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わたしを いきる ここち|saki
学校のプール授業でクラス対抗競争があり、25メートル平泳ぎを習得したてで、クロールが少しできるようになったところだった。
自分の番になり勿論、胸を張って平泳ぎで泳ぎきった。
クラスメイトから「なんで平泳ぎやねん!負けるやん!」と声が上がった。
長い年月を超えこのことに何を、どうすればいいのかわからぬまま自分は、卵でも鳥でも植物の種でもない"何か"をぐっと抱えたままだった。
リレーエッセイのバトンを受け取った瞬間、今綴ろうと思った。
レースの結果より、"速い遅い、勝ち負けでなく今の自分の最善、最高を目一杯出し切りました!"というのが本心だった。それが言えなかったことに後悔、念の類、そのどれも当てはまらない。
《めいっぱい最強で賞》を当時の自分に授与し、「よくやった!」と抱擁を交わしたい。
社会人になり人とかかわる仕事に就き、思い当たることはあっても、思ったことを言葉にすることができぬまま月日やかかわりを重ね、退職する際同僚から"自分を持って"と言葉をもらった。
姿勢や態度、言動で現さなければ無きものともなり得るのかと、また幻滅した。
傍ら奥底で触れ、察して感じていることは金脈や源泉のごとくザクザク、ドクドク湧き出て、すでに感じて反応している。
お茶、書を書くこと、HAKKOUのメンバーと出逢ってからも、察することはあっても思うように体現できない自分を責めては憂いて勝手に傷つき、心に飼いならすヤンキーが(自分は一体何をどうしたい!)と怒り散らし、何もなし得ていないように思えた。
あぁ、全てが人並みにうまく行きますように。
ある楽曲の一節だが、そもそも人と比べて自分ができないことに照明を当て、人並みにどうにかできる術を得ようと藻掻いていたように思う。
人にばかり照明を当てることに一生懸命になり、内にたぎるものをみようとも触れようともせず無きものとしては、わたしというお日様が当たることなく、暗く冷たく凍えて寒いまま。
今更でも何でも、どうしようもないものを抱えていたことにきづいたとき、燦々と照らす太陽の温かさで脈打つ鼓動、血液と共に流れていく。
行き場のない感情や出来事を抱えることは、自分にとってトラウマ、カルマ、無駄、無意味、無価値、わたしにとってはどれも違う。
人からすれば些細でくだらなくてどうしようもない、至らなさや不完全ささえ、
あぁ、"わたしという世界でたったひとりの人間が、今ここに、生きている"。
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