るものは何か、そこにはどのような世界観が表されているか。これらを明らかにするには、まず何よりも古典が頼りになる。「古事記」「日本書紀」「祝詞」「万葉集」「風土記」などを参考にしなければならない。考古学、人類学、民俗学、西欧文明との比較、いろんな学問の成果を積み重ねて推論する。これは高度な哲学の仕事である。
縄文文化について
縄文時代には、樹木の文化が発展した。木は単なる生活道具としてだけではなく、神聖なものとされていたことが、縄文遺跡から窺われる。
文明の発展において農耕牧畜が発明されたわけだが、日本では天皇が死ぬたびに宮を変えていたために、都が定まらなかった。この風習のためにメソポタミアや中国に比べ、都市文明、農耕文明の発展がおくれたけれども、じつに高度な狩猟採集文明が花を咲かせていたのである。
日本人は今でも生の魚や刺身など自然に近いものを好む。これはやはり狩猟採集文化が日本文化の根底にあるということを示している。そのうえに農耕文化が重なっている。
そして、縄文時代の宗教の上に、渡来人の宗教が重なっていくのである。
縄文時代の人間の形質と文化を最も多く受け継いでいるのはアイヌの人たちであり沖縄の人たちである。狩猟採集と漁撈の文化である。
弥生時代が始まるまでは、日本列島は森に覆われていた。農耕文化が入ってきて森を伐り始めた。だが、伐ってはいけないところがあった。それは神社の森。日本の神社には必ず森がある。聖なる場所には森がなくてはならない。これが木の精への信仰を表している。それは生命のシンボルであり、木を神の依り代としたのである。
アイヌの文化には、イオマンテ、熊送りというものがある。熊の魂を送る。どこへ送るかというと天に送る。すべてのものの魂は天に戻っていき、神になると考えている。そして、天国からまたこの世にもどってくる。
沖縄に農耕が定着したのは鎌倉時代であるといわれる。そこで花咲いているのは漁撈文化である。沖縄では、人間は死ぬと、ニライカナイといって、海の彼方へいくと考えられている。ニライカナイへいった霊は、またこの世に帰ってくる。
あの世についての信仰がアイヌにも沖縄にもみられるのである。
基本的な世界観として次の二つが挙げられる。
第一に、生きとし生けるものはみんな平等で共通の生命である。すべての生命は平等であって、人間だけが尊いという考え方ではない。とくに木の命は私たちの生命のシンボルである。そういう考え方が一つの世界観としてあると思われる。
第二に、死んでも必ず再生してくるという生命の循環である。死ぬと人間のみならず、すべてのものは魂が肉体から離れてあの世へいく。この世にいる人々は、魂をきちんとあの世に送らなければならない。あの世へ送るというのは、また生まれてくるということ。魂がこの世に執着してとどまろうとすることが一番困る。つまり自然というものは永遠の循環であるという考え方である。魂は永遠の輪廻を繰り返すのである。
これが仏教以前からある土着の信仰としていえるであろう。
仏教
次は日本の仏教について。
日本の仏教の大きな流れにあたって三人の人物を中心に考えたい。
まず、日本の仏教は聖徳太子に始まる。そして彼は日本の律令制度の基礎をつくった。律令体制の理念をつくり、その基礎に仏教をおいた。
次の大きな革命は平安時代。最澄と空海による仏教。それぞれ中国の天台宗と真言宗を移入したのだが、そこには日本独自の思想があり、日本仏教の特徴がよく出ている。南都六宗として広まっていた奈良仏教のように都会ではなく、平安仏教は山間に根拠地を求めた。最澄と空海から本当の意味の日本仏教が始まったと言える。
さらにもう一つの日本の仏教の革命がある。それは鎌倉仏教。そして、親鸞の仏教は後世への影響が大きい。
日本の仏教というのは理論だけではなく、やはり習俗として根付いているのである。
釈迦の仏教
まず、いったい仏教とはどういうものであるのか。
釈迦の教えは、道徳的命題から成り立っている。四諦十二因縁に説かれる四つの諦めと十二の因縁、これが基本の教えとなる。
四諦というのは、苦諦、集諦、滅諦、道諦という四つの諦め。
苦諦とは人生は苦であるという認識。
集諦とは苦の原因は愛欲であるという苦の原因の認識。
滅諦とは苦を滅ぼす認識。
道諦とは苦を滅ぼす方法に関する認識。すなわち、清浄な生活をする戒、瞑想をする定、知恵を磨く慧、この戒定慧の生活により人間は苦から逃れるという認識である。
次に十二因縁。これは人間的な道徳としてではなく、宇宙論的に説かれる。愛欲を滅ぼすことによって、輪廻を免れることができる、その輪廻のもとを断つことが涅槃であり、それが悟りを開くということ。
釈迦の仏教は人里離れた山に入って静かな人生を送るという教えであるが、それでは迷える大衆は救えない。山で修業しているのは欲望の否定に偏り過ぎている。もっと欲望に対して自由であるべきだという思想が出てきた。これが龍樹の教えであり、大乗仏教の教えである。その理論の中心は空ということ。それは有にも無にも肯定にも否定にも囚われない中の立場に立つということである。
釈迦の教えは大乗仏教に広がりを見せていく。
聖徳太子の仏教
聖徳太子は律令制度の基礎をつくった。その中心思想に仏教をおいた。
日本仏教の基礎に『法華経』を、一乗仏教をおいた。一乗仏教の特徴は平等と統一の思想である。
聖徳太子の書いた『三経義疏』(『勝鬘経』『維摩経』『法華経』の三つの経典の注釈書)では、『法華経』を仏教のもっともすぐれた経典であると説いた。それは法華一乗の思想である。一乗とは、悟りの道は、声聞、縁覚、菩薩、という三つに分けられるが、根本は一つの教えなのだということである。それまで大乗仏教においては、救いがないと外されていた声聞、縁覚、も平等に包含し、教えを統一しようという、平等と統一の考え方が一乗仏教の特徴的な思想である。
聖徳太子はそれを一大乗という言葉で表現し、最も尊く衆生済度に有益な思想だと考えた。そのような思想によって日本の国をつくろうとした。
一乗思想の裏側には如来蔵思想がある。如来蔵というのは、あらゆるところに仏がいる、煩悩のさなかに仏がいるという考え。それは救いを現実の外ではなく、現実の内に求める大乗仏教の論理を徹底したもの。煩悩と仏は相反している。がしかし、じつは近い関係にある。これは素晴らしい考え方だが、パラドックスで証明することはできない。だからそれは信じるしかないという。そして、煩悩の中に菩薩、仏が隠れているということを信じるのが、大乗仏教だと聖徳太子は言うのである。如来蔵思想は、浄土仏教のなかになみなみと脈打っている。
「和を以て貴しと為す」から始まる『十七条の憲法』を読むと、全体に平等の思想が述べられているのがわかる。この平等と統一の思想が伝統として日本人の考え方の中にあると思われる。
最澄の仏教
最澄は南都仏教の腐敗にたえかねて、政治の革新、仏教の革新を試みた。そして、天台仏教を開くのである。これも『法華経』を中心とする仏教である。
釈迦の仏教は人間中心の仏教。悟りを開くのは人間であり、かぎられた人間が苦行の末に悟りを開くのであるというのが南都仏教の思想である。それに対し、最澄はすべての人に仏性がある。一生懸命に善を積めば必ず仏になれる。何回も何回も生まれ変わるうちに最後には仏になると説いた。「山川草木悉皆成仏」人間ばかりでなく動物や植物、さらには山や川にまで仏性があるから、すべて成仏できるのだと説いた。
ここにこそ日本仏教の本質があるといえる。
空海の仏教
最澄は仏性はすべての人にあるが、仏にはなかなかなれるものではないと考える。一方で、空海の考え方は即身成仏、この身そのままで仏になれる。現世肯定の思想であり、自利の考え方が真言の思想である。生きている間に仏になれると説くのである。
密教の本尊は大日如来であるが、それは太陽を神格化したものであり、自然の根源である。密教というのは自然の教えなのである。大日如来は自然の表れであり、人間の中にも、木の中にも、自然全体どこにでもある。そういう意味で、自然崇拝の信仰のある日本の土壌に非常に受け入れられやすかった。
ここから日本の仏教はアニミズムになってしまったということもできる。日本の縄文時代以来の土着の信仰が仏教をもアニミズムに変質せしめたのである。
鎌倉仏教
鎌倉時代というのは、既成の秩序が崩壊した時代。そこでは末法思想が流行した。律令体制は倒され秩序は乱れる。救われる道はあるのかという問いが鎌倉時代の仏教では真剣に問われた。
そこで、まずは法然が出てくる。
人間は死ぬと阿弥陀浄土へ行くという浄土思想である。これはあの世信仰にもよっているが、いかにこの世が醜いか、いかにあの世が美しいかを説き、念仏によって浄土へ往生することができるというものである。この念仏というのは当時は仏を念ずる、つまり想像することだと考えられていたのだが、それではお坊さんだけが往生できて、多くの人にはむずかしいものであった。
そこで、法然は念仏の解釈を変えてしまった。念仏というのはむずかしいものではなく、ただナムアミダブツと口で唱えることだとした。死ぬ前に十回ナムアミダブツと唱えると、だれでも極楽浄土へ往生することができるとしたのである。
そして、それは親鸞に続いていく。
親鸞の場合には、還相回向という考え方が強くなっている。それは、生まれ変わってこの世にまた帰ってくるということ。自分が極楽浄土へ行って仏になる。そしてまた生まれ変わって救えばいいと語る。
もう一つの要点は、戒律についての考え方である。最澄の時代に戒律は内面化し、軽減化されたのだが、親鸞になると戒律はほとんどなくなる。それは懺悔という形で残るのである。懺悔というのは戒律を犯したという意識があるからこそ可能なのであり、戒律の最低限の存在を意味するのである。
親鸞の教えでは、悟りを得るのは生まれ変わってあの世へ行ってからなのであるが、この世で悟りを開きたいという考え方が出てくる。空海から受け継がれる考え方であるが、ではどうするのか。
道元は座禅をすれば、お釈迦様と同じ姿になることができ、お釈迦様と一体になることができると説いた。心身脱落、身体が宇宙と一体になる、それがすなわち成仏であるという。中国禅は人間中心的な色彩が強いのだが、道元の禅は自然というものが根底にある。座禅を組むことは自然と一体になることであり、「山川草木悉皆成仏」という色彩が濃いのである。
この考え方も日本仏教の大きな一つの流れとなっている。
しかし、座禅をしてその境地に達するのはとてもむずかしい。もっとやさしくこの世で仏になれる方法はないものかというところに、日蓮が出てくる。日蓮は『法華経』信仰で仏になろうと考えた。『法華経』は聖徳太子から最澄に受け継がれた日本仏教の中心経典だが、その理論というのはむずかしい。そこで、南無妙法蓮華経と唱えれば、『法華経』を読んだのと同じ功徳を得られると日蓮は説いた。法然と親鸞はあの世が浄土だというけれど、日蓮はこの世で仏になれるのだと考えた。この世で救われるのだという。
ここまでがおおまかな仏教の流れといえる。
仏教以前の日本の土着の信仰のなかで、死者をあの世へ送ることが中心的な行事であった。それは、祖先崇拝と死者供養である。これはもともと仏教にはなかったことだが、仏教以前の土着の信仰が仏教のなかに入り込んでいった。この祖先崇拝と死者供養を最も重視するのは浄土教である。それが日本仏教の主流とさせている気がしている。
つまるところ、日本の宗教は仏教が入ってきたからといって、簡単には変わっていないのである。
生きとし生けるものはすべて平等で共通の生命で生きている、生きとし生けるものはすべて生死の間を循環している、人間は死ぬと生まれ変わり、またこの世に帰ってくるという日本の土着の思想は、変わることなく日本仏教の中にも生かされているのである。言い方を変えれば、そういう土着の信仰が日本人の底に流れているから、特定の人だけが救われるという仏教は日本に定着したかったのである。
日本人は、死んだらどこへ行くのかと訊くと、たいてい極楽浄土へ行くという。しかし本当に思っているかどうかはわからない。釈迦の仏教の理想は生死の流転から免れることであり、極楽浄土というのは生死の流転から免れた地にあるのである。だが日本人がそのように考えているかどうかは疑問である。お盆やお彼岸には、ご先祖様はお山から戻ってくるのであり、ご先祖様はお山におられるのか、極楽浄土におられるのかはよくわからない。日本の宗教はそういう曖昧さの上に成り立っている。
インドの仏教
日本の仏教は釈迦の仏教とはかなり違って発展してきたが、しかしやはり釈迦の理想は生きていると思う。その理想は永遠の価値を持つとも考える。
それは欲望に対する批判である。この人間の世界を苦であるという。そして、この苦の原因は愛欲であるという。だから、この愛欲を滅することを説くのである。彼は愛欲について様々な観察をする。そしてそれは空しく、無常であることを観察する。そのことによって愛欲の根は絶たれ、人間は愛欲から自由になるという。愛欲から自由になった人間は、この世でも平穏な人生を送ることができ、この苦の世界を輪廻することも免れるというのである。
愛欲の全面肯定の上に成り立っている資本主義の文化には、この釈迦の批判はますます重要な意味を担うようになっているのかもしれない。
大乗仏教とくに日本の仏教は、厳しい愛欲の否定という理想をおろした。その代わりに新しい理想を掲げた。それは菩薩道の理想であり、自利利他を行ずることである。自らが悟りの境地をえるとともに、他人を苦しみから救うことである。
大乗仏教の説く行には、六波羅蜜というものがある。それは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の行である。
布施とは人に施しを与えること。
持戒とは戒を受持し守ってゆくこと。
忍辱とはじっと耐えること。
精進とは決意をもって善を修し、悪を断ずるために努力すること。
禅定とは心を一つの対象に留めて、真理を見極める智慧を磨くこと。
般若とはあらゆる存在の本質を無常、苦、空、無我、であると見定めること。
自利を強調する真言や禅と利他を強調する天台や日蓮、解釈はいろいろとあれど、自利利他の精神を根本に持ち、六波羅蜜の行を重視する点で共通である。これらの徳は日本人の理想に深く浸透しているようにも思われる。
自然崇拝について
多くの自然現象を崇拝した多神論こそ、長い狩猟採集時代の共通の人類の思想であったと思われる。自然の中に霊的な力を認め、それを神として崇拝し、この世とあの世との間の絶えざる霊の循環を考える、それが長い間、人類の共通の思想であった。
ところが農耕牧畜が新しい人類文化になるときに、山や川や森などにいる自然の神々が邪魔になった。人間の自然征服をいっそう助けたのは近代哲学であり、科学技術であった。近代哲学は、人間を思惟する自我として、自然をその思惟する自我に対する物質として捉えた。自然の法則を知ることによって、自然を征服することができるという理想は、かつての人間にとって輝かしい理想だった。人間は長い間、自然の奴隷であった。しかし、自然が人間に征服された現在、この理想にはブレーキがかからなければならない。
そして、自然との融和というのが新しい人類文明の理想になるであろう。あるいは、自然への畏敬の念を科学は持たねばならない。もう一度、思想とか宗教とかを根本的に考え直さねばならない。こういう状況の中で、自然崇拝や多神論の意味が再考されねばならないと思うのである。
二十一世紀の三つの危機と多神教の可能性
この著書は二十世紀末に書かれたものであるが、二十一世紀にはどういう危機があるのかということを語る。著者は本来哲学者であり、政治や経済の動向には疎いのであるが、社会学者より哲学者の方が的確に未来を予測することもしばしばあると語る。哲学者は思想そのものを問題にする。間違った人間理解を基にした思想による社会が、そう長い間続くはずはないと考える。
人類の危機として三つのことが存在する。
核戦争の危機
環境破壊の危機
精神崩壊の危機
これらが人類社会を襲う危機であるとすれば、二十一世紀の思想は、その予防薬あるいは治療薬としての意味を持たねばならないであろう。そして、仏教はその意味を持ちうるのかを問う。
大乗仏教が育てた最も重要な思想が空の思想であろう。そして菩薩の思想であろう。釈迦の仏教は大乗仏教において、釈迦それ自体が神格化され、またさまざまな仏が出現し、土着の神々と結びつき、多神論の性格を強めてきたのである。東アジアに広まるのはこのような多神論としての仏教である。人間中心の仏教から完全な自然中心の仏教に発展した特徴を持っている。それらの仏教は、中国では道教と韓国ではシャーマニズムと日本では神道という土着の思想、それぞれ自然崇拝のアニミズムと結びついたのである。
核戦争の危機に対して
現在の核戦争の危機の状況をつくっているのは一神論的世界観の対立と考えられる。一神論は多神論よりはるかに戦闘的である。一つの神の絶対的正義を信じ、その神の正義を妨げるものをすべて悪魔と考えることによって、人間は強い戦闘力をもつのである。この危機的状況は、その戦闘的精神によるものと考えるのである。
多神教はその平和愛好の精神においてはるかに勝ると思われる。自分が信じている神以外にも多くの神がおり、その神はそれぞれ存在の意味を持っているとしたら、何を好んで他の神を否定する必要があるのだろうか。多神教は他の宗教と対立する時に、それらを自己の中に取り入れようとするのである。支配という形で世界の平和を考えるのではなく、他の世界との共存という形で世界の平和を考えるとするならば、平等にその価値を認めねばならない。こういう平等の価値を認める時、一神教は多神教的にならざるを得ないのである。
その点において、仏教は人類の究極的平和に貢献し、間接的に核戦争の危機を和らげることに貢献する。おそらく今後、仏教はもっと行動力を高め、間接的に核戦争の危機を和らげるという役割から、多くの宗教との共存を図り、核兵器を全廃し、核戦争の不安を人類からなくそうという積極的な役割を担うという自己変革をしなければならないのであろう。
環境破壊の危機に対して
農耕牧畜文明の成立と共に生じた人間中心の考え方、それを根本的に否定しない限り、文明の再生はあり得ないと考える。自然の一員でありながら、やがて自分を世界の中心において、自然征服を始め、自然環境を破壊し、ついに自分が生きていく世界を失おうとしているこの愚かな人間について、徹底的な批判が必要なのである。
日本の仏教の合言葉になった「山川草木悉皆成仏」ということが、まさに自然中心の宗教となった仏教の在り方を示している。生きとし生けるものあらゆるものが仏になれるのである。根底にこのような宇宙観を含んでいる仏教は、さらに発展して世界の人類の規範になるような宇宙観を構成することができる。そして、今日、この自然破壊の文明に対して、環境保護運動の先頭に立たねばならないと思うのである。
精神崩壊の危機に対して
精神崩壊の問題は近代文明の根本に存在している問題である。近代国家は共通の前提として宗教からの自由を持っていた。それは宗教への無関心を招いた。道徳が衰え、人間の精神的な力も失われていったのである。このような状況の中で、宗教は有意義な役割を持つ。
大乗仏教の空の思想の説くところは、人間を欲望の執着から解放することであり、そして、その欲望を超えた自由人として積極的に世間で活動させるという意味を持っているのである。また、空の思想は自利利他の行になって表れる。自利と利他の調和を説くところに、大乗仏教の優れた現実性がある。現代文明はまさに人間を宗教や道徳の束縛から解放し、人間の欲望を最大限に満足させようとするものであろうが、その欲望を空の思想によって反省させ、人間を欲望人としてではなく精神人として再生させ、人間に利他の徳を教えることは、現代文明にとって真に重要なことであると思う。
以上の三つの人類の危機に関して、仏教というものはその予防薬あるいは治療薬として、大きな役目を果たすものと信じている。
森の思想
二十一世紀における日本の役割について。そして、森の思想について。
日本において最も誇るべきものとはなにか、その問いには日本の森であると答えたい。日本の国土の六七パーセントが森林であり、その森の内の五四パーセントは天然林である。周囲を海に囲まれた日本列島は、古来より狩猟採集というより漁撈採集文化のメッカであり、巨大な落葉樹の実は食料になったのであろう。この縄文文化が長い間繫栄し、日本の基層文化を形成したのである。稲作農業を始めるまで、日本のほぼ全域は森であった。それからこれまでに日本の森の三分の一は開拓され水田化された。しかし、三分の二の山は、ほぼそのまま森として残された。その理由は日本の地形に関係があるが、日本の山の多くは急峻で、植生が喬木、灌木、草、苔の四層からなり、なかなか牧草地にはなりえなかった。こういうことから、日本の山はほとんど森のまま残された。
森の文明ともいうべき縄文文化はどのような精神的特徴を持っているのか。
それには、漁撈採集文化をつい最近まで持ち続けていたアイヌ、沖縄、あるいは山間や島に住む狩猟民や漁民たちの宗教や習俗の研究がその助けになるのである。
その文化の精神的特徴は二つの点に集約できる。
一つは平等志向。この平等というのは人間の間のみならず、動物も植物も、あるいは山や川ですら、人間と同じ霊を持っているものと考える。
もう一つの思想は、人間も動物も植物もすべてあの世とこの世の絶えざる循環をくり返すものであるということ。人間も熊も樹木もすべての生物は、個体としては死ぬけれど、しかしその生命は子孫となって再生する。つまり、種は死と再生を繰り返して永続する。
以上のように、この森の文明の精神的特徴は、生命体の本来的同一性、つまり平等の原理とその永遠の循環運動である。
そのことは、日本文化にどのような影響を与えているのか。
まず、平等化の思想が、和の原理となった。聖徳太子は、『十七条の憲法』に「和を以て貴しと為す」という言葉を入れた。これは、千年にわたる土着の縄文人と渡来の弥生人の血で血を洗う闘争に懲りた経験の結果、生み出された知恵であろうが、この和の原理こそが、日本社会を構成する原理である。
ただし、和の原理は集団の価値が優先される原理であり、とかく個人の価値は第二次的になりがちなのである。
そこで、羅漢の和ということを挙げたい。羅漢とは禅宗の理想とする自由人である。そして、禅は仏教の中で最も自由を強調する仏教である。何物にもとらわれない完全な自由人となって、いかなる状況にも対応できる人間、それが禅の理想とする羅漢である。羅漢はそれぞれ個性的な風貌をしている。それは一人一人はまったくの自由人で、それぞれはかなり異なった人間である。こういう羅漢の和の社会こそ、これからの日本社会の理想だと思うのである。
次に、生きとし生けるものの同一性と生から死への永劫の循環、この思想も日本文化を強く貫いている原理であると言える。
日本の芸術もその原理と深い関係を持っている。中国の詩の影響を受けたものの、日本では独自に和歌というものをつくりだした。和歌や俳諧には自然観が主に表現される。『月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり』と松尾芭蕉は残した。あらゆる生きとし生けるものは、永遠に生死の旅を続けるという世界観が表れる。
森の思想は芸術だけではなく宗教とも結びつく。
「山川草木悉皆成仏」という、生命の本来的同一性を主張する日本の基層文化の原理が、もともと人間中心主義の宗教である仏教を自然中心主義に大きく変容させたのである。
様々な危機に人類社会は直面している。それは人類が農耕牧畜文明を発明し、都市文明を形成して以来、人類の文明が潜在的にはらんできた危機なのである。つまり、人類は森を食い潰して文明を作ってきた。そして、一つの文明が崩壊した後に、次にまだ森の残る他の地域に文明を興し、また森を食い潰してきた。
われわれは文明の原理を、人間の自然支配を善とする思想から、人間と自然との共存を図る思想に転換しなければならない。もう一度人類は狩猟採集時代の世界観にたちもどり、個人ではなく種を中心にした考え方、つまり永遠の生と死の循環という思想をとりもどさなければならないと思うのである。こういう思想は、古代ギリシア、ヒンズー、老荘思想にも見られ、人類の共通の原理の残存であると思われる。このような原理が日本文化の伝統の中にもある点に、今後の日本文化の可能性を認めたいと思っている。近代という時代がその合理的な自然征服を貫徹するために、排除していった多くの思想に注目する必要があると思うのである。
生きとし生けるものはすべて共通の生命で生きている、そして生きとし生けるものはすべて成仏することができる、生きとし生けるものはすべて生死の間を循環している、生きとし生けるものはすべて死ぬ、そしてまた生き返る。われわれは死ぬと肉体から魂が離れる。魂はあの世へ行く。そしていつの日か、今度は子孫になって生まれ変わってくる。
この考え方の基本は「生命はひとつだ」ということである。
そういう風に考えると、植物や動物の命を尊敬して天地自然を尊敬する、そしてその天地自然や動植物と調和して生きていく方法をわれわれは考えねばならない。人間は動植物を殺さなくては生きていけない面がある。また、木は信仰の対象だけではなくて人間に最も役に立つものである。だから木を伐るにせよ、動物の命を奪うにせよ、われわれと同じ命を持った木を、そして動物を殺すわけであるから、その木や動物の霊を手厚くあの世に送らなければならないのである。霊をあの世に返さなければならないのである。そしてまた木や動物たちにこの世に帰ってきてもらわなければならない。
この森の思想を今こそとりもどさねばならないと思う。人類の根底にあるものにまで、思いを馳せねばならない。そういう思想が人類に浸透したしたときに、人類は生き残る可能性が出てくるのだと思う。
〇感想
日本の宗教史として、その根底には森の思想があるようだ。そして、その森の思想に立ち返ることで、直面する危機に向き合えるのだと熱く語られる文面には、なにか感じるものがあると思った。もちろん、その思想として、生命はひとつなのだ、と意識を広げることもそうなのだが、その根底にある思想が、たしかに自分の中にある気がする、そういうものを感じた気がした。
「純文学とは?」という切り口でこの本を読み始めたわけだが、意図せずして、話題は芸術に和歌や俳諧にも及んでいたのを発見できた。和歌や俳諧に込められる、その自然観に、その純たるものがある気がした。その純たらしめるものを表現すること、それが純文学なのであろう、そう解釈しておくことにする。
そして、純文学を表現するということは、その根底を発掘するという試みなのであろう。