自分の人生を奏でる|saki
人情溢れる愛着ある下町から新興住宅地に引っ越したことを境に私は思春期が重なったこともあり、"どんなに大切にしても、離れてしまう"と、家族をはじめあらゆる人やものごとに、自らかかわることを一切諦めたことがあった。
学生時代は勉学や部活など何かに打ち込むことや明け暮れることもなく、アイドルやロックバンドを追っかけしかけたこともあったが(こんなことをしても、何の意味もない。)と自ら火を消し、自分が何が好きで嫌いなのかもわからぬまま、趣味にハマることや没頭することさえ遮断した。
自分の人生を生きることを放棄し、存在を自ら消して生きていた。
短大時代、研究室がある棟のロビーで卒業論文を書いていたら、後に恩師となる先生が「論文のテーマは何や?」とゼミ生でない私に声をかけてくれた。
自分がどうしたいのか知ろうとも聴こうとしないで自分のことがわからぬまま、"自分はこのまま卒業して働くなんて到底出来そうにない"と狼狽えていた。
ただ「きょうだいの障がいについて書きます。」と論文テーマは決まっていたので返答すると、表情は一変し「そうやったんか…。こっち来てお茶飲まへんか?また、顔出してな。」と恩師の研究室に迎えられた。
自分や家族と向き合ったことで、暗黒時代は転換期へ転じたのだった。
どこから紐解きすればいいのかわからない八方塞がりの状態で、言葉にならない叫びに近い私の声をただ、聴いて「そのままでええねや。ぼちぼち行こか。」と笑って受け入れて支えてくれた。
恩師の研究室を出入りする学生や卒業生など様々な人の色々な話を聴き(平穏そうに振る舞って見えても、辛く、苦しいのは自分だけではない。)と思えて、生きることの肥やしとなった。
様々な人やものごとを見聴きし『何か』知ろうとする姿勢は、同時に『自分が響いていること、感じていることは何か』を知る取っ掛かりを頂けていた。
大学へ編入学する選択肢を提示してくれて、畑を耕し作物を育てる機会も恩師から頂いた。人との出会いをきっかけに、漆黒はイロトリドリな月日と色を重ね、いっきに鮮やかな世界となった。
どん底、真っ暗闇と感じられる世界を生きていても、出会いばかりはあらがえない。
今回エッセイで過去を文字に起こすことは私にとって、自分の人生・運命を楽譜とするなら、楽器は私。声や言葉で物語を撫ぜて自分を手繰り寄せる感覚があった。
自分がたしかに生きていた過去と今の重奏。私の人生を生ききることは、全体のハーモニーとなる。