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長く続く関係と、名もなき感覚 | 莉琴

ようやく時間を作ることができ、カフェを訪れた。
店内はほぼ満席だったが、珈琲の香りと共にジャズが流れ、読書をする人や静かに会話を楽しむ人たちで落ち着いた雰囲気が保たれていた。
楽しみにとっておいた好きな作家の新刊を開く。

すると、隣の席へ20代前半くらいの女性二人組が案内された。久しぶりの再会のようで、賑やかに”手土産交換の儀”が始まる。
(わかる、欠かせないよね。おすすめポイントの説明から「荷物になってごめんね」までがセットだよね)と心の中で頷く。

どうしたことか、その後も隣の席のデシベルが下がらない。
再会したてゆえの声のボリュームかと思いきや、そのままの賑やかさで片方の人のイタリア旅行話が続いている。
わたしを挟んだ隣の人までもが横を向いて覗き見るほどで、無防備にさらされた両耳に否が応でも話が入ってくる。

「これが古い城でな、想像の何十倍も広くて城ってゆうか、もはや街やねん」
「火山灰が降り積もったからな、人がそのままのかたちで残ってん」

丁度届いたベリータルトとホワイトチョコモカをいただく。ぬったりした甘さがいい。息つく間もなかった今週の自分が欲するガツンとした糖分だった。

タルトを食べ終えても、旅行話は続く。
仕方なくもう一冊持って来た学習本に交換する。これなら多少引っ張られても知識や情報は頭の中に残る。

そもそも一緒に旅行した思い出話なら盛り上がれるが、ヴェネツィアという地名すら知らない(らしい)国の旅行話を聞かされ続けるって、よほどの話術か話し手への強い愛情がない限り、相当な気力が必要だろう。徐々に減っていく相槌からも興味のなさが露呈し始めている。


相手の様子、話す/聞く量のバランス、周りの環境などを察する《人や外の世界の理解のために働く感覚》は個人によって異なる。
“価値観”ほど仰々しくなくて、犬派・猫派のようにはっきり分けられない。配慮や気遣いにも似ているが、感性や好みにも近い。

ハンドソープの詰め替えやゴミ袋のセットなどの”名もなき家事”同様、名前はつかないけれど細部で発動している感覚。
余韻や間、相手を大切にする感覚が合う人は一緒にいて心地よく、長く続くように思う。

例えば、映画館ではエンドロールが流れ切って照明が付くまで席に座り、上映された部屋を出るまでは感想を言わず静かに浸りたい、とか、会計時はお店のかたへ敬語で接してクレジットカードやお金を丁寧に渡し、お礼を伝える、とかも広い意味では含まれそうだ。


「そろそろ予約の時間じゃない?」
話を遮るような唐突さで聞き手が切り出すと、ほんまや!出よか?と二人は席を立った。

またジャズが聴こえ始めた。
最初の本に持ち替えてカップに口をつけながら、自分と似たような”名もなき感覚”をもつ家族や友だちに思いを馳せる。
ホワイトチョコモカの甘さがまた染み渡った。


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HAKKOU(はっこう)/リレーエッセイ
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